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カース・ブレイカー~呪い壊しの公爵令嬢は、獣人奴隷と国家への叛逆を決意する~ カース・ブレイカー~呪い壊しの公爵令嬢は、獣人奴隷と国家への叛逆を決意する~ original

カース・ブレイカー~呪い壊しの公爵令嬢は、獣人奴隷と国家への叛逆を決意する~

May-akda: 真嶋青

© WebNovel

Kabanata 1: 始まりの喪失

 ――やめて。

 声にならない叫びが、喉の奥で凍り付く。

 ――いかないで。

 伸ばしたはずの指先が、空を切る感覚。

 純白の翼が、血に濡れていく。

 美しい歌声が、苦悶の喘ぎに変わっていく。

 そして、私の世界から、色が消える――。

「はっ……!」

 荒い息と共に、浅い眠りの底から意識が浮上し、心臓が警鐘のように激しく胸を打つ。

 額に浮かんだ冷や汗が、こめかみを伝って枕を濡らしている。

 窓のカーテンの隙間から差し込む、冷たい早朝の光。

 見慣れた自室の豪奢な天蓋。

(また、あの夢)

 私は、シーツを強く握りしめていた白い指の力を、ゆっくりと抜く。

 ゆっくりと、震える右手で、右の瞼を覆う。

 左目に映る世界は、朝日に照らされた、色彩豊かな豪奢な部屋。

 だが、指の隙間から覗く右目の視界は、光と影だけが支配する、色あせた古い写真のようなモノクロームの世界。

 いつもの、ちぐはぐな現実。

 それが、悪夢の記憶を、より鮮明に現在へと引きずり出す。

(ダメね、弱気になっているわ)

 脳裏に蘇るのは、ある女性の歌声。

 私の世界から半分の色を失った日の追憶――。

「エリアーナ、この星の名前は何だったかしら?」

 母の細い指が、窓の外の夜空を指す。

 その手は、やけに冷えている。

「……アモール」

 私が答えると、母は弱々しく微笑んだ。

「よくできたました。あなたは、本当に賢い子ですね」

 ベッドの上、白いシーツに沈む母の顔は、蝋のように白かい。

 呼吸のたびに、胸が小さく上下する。

 その間隔が、日に日に長くなっていく。

 私は、ただ母の手を握りしめることしかできなかった。

「エリアーナ」

 母が、私の名を呼ぶ。

「あなたは、優しい子でいてください。それが、私の……母さんの……最後の、お願いです」

「最後なんて、嫌!」

 私は、母の手を両手で包み込む。

「ごめんね……本当に、ごめんなさい」

 母は、苦しげに顔を歪めた。 

 その目から、一筋の涙が頬を伝う。

 それが、母が私に見せた、最後の表情だった。

 翌朝、母は目を覚まさなかった。

「クライネルト家の娘が、人前で涙を見せるな」

 眠りについた母の前で、父は私にそう言った。

「お前の世話をする侍女なら、また用意すればいい。お前が気に入っている様子だったから面倒をみてやっていたが、本来ならもっと早くに入れ替える予定だった」

「……侍女?」

 私は、父の言葉の意味が理解できなかった。

「そうだ。あの侍女は、よく働いた。だが所詮、雇われの身に過ぎん」

 父の声は、使い古した道具の処分を語るのと同じ、淡々とした響きだった。

「お前の本当の母親は、別邸で過ごしている。そのうち、挨拶に行かせよう」

 世界が、音を立てて崩れる。

 刺繍の仕方を教えてくれた、その手。 

 古い詩を読み聞かせてくれた、その声。

 星の名前を1つ1つ、優しく教えてくれた、その時間。

 それらは全て――雇われた侍女の、業務だったのか。

(いいえ、違う)

