鈴木清加はぎょっとした。
「動かないで、口元に何か付いているよ」
清加はそのまま動かなかった。
小林威は彼女の口元を綺麗に拭き、ティッシュをゴミ箱に捨てた。
清加は尋ねた。「何がついていましたか?」
「なにもありません、食べ続けていいですよ」
「あぁ……」清加は心の中で思った:これって彼の作戦なのでは?
……
清加が出勤した後、威もマンションを出た。
しばらくすると、ロングサイズの黒い車がマンションの前に止まった。
運転手が降りてきて、威のためにドアを開け、「次男坊、どうぞ」と声をかけた。
「真木おじさん、外では次男坊と呼ばないでください。私は軍人で、そういう呼び方には慣れてていないから」と威は言った。
「かしこまりました、次男坊」
威:「……」
「次男坊、小林社長が車内でお待ちしています」
威は後部座席に座り、中にいる男性に「お兄さん」と声をかけた。
中にいたのは小林成人(こばやし なりと)、35歳、鳳城で有名な独身のエリートだ。黒のオーダーメイドスーツを着て、サングラスをかけ、気高くてクールな雰囲気を醸し出していた。
威を見るなり、成人は責めるように言った。「鳳城に戻ってきたのに、どうして俺に連絡しなかったんだ?」
「今回は用事があって」
「何の用事だ?」
「人生の一大事だ」
成人は軽く笑った。「武器や戦術をいじること以外に、何の重要なことがあるんだ?まさか彼女でもできたのか?」
威は口を開き、何かを言おうとした。
すると成人は話を続けた。「やはりそれはありえないよ。兄の俺でさえ彼女なんていないのに、君に彼女ができるわけがない。君の方が結婚が遅いに決まってる。40歳で嫁がもらえれば上出来だ!」
威はそれ以上何も言わなかった。
30分後、「康聖」病院に到着した。
小林グループ傘下の私立病院で、鳳城最大の規模を誇り、世界各地からの医師を招き、先進的な医療設備と技術を備えていた。
成人は威を連れて、専用エレベーターで最上階へ向かった。
エレベーターを出ると、十数人の医師が入口で待っていた。
「小林社長、おはようございます!」
「威若様、おはようございます!」
すると先頭に立っていた50歳ほどの男性医師が前に出て、笑顔で威の前に歩み寄り、「小林少佐、こちらへどうぞ!」
威は慌てて言った。「そんな呼び方はやめてください。今の時代には少佐なんていませんよ」
「でもお父様はとても偉大な方ですから、あなたは間違いなく少佐です。この鳳城では、知らない人なんてありません」と野村医師は言った。
威は検査室に案内され、横になった。医師たちはすぐに様々な検査機器を取り付け、心電図、採血、X線などの検査を行った。
検査が終わり、野村医師が再び入ってきた。「小林少佐、足の傷を見せていただけますか」
「いいですよ」
威はズボンを脱ぎ、野村医師に検査させた。
野村医師はすぐに眉をひそめた。「三級病院で処置を受けたのですね?何度も言ったでしょ、怪我をしたら必ず当院に来てくださいって。一般の病院の設備では不十分です」
「そんなことないでしょ?」と威は言った。「女性の医師が処置をしてくれました。彼女の医術は悪くないと思いますよ、処置中も全く痛くなかったですし」
「医術は悪くないかもしれませんが、彼らが使っている普通の薬は、当院の特効薬や設備には及びません」
野村医師はそう言いながら、威に光線療法の機器を当て、改めて傷を処置した。
傷の処置が終わる頃には、威の検査結果も出ていた。
すると、成人も入ってきた。
成人は尋ねた。「野村医師、弟の体調はどうですか?」
野村医師は報告書の項目を一つずつ確認ながら言った。「問題はありませんし、すべての数値は正常範囲内です。ただ、心血管が以前の中毒の影響を受け、不眠などの症状を起こす可能性があります。少佐、最近の睡眠状態はいかがですか?」
威は少し考え込んだ。
半年前、海外で任務を遂行している時、反政府軍の奇襲を受けた。彼と戦友たちはなんとか敵の包囲網を突破したが、反政府軍に毒ガス弾を投げつけられた。
