詩織は、毛利正弘の、やたらと人の話を遮る癖に内心うんざりしていた。
橋本楓の小細工は、契約という名の縛りがある以上まだ我慢できる。だが、毛利正弘ごときにまで譲歩する理由なんてどこにもない。
彼女は眉を寄せて彼の方を見据え、冷ややかに口を開いた。「総長ルールには、あんたの口癖みたいなクサいセリフやポーズしか載ってないの?一番大事な『基本マナー』は教わらなかったわけ?」
言葉に詰まった毛利正弘に、詩織は畳みかける。
「人が話してるときに横から口を挟まない――それは人間としても、『ボス』としても最低限身につけるべき常識でしょ?」
「お前...」
容赦のない一撃に顔が真っ赤になり、毛利正弘は完全に面子を潰された。
思わず罵声を吐きかけたその瞬間――
「まあまあ、そこまでにしようよ」
楓が絶妙なタイミングで割って入り、柔らかく笑う。「正弘、詩織と喧嘩しないで。二人とも悪気があって言ってるんじゃないんだから」
そして詩織に視線を向けると、にこやかに続けた。「詩織は私が一緒にお願いしたパートナーなんだ。だから彼女が一緒に来てくれると助かるし、私も安心できるんだよ」
さっきまで自分のために声を荒げていたというのに、結局橋本は自分の肩を持たなかった。毛利正弘の顔は引きつり、苦々しく唇を噛む。
だが、相手は人気トップの女優。詩織のように言い返す勇気など持てるはずもなかった。
一方、配信を見ていたファンたちは即座に反応した。
【は?さっき一緒に出ようって言ったのを断ったの橋本でしょ?ウチの正弘が庇っただけなのに、今さら仲裁役?】
【そうそう、全部他人に嫌な役を押し付けて、自分はイイ子ぶり。腹黒すぎない?】
すると今度は楓ファンが噛みつく。
【どっちが腹黒よ!みんなでゾロゾロ出ていったら逆に邪魔じゃん!楓が一番合理的でしょ!】
【正弘ファンも本人もマナーなさすぎ。楓は気を遣っただけなのに】
【それに、早森詩織の言うことだって一理あるよ。毛利正弘、マジで人の話遮りすぎ。そんな気取り笑えるんだけどw】
【自分を社長風に見せようとしても、品性はダメだね】
【……】
チャット欄は瞬く間に罵り合いの修羅場と化したが――その中心人物である詩織は、知らぬ顔でスルリと蚊帳の外へ。
空港を出た瞬間、むわっとした熱気が二人を包み込んだ。詩織は思わず息苦しさを覚える。
外に並んだタクシーはほとんどが四人乗り。全員で一台に収まることはできない。
楓はちらりと詩織を横目で見た。――来る前から彼女の「すっぴん美人」の話題でネットは持ち切り。
比較されるたびに「橋本楓は凡庸」などと書かれているのを見ては、悔しさに煮えくり返っていた。
だからこそ、会社から「引き立て役をさせろ」と指示があったときは簡単に思っていたのに、実物を見てからは逆に闘志を燃やすようになった。
今こそ、格の違いを見せつけてやるチャンス……そう考えた橋本は、わざと朗らかな声で言った。
「詩織、タクシーは二台必要みたい。じゃあ、私とあなたで手分けして行こうか。そうすれば皆を待たせずに済むでしょ?」
詩織は、ただ「付き添い役」でいればいいと思っていた。
だがタクシーを呼ぶ程度なら彼女が主役を奪うこともないだろうし、何よりこの灼熱の中で長居はしたくなかった。
「わかりました」
軽く頷き、彼女は早足で停車しているタクシーの列へと向かう。
その姿を見た瞬間、配信のコメント欄がざわついた。
【うわwwwやっぱり出しゃばったww早森って本当に空気読めないんだな!楓に付き添うだけかと思ったら、自分もタクシー探し?マジで比較されたいのかこの人w】
【自分の立場わかってんの?見てるこっちが恥ずかしいわ……】