翠の懇切な様子に、「京州大学の近くに、全額払いマンションが欲しい」と結衣は言った。
「問題ない」翠は考えるまでもなく承諾した。
「6千万」
「何ですって?」
「お金額、6千万」
「あなたが恐喝をしてるの?」絵美は聞いていられず、結衣を指差して罵り始めた。「別れるだの、婚約破棄だの、あなたは最初から目的があったんでしょ!家からお金を巻き上げようとしてるだけじゃないの?」
「見たことないわ、あんたみたいな厚かましい人なんて」
「あなたのお小遣いが月6千万。バッグを買ったり好きなアイドルのライブに行く費用も含まれないし。私の6千万円がなんだって言うんだ!?」
結衣は口に出して言うことができなかった。自分が田舎で週に400円で暮らしていた頃、絵美は安藤市で一晩にホストに大変な額を散財したのだ。
彼女がそんなことを気にしたことがなかった?
「私と比べられるわけがないでしょ?」
「どこが違うっていうの?」
「ええと…」
結衣に聞き返され、絵美は言葉に詰まった。
これは初めてだった。
今までは絵美が何を言っても、結衣は従い、彼女に罵られても笑顔で謝り、彼女を宥めていたものだった。
こんな風に言い返されて、絵美はたちまち不満を漏らした。
「お母さん、見てよ。彼女はこの件でお金を脅し取ろうとしているのよ。承諾しちゃだめよ。彼女の思い通りにさせないわ」絵美は翠の腕を掴みながら、また涙を流し始めた。
翠は眉をひそめた。「条件があれば話し合えばいいじゃない。妹に怒鳴る必要はないでしょ」
「私の条件はこの二つだけ。受け入れられないなら、松永奥様を説得して婚約者を変えてもらえればいいわよ」
結衣は翠の非難の視線を無視し、自分の部屋に戻ろうとした。
「待ちなさい」翠は立ち上がった。
「絵美、玄関のドアを閉めてきなさい」翠は命じた。
「お母さん…」
「早くしなさい!」
絵美は不機嫌に足を踏み、結衣をひと睨みすると、玄関のドアを閉めに行き、野次馬の人々の視線を遮った。
「あなたのその二つの条件を承諾する。すぐに手配してあげるわ」翠は結衣を見つめて言った。「でも、あなたにはやらなければならないのは、婚約を承諾するだけではないわよ」
「どういう意味?」
「今日あなたが悠人を追い払ったんだから、あなたが悠人に婚約を承諾してもらいに行かないとね」
「婚約が変更はできないとでも思ってるの?悠人は私たちとは違う。彼を怒らせたら、婚約パーティーを台無しにする可能性だってあるわよ。三男様は彼の叔父よ。彼に文句を言う勇気がある人なんていないでしょ?」と翠は付け加えた。
「あなたの条件を承諾する代わりに、あなたは悠人の機嫌を取り、この婚約パーティーがスムーズに華やかに行われるように。」
この言葉に結衣が理解した。
彼女はしばらく考えた後、最終的に同意した。「わかったわ」
「でもまず6千万を振り込んでほしい」
「まず6千万振り込むわ。悠人と仲直りしたら、マンションもすぐに手に入るわ」小林翠は携帯を取り出し、結衣に振り込んだ。
「わかった」
結衣は振り返って部屋に戻った。
オンライン送金はとても速く、6千万円は数分間で結衣の口座に入金された。
彼女は操作して、6千万円を松永奥様の銀行口座に振り込んできだ。
同時に松永奥様に電話をかけ、会う約束をした。
一時間後。
結衣は松永奥様とカフェで会った。
松永奥様は非常に優雅な女性で、アンティークなチャイナドレスを着るのが好きで、髪を結い上げ、一挙手一投足に名家で育まれた優雅な風情を漂わせていた。
彼女は結衣を見るたびに、いつも優しく微笑んだ。「結衣、おいで、ここに座って」
「あなたの好きなプチケーキと、ミルクティーを注文しておいたわ」
「試してみたよ。甘すぎずさわやかで、あなたの好みに合っているかと」
結衣はミルクティーとプチケーキが好きだが、甘すぎるものは苦手だった。
そんな好みを松永奥様は四年間も覚えていた。
「ありがとう、叔母さん」
