第10話:思い出の家
[氷月刹那の視点]
かえでが去った後、俺は火葬場の駐車場で一人立ち尽くしていた。
雫の骨壺は、もう俺の手にはない。
最後の遺言まで、俺を拒絶していた。
「どこに行けばいい......」
車のキーを握りしめる。
家に帰っても、綾辻がいる。
会社に行っても、仕事が手につかない。
気がつくと、俺は無意識に車を走らせていた。
見慣れた住宅街。
そして——
俺たちが最初に住んだ、あの家の前に車を停めていた。
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思い出の家の前には、リフォーム業者のトラックが数台停まっていた。
作業員たちが、家財道具を次々と運び出している。
「おい、何をしている」
俺は作業員の一人に声をかけた。
「あ、お疲れさまです」
作業員が振り返る。
「綾辻様からの指示で、家の中を片付けております」
綾辻。
またあの女か。
「勝手に何をしている」
「え?でも、綾辻様が家主だと......」
俺は作業員を押しのけ、家の中に入った。
リビングは既にがらんどうになっている。
雫と一緒に選んだソファも。
二人で組み立てたダイニングテーブルも。
すべて消えていた。
「やめろ!」
俺は叫んだ。
「全部元に戻せ!」
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[氷月刹那の視点]
「すみません、でも綾辻様からの指示で......」
「綾辻の指示なんか知るか!」
俺は作業員を睨みつけた。
「俺がこの家の本当の持ち主だ」
廊下の奥で、別の作業員が何かを運んでいる。
段ボール箱だった。
その中に、見覚えのある額縁が見えた。
「待て」
俺は駆け寄り、段ボール箱を奪い取った。
中から出てきたのは——雫が描いた水彩画だった。
若い頃の俺が、桜の木の下で笑っている絵。
額縁の裏に、雫の字で書かれたメッセージがあった。
『このままずっと、あなたと年老いていきたい。』
18歳の誕生日。
雫が俺のために描いてくれた、最初のプレゼント。
「これを......これを捨てようとしていたのか......」
怒りが込み上げてくる。
俺は作業員たちを見回した。
「一ヶ月やる」
「え?」
「いいか、この家を一——あの頃のままに戻せ。一分一秒、寸分も違わずだ」
作業員たちが困惑した顔を見合わせる。
「でも、綾辻様の指示が......」