第04話:シャンパンタワーの崩壊
オークション会場の華やかな照明が、美咲の頬を青白く照らしていた。
ステージ上で、暁斗が美影の耳元に何かを囁く。美影は恥じらうように微笑み、暁斗の腕に身を寄せた。司会者が次の出品物を紹介する声が響く中、二人だけの世界を作り上げている。
「次は、ミャンマー産の最高級翡翠を使用した腕輪です。開始価格は五百万円から」
美影が暁斗の袖を軽く引いた。その仕草だけで、暁斗の表情が変わる。
「一千万」
暁斗の声が会場に響いた。周囲がざわめく。開始価格の倍額での入札に、他の参加者たちは諦めたように手を下ろした。
「一千万円で落札です!」
拍手が起こる中、美影は嬉しそうに暁斗にキスをした。その光景を見つめながら、美咲の後ろで女性たちの声が聞こえてくる。
「あの女性、夜刀社長の婚約者じゃないの?」
「ええ、でも社長は家の都合で婚約させられただけよ。本当に愛しているのは、あのステージにいる美人の方」
「相手の女は耳が聞こえないし、釣り合うわけないものね」
その一言一句が針となって美咲の胸を刺した。呼吸が浅くなる。このままここにいたら、きっと倒れてしまう。
美咲は静かに席を立った。
展示ホールは、オークション会場とは対照的に静寂に包まれていた。ガラスケースの中で、様々な宝飾品が美しく輝いている。
美咲は一つのケースの前で足を止めた。ピンクダイヤモンドの指輪。暁斗から贈られたブローチと同じ色合いだった。
そうだ。あのブローチを売ろう。
「美しいものに心を奪われていらっしゃいますね」
振り返ると、品のいい紳士が立っていた。五十代前半と思われる男性で、落ち着いた雰囲気を纏っている。
「これほどのものをお求めになる、その審美眼をお持ちの方にこそ、ぜひご覧いただきたいものがあるのですが」
美咲は胸元のブローチに手を当てた。
「もしよろしければ……」
男性の目が、美咲のブローチに注がれる。その瞬間、彼の表情が変わった。
「これは……見事な品ですね」
優奈が言っていた。夏川(なつかわ)隼人(はやと)という著名な収集家がいると。もしかして、この方が……。
飲食エリアで休憩していると、高いヒールの音が近づいてきた。
「あら、こんなところにいたの」
振り返ると、美影が立っていた。翡翠の腕輪を身につけ、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「みすぼらしい格好ね。シンデレラにでもなったつもり?」
美影の視線が、美咲の普段着を上から下まで舐め回す。
「でも安心して。もうすぐ、あなたの役目は終わるから」
その時、美影の表情が変わった。美咲が振り返ると、暁斗がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
美影の態度が一変する。先ほどまでの高慢さは消え、か弱い女性を演じ始めた。
「美咲さん、お疲れ様」
美影は美咲に近づくと、わざとらしくよろめいた。
「きゃあ!」
美影が美咲に倒れ込む。その瞬間、美咲は美影の目に宿る計算高い光を見逃さなかった。
ガシャーン!
巨大なシャンパンタワーが崩れ落ちた。グラスが砕け散り、シャンパンが飛び散る。美咲の膝に鋭いガラス片が突き刺さり、血が流れ出した。
「美影!」
暁斗が駆け寄ってきた。しかし、彼が向かったのは美影の元だった。
「大丈夫か?怪我はないか?」
暁斗は美影の体を抱き起こし、心配そうに見つめる。美影は暁斗の胸に顔を埋めた。
「暁斗……怖かった」
暁斗の視線が、ようやく美咲に向けられる。血を流して倒れている美咲を見下ろしながら、彼の口から出たのは心配の言葉ではなかった。
「君は、どうしてここにいるんだ?」
その冷たい問いかけに、美咲の心が凍りついた。
暁斗は美影を抱きかかえると、近くにいたウェイターに命じた。
「あちらの女性を病院へ」
そして、二度と振り返ることなく視界から消えていった。
美影が暁斗の肩に寄りかかりながら、美咲に向けた挑発的な笑みが見えた。
美咲は床に倒れたまま、天井を見つめていた。ここを去るという決意が、さらに固まる。愛の重さの圧倒的な差を、これほど痛烈に思い知らされたことはなかった。
その時、誰かが美咲の体に上着を掛けた。