「それに、あんたたちがおじいちゃんたちの老後資金を借りるって言うけどさ、本当に返せるの?今まで一度でも返したことある?」
美咲の言葉に、正人は顔を引きつらせた。まるで別人みたいに、ぺらぺらとよく喋るじゃないか!
「美咲、お前、それはまるで俺たちが人の金を使ってるみたいに聞こえるぞ?」おじいちゃんが、不機嫌そうに低く言った。
「おじいちゃん、おばあちゃん」美咲は一歩も引かない。「はっきり言いますけど、事実は事実です。ずっとこうしてきたじゃないですか。父と母が黙ってるからって、なかったことにはできません」
「美咲、あんたは女の子で、まだ世間も知らないんだから無理もないけどね」桂子が、わざとらしくため息をついた。「でもね、帝都ってのは特別な場所なの。国の首都よ?物価も高いし、暮らすだけでもお金がいくらあっても足りない。あんたの想像なんて遠く及ばないわ」
美咲はにっこり笑った。「そうですか。だったら、なおさらお金を渡しちゃダメですね」
「お父さん、朋彦が大学に行くのも大事ですけど、浩司だって勉強するんですよ?うちだけが犠牲になるのおかしいですよね?」彼女は健一に向き直った。「お父さん、考えてみてください。朋彦を帝都の大学に行かせるために、うちの貯金どれだけ減りました?これから浩司が大学を目指すのに、また一から貯め直さなきゃ」
「おばさんも言ってましたよね、都会で暮らすのはお金がかかるって。三年五年でどうにかできる金額じゃないって。だから、今のうちから浩司のために備えないと。
浩司が帝都の大学に合格できたらいいなって思ってる。帝都にはたくさんの良い大学があるし、京大だけじゃなく、他の学校もあるでしょう。そのとき、浩司もたくさんお金が必要になるんじゃない?今、全部のお金を朋彦に使ってしまったら、将来浩司が大学にも行けなくなってしまうじゃないですか」
(自分の大学資金のことなんて、もうどうでもいい。)前世では、自分は奨学金とバイトで全部まかなった。家族に一円も頼らなかった。
大塚家の年寄りたちは男尊女卑がひどく、例として自分を出しても全く響かないほどだった。
年寄りたちの目には、孫は男の子だけが「人間」だった。だから、例に挙げるなら浩司のことしか出せないのだ。
確かに、大塚家の年寄りは自己中心的で学はない。しかし孫を大学に行かせることに関しては、誰よりも執念深かった。大学に行けば道が開ける――そう固く信じていたのだ。
この村は裕福ではない。だが、ようやく大塚朋彦という大学生を輩出したことで、大塚家は村で威光を放つ存在になった。村長ですら大塚の老夫に一目置いて接するほどで、そのため老夫はますます浩司を大学にやる決意を強めていた。
「大都市の暮らしは大変だ、ってのはおばさんの言葉ですからね」美咲はにっこり微笑んだ。「私は田舎者だからわかりませんけど、おばさんは都会をよく知ってる。きっと間違いないんでしょう」
その言葉に、健一の心がぐらついた。
美咲にはわかっていた。大塚正人夫婦が金を借りに来たように見えても、実際は年寄り二人に取り入っているだけだということを。
だが、大塚家の年寄り二人は孫を可愛がっているとはいえ――それ以上に自分が大事なのだ。特に祖父の大塚老翁は筋金入りの自己中。あの二人が自分たちの財布から朋彦に金を出すなんて、ありえない。
どうせ正人たちが帰ったあとで、また父の健一に金をせびるに決まっている。
美咲は、年寄りたちが朋彦に金を出すこと自体は構わなかった。だが――自分の家の金に手を出されるのだけは、絶対に許せない。
祖父が健一をちらりと見た、その一瞬で美咲は悟った。――やっぱり、この人は父に金を出させるつもりなんだ。
今回あえて騒いだのは、朋彦への援助を止めさせるためではない。最終的に年寄り自身に金を出させ、自分の家には手をつけさせないためだ。それができれば、今日の騒ぎは大成功だ。
正人と葛西桂子は、自分たちの言葉を逆手に取られるとは思ってもみなかった。けれど、それは彼ら自身の口から出た話。結局、自分で自分にブーメラン刺さってるじゃん。
そのとき、美咲はふと時間を見た。「浩司、まだ帰ってないの?」
「そういえば……」淑子も思い出したように顔を上げた。正人たちの騒ぎで時間を忘れていたのだ。「もう帰ってくる時間のはずなのに……」
美咲の脳裏に、前世の記憶が一瞬でよみがえる。――浩司が足を悪くしたのは、あの日の昼。学校からの帰り道で、バイクにはねられたからだ。
あのバイクの運転手は逃走し、浩司が発見されたのはずっと後。手当てが遅れたせいで、足は二度と治らなかった。
そして――今日が、まさにその日だった。
あのときも、正人たちが金を無心に来ていた。父の健一は渋っていたが、しつこい正人たちに押し切られて、結局金を渡してしまった。
その後、村人が「浩司が事故に遭った」と知らせに来たころには、かなりの時間が経っていた。急いで病院へ運ぼうにも、金はもう正人に渡してしまっていた。
一度出した金は、水をこぼすようなもの――二度と戻らない。
健一が返してもらおうとしても、正人は「もう遅い、治療しても無駄だ」と言って突っぱねた。結局、健一はあちこち借金をして治療費を工面するしかなく、その遅れが原因で浩司の足は完全に治らなかったのだ。
足を悪くした浩司は、その後の進学にも影響が出て、成長してからもまともな仕事に就けず、人生そのものが狂ってしまった。
美咲は思い出す。――自分が死んだ後、霊となって漂っていたとき。杖をつきながら、自分のために小林家へ乗り込んでいく浩司の姿を。そして「びっこの弟」だと罵られるあの光景を。
胸の奥が張り裂けるように痛んだ。自分の愚かさを、あのときほど憎んだことはない。
だから今度こそ――絶対に同じことを繰り返さない。
さっきの言葉で、父・健一がすっかり迷ってしまったのを見て、美咲は確信した。少なくとも今は金を渡さない。そう判断すると、もう一瞬も無駄にできなかった。
正人をきつく睨みつけ、「あたし、浩司を迎えに行く!」とだけ言い残して家を飛び出した。
あまりの剣幕に、正人はしばらく呆然としていたが、やがて顔を真っ赤にして怒鳴った。「健一!今の目、見たか!?あの娘、俺を睨んだんだぞ!許さねぇ、今日という今日は絶対に許さねぇ!」
だが、美咲はもう耳にも入っていなかった。息を切らせながら村の外れまで走り、舗装された大通りに出たとき――遠くに浩司の姿が見えた。
ランドセルを背負い、友だちと並んで歩く小さな背中。その足取りはまだ健やかで、幼い顔もあどけないままだった。
美咲は胸をなでおろした途端、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
その瞬間――後ろから、一台のバイクがS字を描くように蛇行しながら突っ込んできた。
運転手は簡単なヘルメットを被っているだけで、顔の半分が見えていた。赤ら顔で、明らかに酒を飲んでいる。
「浩司っ!」
美咲は絶叫し、全身の力を振り絞って弟へと駆け出した――。