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47.36% 半妖精と竜印姫の反逆譚 / Chapter 9: 契約の代償、心に刻む誓い

Chapter 9: 契約の代償、心に刻む誓い

長い行程で全身がひとつの痛みになったように軋みながら、セレナは最後の岩棚を身を引き上げた。道は危うく、よじ登る山は途方もなく高い。それに――驚くほど幻惑に満ちている。登攀のあいだ、道の両脇には巨大な竜の石像が並び立っていたはずなのに、彼女が夕映えに染まる雲の美しさに目を奪われて立ち止まった刹那、像は跡形もなく消えていた。

ひらめきが疲労の靄を裂く。セレナは首を振り、肩をすくめる。(……不埒者を寄せつけないための“仕掛け”、というわけね)それ以上は深く考えず、足を進めた。やがて小径は広く平らな場所へと続く。人の手で均されたとしか思えない、台座のような一画だ。胸にあるのはただ使命のこと。セレナは家の宮殿の書庫から持ち出した地図を取り出し、沈みゆく陽を横目に眺める。(どこにいるの、竜たち。――私から隠れているの?)苦笑いがのどの奥でかすかに揺れた。

地図を見比べ、目の前の地形を測りながら、彼女は山へと向き直る。やがて約束された光景――山をふたりで支えるような双峰、そのあいだに穿たれた大きな裂け目――の前に立っていた。図によれば、その口を抜けた先に“秘された谷”がある。古い伝承では、祖先セレナが長い歳月をそこで過ごし、竜たちと共に“楽園”を築いたという。(まだその楽園が残っているなら――竜たちも、ここに?)セレナの胸がかすかに高鳴る。

彼女は裂け目の縁へ慎重に歩み寄り、身を乗り出して覗き込んだ。息を呑む。伝承どおり、いや、それ以上だ。そこはただの谷ではない。紛れもなく“楽園”だった。無数の野花があらゆる場所に群落をつくり、その上を、天を支えるほどの大樹が絢爛たる天蓋を成している。エイガルディアでは滅多に見られない希少な鳥獣や草木の姿も、いくつも見分けられた。遥か対岸の段丘から幾条にも分かれて滝が落ち、大いなる湖へと白銀の糸を注ぎ込んでいる。水面は宝石のようにきらめき、谷全体に涼やかな息を吹きかけていた。

「お気に召したようで嬉しいわ、継承の姫よ」朗々とした、しかし女性的な力を帯びた声が、四方に反響した。

セレナははっと身を翻し、無人の台座を見回す。誰もいない。「どこにいるの?」

「上だよ」声は応える。視界の端で、何かがゆるりと動いた。――濃いサファイアの尾。その尾の主は、はるか頭上の岩棚に腰を据える巨大な蒼竜だった。セレナは口を半ば開けたまま見上げる。竜は、彼女がそうなるのを待っていたかのように静かに見返しただけだ。「恐れることはない。おまえは“セレナの印”を携えている。われらが傷つけることはない」

「“セレナの印”……?」

「おまえの首に下がるものだ」竜は顎で示す。「それは、我らの故土にだけ産する特別な銀から作られている」

セレナは袋をまさぐり、三日月の中で竜が眠る意匠の銀の紋章を引き出した。翳して見せる。「これのこと?」

――アズーラ、それが“セレナの印”か? あれなのか?今度は山頂のさらに上から、重々しいバリトンが降ってくる。セレナがあわてて振り仰ぐと、深紅の巨竜が峰の端から滑空してくるところだった。

「アズーラ……?」セレナは蒼竜へ向き直り、畏敬をこめて名を繰り返す。「あなたは、セレナの竜……」

「私は彼女に仕えた者だ」アズーラは柔らかく答えた。「自らそう選んだ。そして今も、彼女に仕えている」

「今も……見守っているの? 彼女は――まだ生きているの?」

その問いに応じるように、台座を囲むようにしていくつもの岩棚に、次々と巨体が降り立った。笑いのような低い振動が四方から押し寄せ、岩壁を震わせる。

「生きているわけがなかろう、間の抜けた人間の子」黄金の鱗をまとう竜がうなった。「とはいえ、あの紋章を持っているのは残念だ。近ごろは上等な人間の肉がさっぱり回って来ん」

