Capítulo 8: 岩崎さんの腕時計は1億6千万円以上だよ
Editor: Pactera-novel
契約書を交わす日、須藤景子は菜月に付き添った。
彼女にはマネージャーがついていないため、景子は騙されやしないかと心配し、知恵袋役として同行したのだった。
炎呈側はプロデューサーの山崎珠美自らが対応し、法務部の担当者二人も同席して、契約書の内容を菜月の疑問点に一つ一つ丁寧に説明した。
非常に格式ばった、きちんとした雰囲気だった。菜月と景子は視線を交わし、景子がうなずいてサインを促す。
菜月は契約書の下部に自らの名前を記し、指印を押した。これで彼女の初めての映画契約が成立した。
珠美は彼女と契約書を交換し、終えると改めて説明を加えた。「正式な撮影開始は来月20日です。小規模なクランクイン式を行い、メディアの取材も入ります。撮影期間は約4ヶ月、その間、書山や巨山など各地でロケハンがあります。村上さんはまだご卒業前ですから、学部に事前に休暇届を出しておかれるといいでしょう。私はこの作品のプロデューサー、山崎珠美です。何かあれば、いつでもお声がけください」
珠美が名刺を差し出すと、菜月は恐縮しながら両手で受け取った。「ありがとうございます、山崎プロデューサー。私はまだ新人で至らない点ばかりですが、何卒ご指導のほどよろしくお願いいたします」
珠美は微笑んだ。工藤社長がなぜこの娘を主役に推したのかはわからなかったが、オーディションの日の彼女の歌姫は確かに印象的で、木村沙織のように後ろ盾を笠に着て驕るようなところもなかった。
珠美は業界の古参として、良い仕事をするにはまず人となりが大事だと知っていた。菜月に好感を抱き、「頑張ってください。良いご縁となりますように」
*
炎呈を出た後、景子は今夜はしっかり祝おうと、「官邸」に行こうと提案した。
菜月はぞっとした。官邸は真珠島シティでも名高い高級会員制クラブで、業界のセレブが集う場所だ。顧客のプライバシーを厳重に守り、VIPメンバー以外は入れない。
「冗談でしょ？あそこ一晩で数十万もするって聞いたよ…」
「平気平気、会员カード持ってるから」景子はぴかぴかの金色のカードを取り出し、得意げに菜月の目の前でひらつかせた。
「どこで手に入れたの？」官邸の入会金は200万円からと聞いていた。
「拾ったの」景子はそう言いながらタクシーを止め、「官邸まで」と告げた。
タクシーの運転手は「官邸」という行き先を聞き、振り返って二人の若い女性をじろりと見た。
菜月は信じなかった。「子供の頃から、歯磨き粉のおまけすら当たったことないって言ってたくせに、200万円もするVIPカードを拾うなんて、そんな運があるわけないでしょ」
「信じなくてもいいわよ」景子はむっとして言った。「盗んだのでも奪ったのでもないんだから。行くなら付いてきて、行かないなら今すぐ降りなよ」
菜月はどこか不安を感じつつも、景子を一人にするのも心配で、しぶしぶ承諾した。
官邸に着くと、二人はその雰囲気に圧倒された。静かで豪華な内装、上品で洗練された設えは、外の派手で俗っぽいカラオケとはまったく次元が違った。
スタッフに案内され個室に入ると、景子は曲を選びながら言った。「外から見たら静かすぎて、カラオケボックスには見えないね」
金持ちの遊び場だけあって、設備や防音は完璧だった。
景子が数曲歌った後、メニューを開いて豪快に宣言した。「何食べる？何飲む？好きなもの頼んでいいよ」
菜月はまだ心配だった。「レモン水一杯で数千円もするんだよ？やめとこうよ」
「ちょっとトイレ行ってくる」景子はマイクを置くと、さっさと部屋を出ていった。
*
洗面所で、肌の露出の多い服を着た二人の女性が化粧を直しながら話していた。「今夜は近藤さんの誕生日で、岩崎彰仁さんまで来てるんだって。近藤さんがおっしゃってたわよ、岩崎さんを酔わせたら腕時計をプレゼントするんだって」
「近藤さんのヴァシュロン・コンスタンタンって数十万するんでしょ？」
「それがどうした？岩崎さんがつけてるのはパテック・フィリップの限定版ハンドメイドよ。市場価値は1億6千万円以上なんだから」
景子は思わず息を飲み、その二人の女性の後についてトイレを出た。
数歩歩くと、一人の女性がもう一人の肩を叩いた。「見て、岩崎さんだ」
景子も顔を上げると、彰仁が廊下の向こうから歩いてくるのが見えた。
ナイトクラブ特有の幻想的な照明が彼を包み、全身から気品と優雅さが漂っていた。黒のカジュアルスーツに黒のスラックス、そのスタイルからはすらりと長い脚線美が強調される。濃紺のソックスとマットブラックのカーフレザーのシューズ。ベルトのバックルが時に光を反射し、人を惹きつける冷たい輝きを放っていた。
景子は一瞬見とれてしまった。
二人の女性は興奮して取り乱し、媚びを売るようにして挨拶しようとした。ちょうどその時、中島健斗が個室の金飾りが施された木製のドアを開けて彼を促した。「一本の電話にそんなに時間かけるか？」
そう言って廊下を見回し、二人の美女を見つけると、思わず口笛を吹いた。「だから戻って来ないんだな。やあ、ベイビーたち！」
景子はぞっとし、慌てて個室のドアを開けて叫んだ。「菜月、私がリクエストした曲、始まった？」
個室に戻ろうとしていた彰仁はその時足を止め、片方の眉を上げて、さっき景子が出てきた方向を見た。漆黒の瞳が鋭く光った。
二人の女性は彰仁が自分たちを見ていると思い、急いで近づいた。「岩崎さん、私たちもご一緒させていただけませんか？」
彰仁は表情を変えず、わずかに眉をひそめるだけで、振り返って個室の中へと消えた。
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