松永奥様の本名は岡田葵(おかだ あおい)で、知り合って以来結衣にこう呼ばせていた。
葵は彼女を隣に座らせ、彼女の頬に撫でた。「最近痩せたわね?」
「叔母さんが用意してくれるプチケーキがなかったからです」結衣は柔らかく笑った。
「もう、口が上手いわ」
葵はケーキを結衣の前に置き、また結衣の好きな食べ物をいくつか注文した。
彼女は結衣の頭をなでながら、力ない様子で言った。「私たちの結衣は最近辛い思いをしたのね」
その一言で、結衣の目は潤んだ。
心の悲しみがどうしようもなく広がっていった。彼女がずっと堪えていた。
「大丈夫よ、叔母さんの前では我慢しなくていいの。結衣だってまだ十八歳の女の子なのよ」
結衣はスプーンを強く握り、黙って食べ物を口に運び、その悲しみをやわらげ、涙が落ちないようにした。
葵は愛おしそうに彼女の頭をなでた。「悠人が何をしでかしたか私も知っているわ。安心して、叔母さんが判断するから」
「松永家の奥様の座は、結衣だけのものよ」
結衣は目を閉じ、深呼吸して気持ちを整えた。
「特に弟にも婚約パーティーに参加してもらうのは、結衣が松永家でどれだけ大切にされているかを皆に伝えたいの」
葵は彼女と岡田彰の間の兄妹の関係はそれほど深くないことを言わなかった。
彰はどうやら生まれつき冷淡で、誰とも親しくしなかった。
異母姉の葵がこの弟を動かせたのは、岡田家の権力争いの時に、松永家の反対を押し切って自分の所有していた岡田家の株をすべて彰に譲渡し、彼を支持する原動力になったからだった。
結衣は感情を落ち着かせ、葵に向かって言った。「叔母さん、ありがとうございます」
「心からあなたが私の家に入るのを願っているの。私は生涯仏を信じているんだから、信仰にかけて約束するわ。この先ずっとあなたを実の娘として扱い、私が生きている限り、あなたに松永家で少しの辛い思いもさせない」
結衣はずっと堪えていた涙が、あふれ出てきた。
大粒の涙ををぽろぽろとこぼした。
悠人が多くの女性と寝たことを知った後、結衣は受け入れられなかったが、断固として別れを告げることもなかった。
彼女は、葵にまだ未練があって、他人に可愛がられたいのだ。
十八年の人生で、彼女は薄氷を踏むように、少しずつ卑屈に愛を求めてきた。
葵の寵愛と悠人の世話を受けた彼女は、ずっと慎重にその愛情を大切にし、自分が耐えられないのを怖く、相手を失望させたない。
葵の愛は重く、そして誠実だった。
おそらく彼女は、愛される資格がなかったのだろ。
「結衣、この件は私に任せて」
葵はティッシュを取り出し、結衣の涙を拭いてあげた。
その後、側に控えている人に命じた。「彼をここに連れてきなさい」と引き締めた。
次の瞬間、悠人が両手を縛られて中に押し込まれてきた。
結衣は驚きの表情で葵を見つめた。
「何年を経っても、俺の母さんに告げ口するしかできないのか?」悠人は怒ってるような顔で結衣を責めた。葵がこのようなことをするのは、結衣が唆したのだと思い込んでいた。
彼女は彼を侮辱していると!
「松永悠人!」葵は厳しい声で警告した。「あんたをここに呼んできたのは、結衣に謝罪させるためなのよ」
「あいつは何様つもりか、俺に謝れって?」悠人は冷笑した。「この四年間、母さんの言う通りにあいつの面倒を見てきたんだ。それでも足りないのか?」
「この田舎者が、俺の四年間の世話を受けておいて、最後には俺に意地を張るなんて、笑わせるな」
「松永悠人、最後のチャンスを与えるわ。結衣にきちんと謝りなさい」
葵は最後の警告を発した。「よく考えなさい。あなたのバーや、車、そして学校で受けた特別待遇、これらが要らないの?」
普段、このような警告をしたら、悠人はすぐに妥協していた。
しかし今日は違った。
「この件に関しては俺は妥協しない。もう叔父さんに連絡して、俺の味方になってくれとお願いした!」
悠人は今回、後ろ盾を見つけ、強気になった。
言い終わった後、使用人が葵に報告しに来た。「奥様、三男様がお見えになりました」