遊園地の園長は心配そうな表情で彼らをジェットコースターに乗せた。
心の中にはどうも嫌な予感がした。
よりにもよって、詩織はわざわざ最前列の席を選んだのだ。
「お兄ちゃん、一番前に座るともっと楽しそうよ」
花のように美しい少女の顔を前に、宏樹はどんなに怖くても「嫌だ」とかを口にできなかった。
「いいよ」
「詩織の言うことなら何でも」
「詩織の言うことなら、お兄ちゃんは全部聞いてあげる」
しかしジェットコースターが動き出した瞬間、宏樹は後悔した。
自分の先ほどの言葉は少し軽率すぎたようだ。
「きゃああああ!」
後ろからは見知らぬ人たちの悲鳴が聞こえてくる。
宏樹は必死に我慢して声を出さないようにしていた。
小川グループの社長たる者が、ジェットコースターで無様な姿をさらすとは。
そんなことになったら、間違いなく明日のニュースの見出しを飾ることになるだろう。
宏樹は胃の不快感を必死に抑えながら話しかけた。
「詩織、怖くないよ。お兄ちゃんがそばで守ってあげるから」
「どうしても怖かったら叫んでもいいんだよ」
しかしすぐに彼はその言葉が余計だったと気づいた。
なぜなら、隣の少女は泣き叫ぐどころか、とても機嫌よく歌を口ずさんでいたからだ。
詩織は本当に楽しんでいる。こんな楽しみは彼女にとって、久々だった。
彼女の前世や前々世では、あまりにも惨めに生きてきた。
小川家の連中の評価を気にしすぎるあまり、自分自身を見失ってしまっていた。
今になって初めて、自分の思うままに生きることが本当の幸せだと気づいたのだ。
終わった後。
宏樹はゴミ箱に駆け込み、吐いた後ようやく少し楽になった気がした。
「詩織、次はバイキングに挑戦してみる?」
宏樹はティッシュで口を拭いた。彼は妹が傍にいることで、高所恐怖症もそれなりに克服できたような感じがした。
ジェットコースターやバイキングぐらい大したことないだろう?
詩織が刺激的なものが好きなら、刺激的なものに挑戦しよう。
しかし宏樹が振り返ったとき。
そこに詩織の姿はもうない。
宏樹は空っぽになった周りを見て、瞳孔が急に縮んだ。
「詩織?詩織?」
何度か呼んでも返事はなかった。
遊園地の園長が急いでやってきた。
彼はちょうどトイレに行っていたので、少し遅れてしまった。
驚いたことに、トイレを出ると宏樹が何かを必死に探し回っているのを目にした。
「小川社長、どうされました?」
宏樹は拳を握りしめ、かすれた声で言った。
「監視カメラを調べろ!」
「監視カメラを調べろ、詩織が消えた!」
園長はその言葉を聞いて体が震えた。
彼は十分に理解している。小川社長がさっきの少女をどれほど大切にしているかを。
もしその少女が本当にこの遊園地で行方不明になったとしたら。
彼の遊園地は消される結末になるしかない。
園長はつばを飲み込み、急いで彼らを監視カメラ室へ案内した。
彼らが必死に詩織を探して監視カメラを確認している間。
詩織は楽しそうに遊園地内のマクドナルドに来ていた。
「お姉さん、アイスクリーム一つください!」
デザートカウンターの店員は、こんなに可愛い少女を見るのは初めてだと思った。
なのですぐに笑顔が溢れた。
「どんな味のアイスクリームがいい?」
「イチゴ味!」
詩織は自分のタブレットを手に取り、支払いを済ませた。
小川家は彼女にお小遣いを一切くれなかった。
彼女の持っているお金は全て、自分でプログラミングして必死に稼いだものだった。
小川家とは何の関係もない。
ここ数日、家では毎日お粥ばかり食べさせられて、もう吐き気がしそうだった。
そして長正がそばにいる限り、お粥か栄養ドリンクや牛乳などばかりだった。
お願いだから、そういうのを食べさせないでくれる?
