第6話:偽りの歓迎宴
退院の日、結衣は病院の玄関で怜を待っていた。白いワンピースに身を包み、首元には例のネックレスを着けている。贋物だと知っていても、外すわけにはいかなかった。
「お疲れさま」
怜が現れ、結衣の肩を優しく抱いた。その仕草は完璧で、通りすがりの看護師たちが羨望の眼差しを向けている。
「みんなが君の帰りを待ってる」
車の中で怜が言った。結衣は窓の外を見つめながら頷く。
自宅に着くと、玄関先から賑やかな声が聞こえてきた。怜の会社関係者や近所の人々が集まっている。
「結衣さん、お帰りなさい!」
「心配していました」
口々に声をかけられる中、結衣は上品な微笑みを浮かべて応えた。
リビングには豪華な料理が並んでいる。新しく雇われた栄養士が用意したものだった。
「君が味見するまで誰も食べられない」
怜が結衣の手を取り、特等席へと導く。周囲から感嘆の声が上がった。
結衣は料理に箸をつけた。味は感じなかった。
会場の一隅で、魅音が嫉妬に満ちた視線を向けているのが見えた。
――
宴が進む中、デザートが運ばれてきた。美しく盛り付けられたミルフィーユの数々。
栄養士が各テーブルを回り、一人ひとりの前に皿を置いていく。
魅音の前に置かれたミルフィーユは、一切れ欠けていた。
「あの……」
魅音が栄養士を呼び止めようとしたが、既に厨房へ戻ってしまっている。
「お腹が空いて」
魅音は周囲を見回した後、そのケーキを口に運んだ。
「行儀が悪いわね」
「みっともない」
小さな囁き声が会場に広がった。魅音の頬が赤く染まる。
結衣は無表情でその光景を見つめていた。
――
「少し疲れました」
結衣が立ち上がろうとした時、足がもつれた。
体が前に倒れ込み、魅音を巻き込んでケーキの中に突っ込んだ。
クリームが飛び散り、二人の服が汚れる。
「結衣!」
怜が駆け寄り、結衣を抱き起こした。その時、結衣の手の甲に触れてしまう。
「痛っ」
点滴の針跡に触れられ、結衣が小さく声を上げた。
怜の表情が一変した。
「魅音」
低い声で魅音を見下ろす。
「このデザート作った栄養士、君にやる」
会場が静まり返った。
「三年間、毎日欠かさず食え」
常軌を逸した罰の宣告。だが怜の視線は、魅音から離れなかった。
結衣はその視線に気づいた。未練が混じっている。
すべてが芝居だった。
――
人目のない廊下で、怜が結衣を問い詰めた。
「俺は絶対に君を疑わない。だが結衣、嫉妬まじりの小細工はやめろ。君らしくない」
矛盾した言葉。信じると言いながら、全く信じていない。
「私を信じていないのね」
結衣の静かな宣告。
怜のスマートフォンが鳴った。彼は結衣に背を向け、電話に出て行ってしまう。
――
結衣は一人、席に戻った。白けた宴で、無心に料理を口に運ぶ。
やがて吐き気が込み上げてきた。
トイレに駆け込み、便器に向かって吐いた。
流れていくのは先ほどの料理と、感情を抑えるために飲んでいた白い錠剤だった。
結衣は便器の縁に額を押し当てた。
もう何も残っていない。
薬さえも、体が受け付けなくなった。