翌朝。
オレは、新たな問題に直面していた。
「カイゼル様、お召し物をお持ちいたしました」
部屋に入ってきたのは、メイドのイオだった。
その手には、今日の外出用らしいやたらと豪奢な子供服が抱えられている。
原作のカイゼルにとって、これはごく当たり前の日常風景だ。侍女に傅かれ、身支度を整えてもらう。それが貴族の常識。
だが、中身が三十路手前の元サラリーマンであるオレにとっては、悪夢以外の何物でもなかった。
待て待て待て! うら若き乙女に服を脱がされて着せられるとか、どういうプレイだ!? 普通に考えてセクハラだろうが!
内心の絶叫とは裏腹に、オレの口からこぼれたのは、凍てつくように冷たい言葉だった。
「……下がれ」
「えっ……?」
「貴様の手など借りなくても服ぐらい着替えられる」
イオの肩が、ビクッと震えた。
また何かご機嫌を損ねてしまったのだと、その怯えた瞳が物語っている。違う、そうじゃないんだ。
もっと優しく語りかけるべきだったか。けれど、優しくしすぎると悪魔憑きだと勘違いされそうだし。
ともかく、今さら取り繕うこともできず、オレは背を向ける。やがて、イオが静かに部屋を退出していく足音が聞こえた。
「……くそっ」
一人になった部屋で、オレは複雑怪奇な貴族の服と格闘する羽目になった。
見栄を張るんじゃなかったと後悔したが、もう遅い。
悪戦苦闘の末、なんとか身支度を終えたオレは、ベッドにへたり込んで大きく息をついた。
これから、どうする。
まず、己の力を正確に把握しなければ始まらない。
前世でやり込んだゲームなら、メニュー画面を開けば『ステータス』という便利な項目があった。MP、攻撃力、防御力、INT、DEX……あらゆる能力が、忌々しいほど分かりやすく数値化されていた。
さっき、試しに頭の中でステータス画面を開くようイメージしたが、そんなものは存在しなかった。
どうやらゲームと違って、現実ではステータスなんて存在しないようだ。
これでは、自分の魔力がどれくらいあるのか。魔法をどれだけ精密に扱えるのか。今のオレには、それを知る術すらない。
これではゲームの知識がどこまで通用するのかも、正直なところ未知数だ。
手探りで、一つ一つ検証していくしかないのか。
「……まずは、これか」
オレは懐から、一つのアイテムを取り出した。
さきほど、セバスに頼んで持ってこさせた、手のひらサイズの水晶玉だ。『簡易魔力測定水晶』という、貴族なら誰もが持っている代物らしい。
自室の扉にしっかりと鍵をかけ、誰にも見られない状況を作り出す。
用心するに越したことはない。原作のカイゼルがどんな末路を辿ったか、オレは嫌というほど知っているのだから。
水晶をそっと握りしめ、体内のマナをゆっくりと注ぎ込んでいく。
すると、水晶は淡い青色の光を灯し始めた。
「9歳の貴族の平均が、この『青』。まあ、こんなもんか」
さらに魔力を注ぐと、光はすぐに『緑』に変わる。
ここまでくれば、そこそこの才能持ちだ。貴族学院でも優等生になれるだろう。
だが、オレのマナはまだ底が見えない。
さらに魔力を流し込むと、緑の光は『黄色』へと変化した。
「黄色……学院の上位陣、騎士団の魔術師クラスか」
それでもまだ、止まらない。
水晶は、やがて燃えるような『深紅』に染まった。
「……赤、だと?」
思わず、息を呑む。
ゲーム知識によれば、この色は王宮魔術師団のエース級、あるいは英雄譚に名を残すほどの魔術師が到達する領域のはずだ。
それを、わずか9歳の子供が……?
オレは自分の才能に驚愕しつつも、同時に冷静に頭を働かせていた。
確かに、これは規格外の魔力量だ。
だが、最強には程遠い。
ゲームには、さらに上の領域が存在した。
大陸最強と謳われた大賢者や、伝説の勇者。彼らが魔力を使う時、水晶は『虹色』に輝いたという。
それに比べれば、この『赤』など、まだ入り口に立ったに過ぎない。
問題は、この莫大なだけの魔力を、どうやって鍛え上げていくかだ。
原作のカイゼルは、この才能を腐らせた。傲慢さゆえに努力を怠り、ただ強力な魔法ばかりに固執して、基礎を疎かにした。結果、魔力のコントロールは雑なまま、宝の持ち腐れとなった。
だが、オレは違う。
そういえば、と思い出す。
ゲームでのカイゼルは、初期MPこそ高かったが、他の魔力関連ステータス――魔法の威力を司るINTや、精度と速度に関わるDEX――の成長率が、絶望的なまでに低く設定されていた。レベルをいくら上げても、まるで才能がないかのように伸び悩むのだ。
だが、それはあくまでも、カイゼルが傲慢で努力を怠ったという性格をふまえたうえでの、ステータスのはずだ。
だったら、傲慢さを改めて努力さえすれば、覆すことができるはず。
むしろ、オレには圧倒的なアドバンテージがある。
この世界の魔術師たちが知らない、ゲームの知識だ。
だったら、やるべきことは明確だ。
闇雲な努力ではない。ゲーム知識を応用した、誰よりも効率的な訓練で、誰よりも早く強くなる。
まあ、ステータス画面がないように、この世界がゲームとまるっきり同じではないようなので、ゲーム知識が通じない可能性もあるが、まずは一つずつ確かめていけばいいか。