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Chapter 5: 容疑者

Editor: Inschain-JA

「望、どうして無視するの?私はあなたのママよ」

時田美咲は焦って、急いで時田望の腕を掴んだ。

引っ張られた拍子に、望の手からバスケットボールが床に落ちた。

望は眉をひそめ、かがんでボールを拾い上げながら言った。「一体何がしたいんだ?私に何の関係がある?言ってみろよ、はっきり」

望は少し苛立っていた。彼女があまりにも意味不明で、

しかも母が買ってくれた大事なボールを落とさせたからだ。

美咲は一瞬ぽかんとしたが、そのすぐ後ろから、さっきの男子たちの声が聞こえてきた。

「そうそう、お嬢さん、結局お前は望の何なんだ?はっきり言えよ、言いかけで止めるなって」

美咲は気づいていなかった。自分では普通に話しているつもりでも、彼らの耳には違って聞こえていたのだ。

「私はママよ」と言っても、望たちには「私は……よ」としか聞こえていなかった。

ママという言葉だけが、不思議と消えていた。

望も、こっそり聞いていたクラスメイトも、ぽかんとして意味が分からなかった。

美咲も訳が分からず、「人の話を盗み聞きするなんて失礼よ。早く行きなさい」と注意した。

数人の男子は苦笑いしながらも、悪気はなかった。ただ、二人のやり取りが気になって仕方なかっただけだ。

追い払われても特に反論せず、肩をすくめて望にウインクして去っていった。

美咲は小さく息を吐き、さっきの出来事を思い返した。

もしかして、自分は“ママ”だと名乗ることができない?

