第7話:綺麗だね
[雪音の視点]
結婚式まで四日。
私がキッチンで朝食の準備をしていると、リビングから冬夜の声が聞こえてきた。
「紅、見てくれよ。ウェディングフォト、すごく綺麗に仕上がってる」
ビデオ通話の音声が響いている。
私は手を止めて、そっとリビングを覗いた。
冬夜がタブレットを手に持って、画面に向かって嬉しそうに笑っている。画面の向こうで、紅も同じように微笑んでいた。
「本当ね。私たち、お似合いに見える?」
「当たり前だろ」
冬夜の声が弾んでいる。
私が今まで聞いたことのない、心の底からの幸せそうな声だった。
タブレットの画面には、白いウェディングドレスを着た紅と、タキシード姿の冬夜が映っている。二人は自然に寄り添って、まるで本当の夫婦のように見えた。
かつて私が冬夜と撮るはずだった写真。
「雪音」
冬夜が振り返った。
「おはよう。ちょっと見てくれよ、ウェディングフォト」
彼はタブレットを私に向けた。
画面に映る二人の姿を見つめる。紅は確かに美しかった。冬夜も、私が知らない表情で笑っている。
「確かに、綺麗だね」
私は静かに答えた。
嘘じゃない。本当に綺麗だった。
でも、それを見ても、もう何も感じなかった。胸の奥が空っぽになったような感覚だけが残っている。
紅の妊娠を知った日を境に、冬夜への愛情は完全に消え去ってしまった。今の私には、他人の結婚写真を見ているのと変わらない。
「そうだろ?」
冬夜が嬉しそうに頷いた。
「最近、雪音からの連絡が少ないから心配してたんだ。結婚準備で疲れてるのかと思って」
私は何も答えずに、キッチンに戻った。
冬夜は気にした様子もなく、再び紅との会話に戻っている。
「今度は新婚旅行の写真も撮ろうな」
「楽しみ」
二人の声が遠くから聞こえてくる。
私はパンを焼きながら、カレンダーを見上げた。
あと四日。
結婚式の前々日、私は病院に向かった。
研究室に入る前に必要な薬をもらうためだ。
受付で手続きを済ませ、薬局に向かう途中、産婦人科の近くを通りかかった。
「冬夜さん、ありがとうございます」
聞き覚えのある声に足を止める。
振り返ると、冬夜と紅が産婦人科の前に立っていた。紅は検診を終えたばかりらしく、母子手帳を大切そうに抱えている。
「雪音?」
冬夜が私に気づいた。
「こんなところで会うなんて、偶然だな」
私は無言で二人を見つめた。
紅が私を見つめて、急に膝をつこうとした。
「雪音さん」
涙を浮かべながら、紅が震え声で言った。
「お願いします。この子を産むことを、許してください」
冬夜が慌てて紅を支えた。
「紅、立って。体に良くない」
「でも......」
紅の目から涙がこぼれ落ちる。
「私、雪音さんに申し訳なくて......でも、この子は冬夜さんの子供なんです。どうか......」
冬夜が私を見つめた。
「安心して、これが俺たちの結婚式には影響しない」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが完全に壊れた。
冬夜は本当に何もわかっていない。自分を愛していないからこそ、こんなことが言えるのだ。
「わかった」
私は静かに答えた。
冬夜の表情が一瞬戸惑いを見せた。もっと激しく反応すると思っていたのだろう。
でも、もう何を言われても、私には関係ない。
私はその場を去ろうとした。
「雪音さん」
背後から紅の声がした。
振り返ると、紅が追いかけてきていた。
階段の踊り場で、私は足を止めた。
「白鐘(しろがね)」
紅の声が変わった。
さっきまでの涙声とは全く違う、冷たい声だった。
「あなたは自分の婚約者が他の女性と子供を作るのを見て、どんな気持ち?」
紅が私を見上げて、薄く笑った。
「惨めでしょうね。五年も付き合って、やっと結婚が決まったのに、別の女に先を越されて」
私は何も答えなかった。
「でも安心して。冬夜さんは優しいから、あなたとの結婚も続けてくれるわよ。形だけだけど」
紅が一歩近づいてきた。
「私の子供が生まれたら、あなたの立場なんて......」
「もういい」
私は紅の手を振り払った。
その瞬間、紅が意図的によろめいて、階段に倒れそうになった。
私は反射的に紅の腕を掴んで支えた。
「紅!」
階段を駆け上がってきた冬夜の声が響いた。
冬夜は私が紅を支えている光景を目撃して、顔を青ざめさせた。
「雪音、まさか君がそんな人だったとは思わなかった」
冬夜の声が震えていた。
「今すぐ紅に謝りなさい」