第9話:空虚な追跡
[冬弥の視点]
半月が過ぎた。
刹那からの謝罪を待ち続けていたが、何の連絡もない。
身体検査を口実に、病院を訪れることにした。刹那がまだ入院しているなら、そこで話ができるはずだ。
病院の受付で、刹那の病室番号を尋ねる。
「神凪刹那さんでしたら、二日前に退院されました」
事務員の言葉に、心臓が止まりそうになった。
「二日前?」
「はい。お間違いございませんか?」
退院していた。なぜ連絡をくれなかったのか。
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その頃、刹那は山間部の小さな町で新しい生活を始めていた。古い一軒家を借り、フリーマーケットで得た僅かな収入で質素に暮らしている。
冬弥のことは、もう過去の人だった。
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[冬弥の視点]
病院のロビーで、慌ててスマートフォンを取り出した。
刹那の電話番号を登録していなかったことに、今更ながら気づく。通話履歴を必死に探した。
一時間かけて、ようやく見つけた番号に電話をかける。
「現在使われておりません」
機械的なアナウンスが流れる。
「そんな……」
もう一度かけ直す。同じアナウンスが繰り返される。
刹那との唯一の連絡手段が、完全に絶たれていた。
急いで自宅に戻る。家の中は埃っぽく、人の気配がまったくない。
リビングテーブルの上に、一枚の書類が置かれていた。
離婚届。
刹那の署名が、きれいな字で記されている。
日付を見て、愕然とした。一ヶ月前。俺たちの結婚記念日だった。
「何も知らなかった……」
自分が刹那のことを、何一つ理解していなかったという事実が、胸に突き刺さる。
過去の痴漢事件のことを思い出した。あの時、刹那が警察に通報したはずだ。そこに手がかりがあるかもしれない。
警察署に向かった。
「神凪刹那さんの件でお聞きしたいことが」
「ああ、あの通報の件ですね」
警察官が資料を確認する。
「実は、通報に使われたのは被害者の方のスマートフォンではありませんでした」
「え?」
「痴漢の男から奪ったスマートフォンを使って通報されたんです」
最後の希望が、音を立てて崩れ落ちた。
警察署を出て、呆然と立ち尽くす。
スマートフォンが鳴った。一瞬、刹那からの電話かと期待したが、美夜の名前が表示されている。
「冬弥?お疲れさま」
美夜の明るい声が聞こえる。