「望……待って」美咲が確かめようとしたとき、顔を上げると、望がすでに背を向け、他の男子たちと一緒に教室へ向かって歩き出していた。

「望さん、待って!」

美咲は慌てて追いかけ、彼の手を掴もうとしたが、あっさりと振り払われた。

「一体何なんだよ?」

望は少しうんざりしたように眉を寄せた。「授業に行くんだ、邪魔しないでくれ」

「望さん、私は……ママよ」

美咲は声を落とし、「あなたのお母さんよ。若返っただけなの、分からないの?」と訴えた。

望はますます混乱し、「私、お前のこと知ってるのか?お前は私の何なんだ?」と問い返した。

美咲は口を開いたが、声が出なかった。やはり、「ママ」という言葉は伝わらない。

つまり、正体を明かしてはいけないのか、それとも言葉自体が封じられているのか。

「授業に行くから」望は短く言い残し、そのまま歩き去った。

周囲の生徒たちも教室に向かって走っており、美咲はこれ以上邪魔できずに立ち止まった。

けれど、彼のことが心配で、少し距離を置いて後をつけた。

ちょうど教室の前にたどり着いたとき、授業開始のベルが鳴った。

生徒たちは次々に中へ入っていき、美咲だけが入り口に取り残されたように立っていた。

そのとき、教壇に入ってきた教師が彼女を見て、眉をひそめた。「君はどのクラスの生徒だ?まだ入らないのか?」

美咲は焦って、望のクラスを指さした。

教師は小さくため息をつき、「君が新しく転校してきた生徒か。明日からだと聞いていたが……まあいい、今日は入っていい」と言った。

まさか指をさしただけで通されるとは思わなかったが、美咲は深く考えず、そのまま教室へ入った。

教室に入った瞬間、美咲の視線は真っ先に望を捉えた。

望は彼女を見るなり、わずかに眉をしかめた。

彼の隣や前後の席には、さっきバスケをしていた男子たちが座っており、彼女を見ると同時に顔を見合わせてニヤニヤした。

「おい、追いかけてきたぞ」

望の隣の男子が小声で囁いた。

知らない女生徒が入ってきたので、教室中がざわついた。男子は驚き、女子は「きれいな子だね」とひそひそ話していた。

教師は教壇に立ち、軽く咳払いして「静かに」と声を上げた。

「彼女は新しく転校してきた生徒だ」と一言だけ説明し、「自分で席を見つけて座りなさい」と指示した。

彼は担任ではなく、自己紹介などは省略して教案を開いた。

美咲は言われるままに、教室で唯一空いていた席——望のすぐ後ろ——へ向かった。

本当は隣に座りたかったが、今はこれで十分だった。

美咲はほっと息をついた。隣の生徒が興味深そうに彼女を見ていた。

美咲は軽く笑い返し、カバンから小さなノートとペンを取り出した。

それはいつも持ち歩いているメモ帳で、アイデアが浮かんだときにすぐ記録できるようにしていたものだ。

言葉で伝えられないなら、書いて伝えよう。

そう思い、「私はあなたのママです」とノートに書こうとした。しかし、「私はあなたの」までは普通に書けたのに、「ママ」という二文字を書こうとした途端、ペンのインクがかすれた。

どう書こうとしても、「ママ」という字だけは出てこなかった。

「……そんなことまで?」

美咲は思わずつぶやき、携帯を取り出してメッセージを送ろうとした。しかし同じだった。どんなに打っても「ママ」という文字は別の言葉に変わり、メッセージ自体も送信できなかった。

美咲はただ、沈黙した。

隣の生徒はそんな彼女を観察していた。そして偶然、美咲のスマホの待ち受けと壁紙が、望の写真であることに気づいてしまった。

その生徒は興味津々で、自分のノートを少し中央に寄せ、紙切れを渡してきた。『ねえ、すごいね。教科書も持たずに授業に来るなんて。もしかして時田学校のイケメンを追いかけて来たの?彼とどういう関係?』

——全校が知っていた。時田学校一の人気者、時田望は冷たく、女子を寄せつけないことで有名だった。

彼の一メートル以内に近づける女子など、ほとんどいない。

誰かが転んで彼の前に倒れ込んでも、ドラマのように助けることはなく、淡々と避けた。

だがこの少女は違った。彼を抱きしめ、泣き崩れたのだ。そんなこと、誰も見たことがなかった。

隣の生徒は好奇心でいっぱいの目で、美咲の返事を待っていた。

美咲は紙を見て、少し笑って返した。「私と彼は……」——母子関係、私は彼のママ。

けれど、やはりその言葉は書けなかった。代わりにこう書いた。『あなたは何て名前?』

……彼を追いかけてる?

本当に若返ったようだ。

美咲は携帯を取り出して鏡を開いた。 鏡に映ったのは、手入れが行き届いていても歳月の痕跡が見える疲れた顔ではなく、ぷにぷにして白くて柔らかく、自然な赤みもある、絶対に50代とは思えない顔だった。

見慣れているようで、見慣れない。

美咲はまばたきせずにしばらく見つめた。

久しぶりだ、若い美咲。

久しぶり、18歳の美咲。

もし人生の終わりがこの姿で訪れるなら、それも悪くない。

美咲は携帯をしまい、感慨深く思った。望が彼女を認識できないのも無理はなかった。

多くの人が彼女は若く見えると言い、実年齢より若く見えると言われていたが、それでも歳月の痕跡からは逃れられなかった。

結局彼女は50代になっていたのだから。 18歳と50歳ではかなりの違いがある。

美咲は隣の生徒と軽く紙のやり取りをしながらも、視線はずっと前の席の望を追っていた。

望は背後からの熱い視線を感じ、なぜか落ち着かなくなっていた。

授業が終わると同時に望は立ち上がり、電話を取り出して外へ出た。

「もしもし……石川おばさん?さっきは授業中で出られなくて……」

その言葉を聞いた瞬間、美咲の表情が凍った。

——石川おばさん。

それは、宮崎明人のマネージャー・石川霞のことに違いなかった。

そして、彼女は事件の容疑者の一人でもあった。


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