家庭医に手当てをしてもらい、須藤紀香の額に走る痛々しい傷は、四角いガーゼの下に隠された。前髪を少し下ろして、ようやく見えない程度に隠せた。
鏡の前に立ち、自分と九割方似たその顔を指先でそっとなぞった。まだ現実とは思えなかった。
一代の妖妃と呼ばれた女だけあって、その容貌は息をのむほどだった。朱を帯びた唇、陶器のような肌。だが、この身体の持ち主はあまりにもやつれている。身長一七〇センチに対し、体重はせいぜい四十キロ少々。骨ばった鎖骨が痛々しいほど浮き出ていた。
家では継母たちに虐げられ、それでも黙って耐えてきた。二年前、ようやく芸術学校に合格し、大学一年で女性アイドルグループに選ばれて芸能界入り――これで人生が変わると思っていた。だが現実は、今も名前すら知られぬ十八番目の空気。スキャンダルばかりが先行し、学校も卒業の危機。さらに、かつての恋人は彼女の知名度を踏み台にして監督デビューを果たすと、あっさり裏切って去っていった。
三浦家はA市第一の名門。今日行われる三浦家当主の誕生日パーティーで、紀香はようやくオープニングゲストとしてステージに立つチャンスを得た。それなのに、家を出る前に継母に殴られ、額を割られるなんて。
幸い、彼女は自分の墓の場所を覚えていた。そこにはかつての財産のすべてが眠っていた。そのうちのひとつでも取り出せれば、この哀れな娘の運命などすぐにひっくり返せるはずだ。
携帯を取り出し、使い方を確かめながら検索エンジンを開いた。昔の称号や名前を入れてみるが、どれも反応がなかった。
少し考えて――「妖妃須藤氏」と打ち込んでみた。
瞬く間に、二千件を超える検索結果が現れた。「国を滅ぼした妖婦」「紅顔の災い」「亡国の罪人」……中には、彼女の艶めいた虚構の逸話まで書き立てる記事もあった。
――世間の妖妃とは、結局こういうものだ。けれど本当の妖妃は――
身のこなしに長け、知略にも優れ、言葉より行動する女。
昔なら、こんな記事を書いた者など即刻引きずり出して百叩きにしていた。だが今はそれどころではない。
彼女には、もっと大事な目的があった。王陵へのルートを調べること。あの墓の財宝さえ手に入れば、芸能界の人気もパーティー出演も必要ない。
少しだけ食べる、それでいい。
そう思っていた矢先、目に飛び込んできたのは衝撃的なニュースタイトルだった。
【今朝未明、一代妖妃・須藤氏の墓、ついに発見!】
思わず震える指で記事を開いた。
【これは我が国の考古学史上、最も豪華な古墳とされる。金八十八キロ、銅銭十トンが出土し、出土品のすべては国立歴史博物館に移送された――】
「……っ!」
手の中のスマホが、乾いた音を立てて床に落ちた。
物音を聞きつけた須藤正義が部屋に入ってきて、心配そうに娘を見た。「紀香、そんな怪我でステージに立てるのか?」
画面があんなに割れてる。さぞ痛かっただろうに。
紀香は歯を噛みしめ、ほんの数分前までの自信を飲み込んだ。「せっかくの商業公演だもの。大丈夫よ」
墓の宝物がすべて…没収された??
正義は娘の表情に決意を感じ取り、それ以上は何も言わなかった。「わかった。無理するなよ。芸能界でうまくいかなくても、家に帰ればいい。父さんが養ってやる」
須藤家の令嬢が芸能界に入りたいと言ったとき、正義は反対した。だが、娘がようやく見つけた好きなことを奪う気にはなれなかった。
彼女をA市随一の京央芸術学校に入れるために、正義は人脈を使い、金も惜しまなかった。だからこそ秋山梨花は特に不満だった。
紀香は胸を押さえ、少し痛そうに笑った。「わかったわ、お父さん」
聞けば、前の持ち主は人気もなく、今は夏休み。他のメンバーが多忙に仕事をこなす中、彼女だけが三ヶ月も家で寝転がっていたらしい。
でも、そんなことはどうでもいい。忘れないで。私は“妖妃”よ。