川沿いの街道がゆるく曲がった先で、金属がぶつかる音。馬のいななき、怒鳴り声。
焦げた匂いが風に混じった。
「ユウキ、前っ……! 危ない、かも」
エリカが袖をきゅっと引く。スミオが俺の肩で「ぷる」と震えた。
茂みの隙間からのぞくと、馬車が斜めに止まっていた。
片輪は外れ、御者台には血のにじむ男。護衛は二人とも倒れている。
黒布の盗賊が四、五人、扉金具に刃をこじ入れていた。
「中、いるな」
「行くの?」
「——行く」
草を蹴る。折れた木剣の柄を握り直す。エリカは左へ回り、スミオは「ぽん」と跳ねて低く構えた。
「おい、誰だ!」
刃が振り上がる。カン、と手首をはたく金属音。刃が逸れ、肩口を突くと男がよろけた。
「なめんな!」
横合いからもう一人。
「スミオ!」
「ぷるん!」
目の前で“ばちん”。透明な膜が一拍だけ広がり、盗賊の視界が詰まる。「っ……!」と顔が反れる。その膝裏を払って崩す。
「馬を抑えて!」
エリカの指が走る。小さな光輪が開き、突っ込んできた足首を絡めた。
「なんだこれ――!?」もがいた拍子に地面へ転ぶ。
「無事ですか!」
扉に叫ぶ。返事はない。
——その瞬間、こじ開けられた隙間から刃先。白い袖が紙みたいに裂けた。「きゃっ!」短い悲鳴。
「やべ——!」
体が先に滑り込む。
肩で扉を押し込みながら、折れ柄で刃をぐっと押し上げる。
肘が痺れる衝撃。あと一拍遅ければ刺さってた。
「こっちは任せて!」
エリカの声。
斜めから薄い壁が立ち、盗賊の刃が澄んだ音で弾かれる。足元には細い線が走り、踏んだ足首だけが重くなる。
「右、スミオ!」
「ぷるっ!」
側頭部に体当たり。盗賊の頭がぐらりと傾く。
「退け!」
最後の一人が御者台へ走る。盾に——させるか。
「エリカ!」
「うん!」
御者と盗賊の間に結界が立つ。
跳ね返った刃が手から抜け、ガランと転がる。
「今だ!」
胸を押し倒し、手首をはたく。剣は土に沈んだ。
息が荒い。喉が焼ける。——間に合った。
心臓が走ってる。
「引け!」
ひとりが舌打ちして森へ。
「ぷるっ!」
スミオが矢みたいに飛ぶ。
「やめろ!」
抱き止めると、小さな体が腕の中で跳ねた。
「追うな。手当が先だ」
「……ぷる」
名残惜しそうに森をにらんで、スミオは戻る。
御者の脈は弱いがある。
「扉、開けてもいいですか」
ノック。鍵の音。少し開いた隙間から、若い女の子の顔。
金飾りのドレスは泥に汚れ、裂けた袖口をきゅっと握っている。それでも背筋はまっすぐだった。
「……助けていただいて、ありがとう」
震えた声なのに、目は逸らさない。息を整えると、きっぱりと言った。
「私はリディア。近隣領の屋敷へ向かう途中でした。護衛は倒れ、御者もこの通り。失礼を承知でお願いするわ。近くの村まで、送っていただける?」
貴族の言葉。礼を言い、線は崩さない。強い子だ。
「村はここから半刻ほど」
エリカが川を見て言う。
「行けるよね?ユウキ」
「ああ」
「その前に手当を」
エリカが御者を結界の内側へ。掌の薄い光が傷をなぞる。血が収まり、呼吸が浅く整う。
「助かるわ。あなたたちは……旅の者?」
「そんなところ」
「礼は必ずする。今は何も出せないけれど……判断は、評価してあげる」
強がりの硬さ。その手は、裂けた袖をまた握りしめていた。
「ぷる」
スミオが手の甲に“ぺとん”。
「……かわいい。あなたがいちばんの勇者かもしれないわね」
「ぷるっ」
馬を落ち着かせ、車体を押し上げ、石で支えて水平に戻す。御者台は俺。
手綱は重いが、馬は素直だ。
エリカは左を歩き、リディアは中。スミオは御者台と窓の間を往復する。
「さっき、よく動けたな」
「ユウキが先に走ったから。——迷わなかった」
「そっちのが早いだろ」
「今日は、あなたが早かった」
照れくさい。けど、悪くない。
街道に戻る。風が少し冷たい。車輪のリズムと、川の音。
「あなた方はどちらへ?」
リディアの声。
「次の町。宿があるって聞いた」
「なら途中の村で一泊を。道が荒れてる場所があるの。日暮れは危ないわ」
「助かる」
「当然よ」
短く言って黙る。窓から見える彼女の指先が、ぎゅっと組まれてはほどけた。まだ怖いはずだ。
「護衛は……助かる?」
「ひとりは大丈夫。もう一人は——」
エリカが言葉を選ぶ。リディアは目を伏せて、すぐ持ち上げた。
「仕方ないわ。先に進みましょう」
林の切れ間から屋根がのぞく。小さな村だ。
「怪我人だ、誰か!」
呼ぶとすぐ人が集まる。台車、水、布、薬草。手際がいい。
「部屋、貸せますよ」年配の女。
「お願いします。費用は私が——」
リディアは財布に触れて、そこで俺を見た。小さく息を吐く。
「……後日、必ずお支払いします」
「礼なんていらないよ。困った時はお互いさま」
女は笑う。リディアはきちんと頭を下げた。さっきより表情が柔らかい。
広場の端で腰を下ろす。水で埃を落とす。スミオは子どもたちに囲まれ、「つん」と順番に挨拶。
リディアが歩いてくる。
「改めて、ありがとう」
「無事でよかった」
口にした途端、遅れて緊張が抜けていく。あの刃先が、まだ頭の隅に残っていた。
「明日、屋敷までの案内人を頼みます。よければあなた方も一緒に。途中までで構わない」
視線が俺に向く。俺はエリカを見る。
「行こう」
エリカが頷く。
「助かるわ」
リディアは短く息をつき、また背筋を伸ばした。強さと弱さが並んで見える。
夕焼けが畑の端に落ちる。家々から立つ煙は温かい匂い。
「スミオ、今日は働いたな」
「ぷるっ」
胸を張る音色。エリカがくすっと笑い、俺もつられた。
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