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33.33% 夫のそばで、私は盲目を装い続ける / Chapter 8: 第8話:決別の朝

Capítulo 8: 第8話:決別の朝

第8話:決別の朝

葵は別荘の玄関で、小さなハンドバッグを手に立っていた。

十年間過ごしたこの家を出る準備は、驚くほど簡単だった。持っていくものなど、ほとんどない。思い出も、愛情も、もうここには残っていなかった。

玄関のドアが開く音がした。

「ただいま」

零司の声だった。続いて蒼の元気な声と、そして依恋の甘い笑い声が響く。

葵は振り返らなかった。

「お母さん!」

蒼が駆け寄ってきて、葵の腰に抱きついた。その小さな体から、まだ旅行の興奮が伝わってくる。

「お土産買ってきたよ」

蒼が差し出した小さな箱を、葵は無造作に玄関の棚に置いた。

「葵」

零司が近づいてきて、葵の肩に手を置こうとした。だが葵は、さりげなくその手を避ける。

「病院に行く時間だから」

葵の声は平坦だった。

「話は帰ってから」

零司の表情が困惑に変わった。妻の冷たい態度に、何かを察したのかもしれない。だが葵はもう、彼の感情など意に介さなかった。

---

車内は重い沈黙に包まれていた。

後部座席で、葵は窓の外を見つめている。蒼は隣で、旅行の話をしようとしたが、母親の無反応に次第に静かになった。

「そういえば蒼、幼稚園の研修旅行って、そんなに早く帰れるの?」

葵の何気ない一言が、車内の空気を凍らせた。

零司の手がハンドルを握る力が強くなる。蒼は慌てたように口ごもった。

「あ、えっと……」

嘘がばれた瞬間だった。

葵は何も言わなかった。ただ静かに、前方を見つめている。

その時、零司のスマートフォンが鳴り始めた。

一度、二度、三度。

零司は画面を見もせずに電話を切る。だがすぐにまた鳴り始めた。

十回、十五回。

執拗に鳴り続ける電話に、零司の表情が次第に険しくなっていく。額に汗が浮かんでいるのが見えた。

ついに零司が電話に出た。

「もしもし」

相手の声は聞こえないが、零司の顔色が一瞬で変わった。

「わかった。すぐに行く」

電話を切ると、零司は運転手に声をかけた。

「車を止めてくれ」

---

車は市外の海辺近くの道路脇に停まった。

「葵、すまない。会社で緊急事態が起きた」

零司の声は焦っていた。

「蒼を連れて、すぐに戻らなければならない」

葵は静かに零司を見上げた。

「行かないでって言ったら?」

その瞬間、葵は零司の服の裾を掴んだ。

零司は一瞬躊躇した。だがすぐに、葵の手を振り払う。

「いい子で待ってて。すぐに迎えに来るから」

嘘だった。

葵は知っている。電話の相手が依恋だったことを。そして零司が、もう二度と迎えに来ないことを。

車のドアが閉まる音。エンジンがかかる音。

そして、タイヤが砂利を蹴って走り去る音。

葵は道路脇に一人、立ち尽くしていた。

海風が頬を撫でていく。

数分後、大型トラックが現れた。運転手が降りてきて、荷台から何かを降ろす。

女性の遺体だった。

「目を閉じて」

誰かが葵の目を手で覆った。美緒の兄だった。

鈍い音が響いた。

トラックのタイヤが、遺体を轢く音。

葵は心の中でつぶやいた。

この先の人生で、彼らがこの光景を思い出すたび、胸が裂けるほど後悔すればいい。

「行きましょう」

男性の声が聞こえた。

葵は振り返ることなく、その場を後にした。

白咲(しらさき)葵は、この瞬間に死んだ。

そして新しい人生が、今始まろうとしていた。


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