Kapitel 5: 唇の一塗り

Redakteur: Pactera-novel

エレベーターに乗った途端、菜月は少し後悔した。

中には既に五、六人の人間がいた。皆、岩崎彰仁について入ってきた連中だ。菜月と彰仁が最後に乗り込んだため、二人は入り口の最も近くに並んで立つことになった。他の者たちは意識的に距離を取っていたが、その有形無形の視線は一瞬も彼女の背中から離れない。皆、彼女と彰仁の関係を詮索しているようだった。

エレベーターは上昇を続け、誰も口を開かなかった。時折、誰かが小さく咳をしても、それはわざと控えめなものだ。空気は凝固し、息が詰まりそうだった。

「チン──」

エレベーターが停止し、外にはインクカートリッジとA4用紙の箱を抱えた男性が立っていた。中に入ろうとして顔を上げ、中の人物を見て足を止めた。「岩崎社長……」

彰仁が少し後退し、一人分のスペースを空けた。「どうぞ。朝のラッシュで大変でしょう」

男性が抱える大きな箱のせいで、エレベーター内は一気に狭くなった。菜月は否応なく後退し、さらに横へずれようとした時、腕が誰かに触れた。

「すみま……」振り返って謝ろうとした瞬間、エレーターが動き出した微かな揺れで、彼女の鼻先が男性の顎にかすりそうになった。同時に、かすかな清涼な香りが鼻をくすぐった。

菜月が状況を理解する前に、彼女の肩に大きな手が置かれた。長く力強い指が彼女の両肩を捉え、体勢を安定させてくれる。まるで彼に軽く抱き寄せられているかのようだった。

菜月は今度は顔を上げる勇気もなく、感謝の言葉が喉で詰まった。視界の端には、男性の白いシャツの襟元と、わずかに突出した喉仏が入った。妙に官能的に感じた。

顔を上げなくても、肩に触れた手が誰のものかは分かっていた。エレベーター内の全員が、見て見ぬふりを決め込み、目は鼻、鼻は心という様子だ。エレベーターが再び停止し、オフィス用品を抱えた男性が降りると、菜月はすぐに後ろへ一歩下がり、気付かれないように彼の手から離れ、表示盤をじっと見つめるふりをした。

彰仁は何も言わず、片手をスーツのポケットに突っ込み、もう一方の手でライターを弄んでいた。

ようやくエレベーターが27階に到着し、ドアが開くと同時に、菜月は急いで外へ飛び出し、振り返って一礼した。「ありがとうございました、岩崎さん。失礼します」

ゆっくりと閉まりゆくエレベーターのドアの隙間から、彰仁の深遠な眼差しが見えた。

……

男性たちがエレベーターから出ると、秘書は社長の一連の行動に驚きつつも、機転を利かせて沈黙を守った。あの娘は若く見えたが、顔立ちは非常に整っている。岩崎社長は豪華な料理に飽き、素朴な家庭料理に興味を持ったのか？

そう思いながらも、口にしたのは業務連絡だった。「岩崎社長、若様の転校の件について……」

言葉が途中で止まった。

彰仁が横目で秘書を見た。その視線を追って、秘書は社長のシャツの襟元に目を落とした。白い襟に、鮮やかな桃色の口紅の跡がついている。まるで咲き誇る桃の花のように、人の想像を掻き立てる……

オーディション会場に着くと、廊下には既に多くの人だかりができていた。マネージャーと一緒に来ている者も多く、美男美女が目を楽しませてくれる。

それに比べ、菜月の装いはさほど目立つものではなかった。

座る場所を探していると、携帯が鳴った。以前オーディションを通知してきた内線番号だ。

「村上さん、到着されましたか？」

「廊下にいます」

相手は一瞬沈黙し、電話から離れたようだった。しばらくして声が戻った。「お見受けしました。少々お待ちください」

菜月が電話を切り、辺りを見回すと、白いスーツを着た女性が電話を持ち、笑顔でこちらへ歩いてくるのが見えた。

菜月の前まで来ると、彼女は言った。「監督はプロデューサーと打ち合わせ中です。オーディション開始はあと30分後になります。これが本日の試験シーンの台本です。お得意のものを一つお選びください」

菜月は呆然と彼女を見つめた。相手は指を唇に当て、「シーッ」と言った。「お声は出さず、ご自身でお読みください」そう言うと、何事もなかったように立ち去った。

菜月は少し呆然としたが、立ち上がって洗面所に向かった。

人のいないうちに開封すると、それは紛れもなく『錦繍の時代』の台本だった！

撮影前の台本流出は業界では大禁忌である。相手は映画会社の人間だから、菜月よりそれをよく理解しているはずだ。それなのに、このようなカンニング行為を堂々と行うのは、あたかも菜月が必ずオーディションに通り、撮影チームの一員になると確信しているかのようだ。

しかし、彼女は相手を知らない。なぜここまで親身に手助けしてくれるのだろう？

菜月は鏡の前で前髪を整えた。素顔に近いその顔は、確かに清楚だが、どこに大ブレイクの要素があるというのだろう。あれ…口紅が所々ではげている。

菜月は鏡に近づき、バッグから口紅を取り出して唇を塗り直した。

青春の輝きを放つ桃色の口紅が、彼女の顔を一層明るく見せた。

炎呈エンターテインメントの工藤社長は会議室のガラスドアを開け、恭しく中からの人物を迎えた。「このような些細な件で岩崎社長にご足労いただき、誠に申し訳ございません。今後何かご指示がございましたら、私に直接お申し付けください」

明爵が炎呈を買収して以来、工藤社長は新しい社長に取り入ろうと様々な手を尽くしてきたが、贈り物も美女も全て「業務に集中してください」の一言で跳ね返されてきた。そのため工藤は常に身の危険を感じ、いつ荷物をまとめて追い出されるかと怯えていた。今回社長が直々に視察に訪れたため、あの手この手で取り入ろうとするその卑屈な態度は、側にいる秘書も見ているに耐えなかった。

「岩崎社長が初めてご来訪ですので、ご案内いたしましょうか？」

彰仁は表情を変えなかった。高位の者として、様々な媚びへつらいには慣れている。「では、お願いします」

「とんでもございません。光栄に存じます」

一行が列をなして進み、エレーター前に近づいた時、彰仁は突然足を止め、廊下の奥の方を見つめた。

彼が止まると、周囲の全員が恭しく立ち止まった。

「あちらでは何を？」

「あ、『錦繍の時代』のオーディションでございます。この作品には明爵様もご出資いただいておりますが、ご覧にいかがでしょうか？」工藤社長は即座に誘い、同時に秘書に目配せして準備を促した。

オーディションは既に半分が終了していた。

『錦繍の時代』は、前朝時代の名家の御曹司である福田雅人（ふくだ　まさひと）と、山曲の女優である斎藤文香（さいとう　ふみか）の恋物語である。菜月が演じる上野由美（うえの　ゆみ）は文香と同じ劇団に所属し、雅人と文香の駆け落ちを助ける重要な役柄だった。

菜月とこの役を争う他の二人は、いずれも作品経験のある業界のベテランだが、共通して常に脇役であり、観客からの人気はさほど高くなかった。

菜月の名前が呼ばれ、立ち上がって中に入ろうとした時、突然肩が誰かにぶつかった。相手は中へ駆け込みながら叫んでいた。「急いでお茶を出せ！席を準備しろ！大物社長が来るぞ！」

審査席の監督とプロデューサーは顔を見合わせた。