「アルガス、無礼な舌を慎め!」アズーラが鋭く吠える。「この方は“銀翼の継承者”だ。セレナに対したのと同じ敬意を払え」

押し寄せる伝説の存在の数々に、旅の疲労も重なって、セレナは眩暈すら覚えた。「……わからない。ここで何が起きているの? あなたたちは何を知っているの?」

「シャドリアンは何も語らなかったようだね」アズーラはどこかおかしげに言う。

「山の頂まで登って、竜を見つけろ――それだけよ」セレナは答える。「あなたたちは物語の中だけの存在だと思っていた」

アズーラはゆるやかに眼差しを落とした。若い娘の奥深い恐怖――それを覆い隠そうとする気丈さとともに――が、古竜には手に取るようにわかった。遠い記憶の声が胸裏に蘇る。――「見た目は似なくとも、やがて“私”になる子が現れる」

「セレナ」アズーラの声はさらに柔らぎ、しかし底に古の力を湛える。「彼女がこの地に初めて来たとき、シャドリアンというエルフに出会った。あの日から、我らはおまえの運命を知っている。シャドリアンとセレナは、迫りくる大いなる災厄に立ち向かおうとした。だが時はまだ熟していなかった。そこで“第一の星読み”テロンが考え出したのだ――はるかな界からこの場所に集った伝説の獣たちを“繋ぐ”構想を。二つの国は反発したが、多くは賛同した。その中にはドライケンもいた。昔も今も、ドライケンの支配者は“世界”そのものに無頓着だ。獣らが解き放たれ、世界は滅びの淵に立たされた」「――『未来を恐れるな、友よ』」アズーラは告げる。「人の世へ帰る前、セレナは我らにそう言い残した。『いつか――見た目こそ私と違えど、まぎれもなく“私”である子が、あなたたちのもとへ来る。その日が来たら、私にしたようにもてなしなさい』。恐れるな、セレナ。おまえは“子孫”として、ずっと待ち望まれていた」

「私が……?」セレナはなお疑いを捨てきれない。「どうして“私”だとわかるの。“竜の淑女”だなんて――」

「否応なく定めの時が近づいているからだ」アズーラは厳かに言う。「ドライケン王は、力と支配への渇望ゆえに――世界を確実に破壊する“なにか”を呼び戻そうとしている。《フェルグロム》。半神の獣だ」

セレナはアズーラの蒼い、時を超えた瞳を見つめ返す。「私は――エリシアールを救うために戦うつもりなんてなかった。ただ、家に帰りたかった。家族に残されたものを護るために、エイガルディアへ戻りたい」

「その心に“偉大であろう”という願いが欠片もなかったなら、そもそもここまでは来られなかったはずだ」アズーラは応える。「いま救えるものを救うこと――それが、結局は彼らを救う唯一の道。おまえには全てを救う力がある。ただし、容易ではない。ドライケンは決して手を引かない」

「――戦う理由を、ひと欠片でいい。希望をちょうだい」セレナの声は途切れ、祈りのようにこぼれる。「父が死んだあの日から、希望なんて一度も見ていない」

「希望はおまえの内にある。たとえ“セレナ”という個が死んだのだとしても、だ」アズーラの声は谷に満ちた。「おまえの内で“セレナ”が烈しく燃え、殻を破ろうとしている。多くの者が信じている――おまえが我らの背に跨るとき、“エイガルディアの女神”がよみがえる、と。祖先セレナは父と共に火の中で果てた。――だが、あの古い、星の冠が君の頭上に戴かれたその瞬間、彼女はおまえの中に再び生まれたのだ」


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