第6話:破綻の瞬間
「響!」
祖父の怒声が病院の廊下に響いた。杖を床に叩きつけながら、孫の非道な振る舞いに激怒している。
「お前は何を言っているんだ!彩花は家族だぞ!」
響は咎音を庇うように抱きしめたまま、祖父を睨み返した。
「家族?あいつが?」
響の声は冷たく、軽蔑に満ちていた。
「彩花のせいで咎音が怪我をしたんです。それなのに、なぜ咎音が責められなければならないんですか!」
「馬鹿者が!」
祖父は杖を振り上げた。しかし響は一歩も引かない。
「今この瞬間から、婚約は破棄だ!」
響の宣言が病院の廊下に響いた。
「お前はもう、俺の婚約者じゃない!」
彩花の身体が震えた。ベッドから立ち上がろうとするが、足の傷が激痛を走らせる。
「響……」
「うるさい!」
響は振り返ると、彩花を睨みつけた。
「お前が変に焚きつけなきゃ、じいちゃんが倒れることもなかっただろ?」
その時、祖父の顔が真っ赤になった。
「響……お前という奴は……」
祖父の言葉が途切れた。胸を押さえ、よろめく。
「おじいちゃん!」
彩花が叫んだ。祖父の身体がゆっくりと床に崩れ落ちる。
「先生!先生!」
看護師たちが慌てて駆けつけてきた。祖父は意識を失い、医師たちによって処置室へと運ばれていく。
「おじいちゃん……」
彩花は這うようにして祖父の元へ向かおうとした。しかし負傷した足では立つことすらできない。床に倒れ込み、血と涙が混じり合って赤い花のように広がっていく。
「響……お願い……おじいちゃんのそばに……」
彩花は響の足にすがりついた。しかし響は嫌悪感をあらわにして彼女の手を振り払った。
「何、芝居じみたことしてるんだよ?」
響の声は氷のように冷たかった。
「雪咲、お前って本当に最低だな!」
その時、病院の入り口から響の両親が駆けつけてきた。
「響!一体何事だ!」
響の父親が怒鳴った。神楽坂家の当主としての威厳を纏い、息子を睨みつける。
「父さん……」
「お前のせいで父親が倒れたと連絡があったぞ!」
父親の一喝が廊下に響く。響は言葉を失った。
咎音がそっと響の母親に近づいた。
「おばさま……」
咎音の声は震えていた。完璧な演技で、被害者を装っている。
「彩花姉がわがままを言って、おじいちゃんに告げ口したんです。それで響兄が怒って……」
母親の表情が一変した。彩花への憎悪が瞳に宿る。
「たかが孤児のくせに」
母親の声は毒を含んでいた。
「うちに寄生して成り上がるつもり?」
彩花の身体が震えた。出自への侮蔑が、心の奥深くまで突き刺さる。
「そこまで言うな」
響が小さく呟いた。母親の暴言に微かな良心が疼く。
「黙れ!」
父親が響を一喝した。
「お前が甘やかすから、あの女がつけ上がるんだ!」
父親は彩花を見下ろした。床に倒れ込み、血を流している彼女に一片の同情も示さない。
「さっさと婚約を解消して、あの厄介者を追い出せ!」
父親の最終通告が下された。彩花の追放が、神楽坂家の公式な決定となった瞬間だった。
「でも……」
響が躊躇した。しかし咎音が彼の袖を引く。
「響兄」
咎音の声は優しく、なだめるようだった。
「彩花姉のわがままは、響兄への依存が原因よ。距離を置けば、きっと落ち着くわ」
咎音は母親に向かって提案した。
「留学させてはいかがですか?海外で勉強すれば、彩花姉も成長できるかもしれません」
母親の目が輝いた。
「それは良い案ね。咎音ちゃんは本当に優しい子」
響も咎音の提案に感謝した。彩花を案じてくれる優しい存在として、咎音への信頼を深める。
「ありがとう、咎音。お前がいてくれて良かった」
咎音は微笑んだ。しかしその瞳の奥には、勝利の光が宿っていた。
病室に一人閉じ込められた彩花は、スマートフォンを手に取った。
アルバムを開くと、響との幸せだった日々の写真が並んでいる。しかし見返していくうちに、いつしか常に咎音が一緒に写り込むようになったことに気づいた。
Twitterを開くと、自分の投稿に「恋愛脳」「うざい」といったコメントが並んでいる。
彩花は苦笑した。
そして、アカウントの削除ボタンを押した。
過去との決別を象徴するように、全ての投稿が消えていく。
彩花は窓の外を見つめた。五階の高さから見下ろす景色が、妙に美しく見えた。