だからこそ、今はこうして宏樹に内緒でアイスクリームを買いに来た。
詩織はアイスクリームを受け取るとすぐに、店員に甘く微笑んだ。
「ありがとう、お姉さん!」
ここまでも可愛くて礼儀正しい子供は、この店員も初めて見た。
彼女は思いがけない喜びに少し驚いた。
「どういたしまして、気をつけて行ってね」
宏樹が駆けつけた時、彼が目にしたのは詩織の輝くような笑顔だった。
まるで彼の目を眩ませるほど明るかった。
同時に彼の心は少し傷ついた。
なぜなら妹は彼に対して、こんな素敵な笑顔を一度も見せたことがなかったからだ。
宏樹は感情を整理して、大股で詩織の前に歩み寄った。
「詩織、どうしてお兄ちゃんに内緒でアイスクリームを食べに来たの?」
宏樹は詩織の手にあるアイスクリームを見て、もどかしげに聞いた。
胃が悪いのを承知の上で、こんな不健康なものを食べるなんて。
身体がどうなってもいいのか?
もし他の誰かだったら、宏樹はとっくに叱り飛ばしていただろう。
しかし彼の目の前に立っているのは、彼が一生をかけても償いきれない少女だ。
そんな彼女をどうやって叱るというのだ?
詩織はアイスクリームを胸に抱きしめ、誰かに奪われるのを恐れているかのようだ。
「お兄ちゃん、うちは確かに貧乏だけど、アイスクリームも食べられないほどじゃないでしょ?」
「それに、あなたのお金を使ってないし、私がバイトして稼いだお金だもの」
「あなたに関係ないでしょ?」
宏樹はこの言葉を聞いて、つい口元を引きつらせた。
その言い方だと、まるで彼が一銭も支払わないケチな男に聞こえるじゃないか。
他の人のことだったら、彼でさえ「なんて人でなしの兄だ」と罵りたくなるところだった。
しかし周りの観光客は真実を知らなかった。
「あの子かわいそうじゃない?アイスクリームくらい大したことないでしょ?そもそもそんなに貧乏なら、遊園地には来ないよね。やっぱりケッチ」
「アイスクリームすら食べさせないなんて、あの兄、見た目はいいけど、やることがダサすぎるね」
「そうだね、こんなに可愛い子なのに、僕の妹だったらいいのにな」
周囲の声を聞いて、宏樹の表情は一瞬にして真っ黒になった。
「詩織はいい子だろう。お兄ちゃんは君の体のことを考えてそうしたんだ」
詩織は宏樹の忠告を全く聞こうとしなかった。
むしろ彼の目の前でアイスクリームを食べ始めた。
「あなたに関係ないもん、私の兄じゃないし」
この言葉は再び宏樹を傷つけた。
彼は手を上げて、詩織が抱えているアイスクリームを奪おうとしたが、最終的には手を出さなかった。
しょうがない。
今回だけは彼女の好きにさせよう。
妹は6歳の時家に迎え入れられた。
その後小川家で4年間苦労した。
アイスクリームすら味わったことがない。
そんな彼女を止めるんじゃなかった。
それで詩織がアイスクリームを食べ終えた。
宏樹はようやく気を取り直して、ジェットコースターにまた乗りたいかと尋ねた。
だが詩織は首を振った。
もうそんなことに興味を失った。
彼女はもともと遊びたくて遊園地に来たわけじゃなかった。
今やその目的も達成した。
だから彼女はこんなところでこれ以上時間を無駄にしたくない。
「本屋に行きたい」
詩織は宏樹の後ろについてくる数人を見て、すぐに眉をひそめた。
「大勢がいると嫌」
彼女には美優のような趣味はない。
あの女は外出するといつも大勢の人が付き従う。
大勢の付き添いよりも、彼女は一人でいる方が好きだ。
しかし、宏樹までついてこないのはさすがにありえない話だ。
宏樹は一瞬で彼女の意図を理解し、すぐに自分の助手を解散させた。
それで、あの小川社長が少女の後をぴったりとついていく形になった。
「詩織はどんな本を買いたいの?次に何か欲しいものがあったら、お兄ちゃんに言ってくれれば、お兄ちゃんが直接買ってきてあげるよ」
詩織は彼に答えず、自分のことを考え込んでいた。
世界第21回プログラミングコンテストがまもなく始まる。
このプログラミングコンテストで順位を取りたい。
復習して備えないと。
前世は何年もプログラミングをしなかったせいで、技術がやや錆びついた。