その毒ガス弾にはアルカリ性の薬物が含まれていたが、幸い彼はほんの少ししか吸い込まなかった。
しかし、そのわずかな薬物のせいで、彼は長期的な不眠に悩まされ、ぐっすり眠れない日を過ごしてきた。
しかし、休暇で帰国したとき、清加との出会いでその状況ががらりと変わった。
清加に触れた時から、彼は不思議な安心感を覚え、眠りたくなった。その後、彼女の隣で横になると、一晩中ぐっすりと眠ることができた。
そして昨日も、朝に清加に包帯を交換してもらったから、家に帰ってから良い昼寝ができた。昨日の夜も同じくよく眠れた。
威は野村医師に言った。「まだ不眠症に悩まされていますが、解決策を見つけたかもしれません」
「どんな解決策ですか?」成人と野村医師は興奮した顔で尋ねた。
野村医師は特に喜びを隠せなかった。「威若様、このタイプのアルカリ性物質の解毒剤は、現在国際的にもまだ解明されていません。もしあなたが見つけたのなら、それは国内外の医学界を震撼させる重大な発見となります!」
威は少し間を置いて言った。「俺が言っていた解決策は、一人の女性なんです……彼女に会うたびに、よく眠れるんです。だから、彼女と結婚したいと思っています」
成人:「……」
野村医師:「……」
……
「康聖」病院を出て、車に乗るまで、成人はずっと顔を曇らせていた。
「威、来る前に言っていた人生の一大事というのは、結婚のことだったのか?」
「そうだよ」と威は答えた。
「君は子供の頃から軍事に夢中で、女性に接するきかいがすくなかった。女心が分かるのか?」と成人は尋ねた。
威は首を振った。「お兄さんの方がずっと詳しいよ」
「わかった、じゃあ女性を理解するチャンスをあげよう!」
成人は冷たい表情で運転手に言った。「真木おじさん、午後の新製品発表会に参加するよ。秘書に情報を広めるように伝えてくれ」
真木おじさんはすぐに彼の指令に従った。
成人は再び威を見て言った。「今日の午後、一緒に行こう。女性とは何かを教えてやる」
威:「……」
……
市立第三病院。
朝のミーティングを終え、清加は治療室に向かおうとしていた。
痛み診療科は漢方医学に近い性質があり、主に各種のリウマチ性疼痛、関節痛、さらにスポーツ障害や外傷などを対象にしている。
清加は針刀による微小侵襲手術や鍼灸、マッサージを得意分野としていて、治療室で手術を行うことをずっと楽しみにしてきた。それが医術の向上に役立つからだ。
しかし、振り返ろうとしたとき、山本主任に呼び止められた。
「鈴木医師、今日も外来診療を担当してください」
清加は眉をひそめて尋ねた。「なぜですか?今日は外来の予定ではなかったはずです」
40代の中年男性、山本主任はため息をついた。「鈴木医師が外来診察を担当すると、来院する患者が通常より50%増えることはご存知でしょう。現在、病院の各科は独立採算制ですから、科の収益のために、申し訳ありませんが、お願いします」
「でも今日はいくつか手術が予定されています」清加は本当に外来診療ばかり担当したくなかった。
「手術は木村医師に任せましょう」
山本主任は横にいる木村萍(きむら へい)を見た。
萍は清加とほぼ同い年で、同じ時期に病院に入職し、競争関係にあった。二人の関係はあまり良くなかった。
しかも、萍は中村悠真と仲が良かった。
萍は得意げに清加の前に歩み寄り、小声で言った。「鈴木医師は患者に人気があるからね、外来診療を担当できるのは君しかいないよ?頑張って、病院のスター医師を目指そうね。そうすれば、外科の斉藤医師に執着する必要もなくなるかもしれないわ」
清加は顔を曇らせた。「私が彼に執着してるって?」
「昨日の午後、彼の車にぶつかったって聞いたわ。わざとでしょ?悠真はすごく怒ってたわよ」
清加は冷たく笑い、まとめた患者の資料を萍押し付けて言った。「さっさと手術に行きなさい。外来は君が要らないわ。君が診察すると来てくれる患者さんがほとんどいないもの。恥ずかしくないの?」
「君……」
萍が怒ろうとしたが、清加はすでに外来診療室に向かって去っていった。