 母は、確かに私を愛してくれていた。

 あの涙は、嘘じゃない。

 だが、この世界は、そんなことを認めない。

 広大な公爵邸の中で、否、このあまりにも倫理観の壊れた世界で、私は完全な孤独に沈んだ――。

 それから、季節が巡り、春が来た。

 庭の薔薇が咲き始めた頃、父が上機嫌で私に言う。

「エリアーナ、異国の珍しい鳥を飼い始めた。お前にも見せてやろう」

 連れて行かれたのは、庭園の奥。

 薔薇のアーチを抜けた先に、ひっそりと佇む古びた石造りの塔。

 蔦が絡まるその塔は、おとぎ話に出てくる囚われの姫の住処のようだった。

 厳重に鍵がかけられた鉄の扉。

 父が、懐から取り出した鍵で、それを開ける。

 重い扉が、きしむ音が鋭く鼓膜を打つ。

 薄暗い部屋の中、窓から差し込む一筋の光の中に――彼女はいた。

 純白の翼を持つ、女性。

「これは、鳥人ハーピーだ。隣国では、天人などと呼ばれて崇められているらしい。手に入れるのに苦労した」

 コレクションを自慢するような父の声が、遠くで響く。

 私は、ただその女性を見つめていた。

 彼女の翼は、雪のように白く、光を受けて淡く輝く。

 しかし、その美しい首には、冷たい鉄の首輪が嵌められている。

 彼女の瞳は、窓の外――遠い空を、ただ静かに見つめていた。

「気に入ったか? ならば、時々見に来るがいい。どうせ、暇を持て余しているのだろう」

 父はそれだけ言うと、塔を出ていく。

 部屋には、私と彼女だけが残された。

 不意に、彼女が口を開く。

「……怖くないの?」

 その言葉には、私への気遣いの色が出ている。

「私は、獣人よ。人間のあなたが、こんな場所で二人きりになるなんて」

「怖くない、よ」

 私は、首を横に振った。

「あなたは、私を傷つけたりしない」

「どうして、そう思うの?」

「だって、あなたの目……悲しそうだもの」

 彼女は、小さく息を吐いた。

 そして、初めて微笑んだ。

「あなた、変わった子ね。名前は?」

「エリアーナ」

「私は、ラーラ。よろしく、エリアーナ」

 それが、私たちの出会いだった。

 それから、私は毎日のように塔へ通った。

 最初は、ただ静かに本を読むだけ。 

 ラーラも、窓辺で翼を休めているだけ。

 けれど、少しずつ、私たちの間に言葉が生まれた。

「ねえ、ラーラ。私ね、実は――」

 ある時、私は思い切って、前世のことを語った。

 遠い国、日本という場所。

 高いビルと、たくさんの人と、色とりどりの光。 

 そして、ある日突然、この世界に生まれ変わってしまったこと。

「だから、私はいつも、どこか他人事みたいな気がするの。この世界が、本当に私の居場所なのか、わからなくて」

 ラーラは、私の話を最後まで黙って聞いていた。

「そう。あなたは、遠い場所から来たのね」

 彼女は、子供の空想を笑わなかった。

 ただ、静かに頷いただけ。

「でも、エリアーナ。今、あなたがここにいることは、本当よ」

「……うん」

「辛いことも、悲しいことも、全部本当。だから、きっと、嬉しいことも本当になる」

 その言葉が、ひどく温かくて。

 私は、涙が溢れそうになるのを必死にこらえた。

「素敵な話を聞かせてくれたお礼。私からのお返し、受け取ってくれる?」

 そう言って、ラーラが歌を歌いだす。

 それは、母が歌ってくれた子守歌によく似た、物悲しく、しかしどこまでも優しい旋律――。

 ラーラの声は、鳥のさえずりのように清らかで、美しい。

 歌い終わったラーラは、一枚の白い羽を抜いて、私の髪に挿す。

「これ……」

「翼があれば、どこへでも行けるわ。だから、エリアーナ。あなたもいつか、自由に空を飛べるように」

 ラーラは、優しく微笑む。

 私は、その羽を大切に握りしめた。

 だが、そんな心休まる日々も、長くは続かない。

 ある日、塔を訪れると、ラーラが床に倒れていた。

「ラーラ!」

 私は駆け寄る。

 彼女の首輪が、赤黒く変色していた。

「大丈夫よ……ちょっと、具合が悪かっただけ」

 ラーラは苦しげに息を吐き、震える手で首輪を掴む。

「何があったの?」

「……窓を、開けようとしたの」

 窓?

「ほんの少しだけ、外の風を感じたくて。でも、それだけで――」

 首輪が、彼女を罰したのだ。

 私は、その冷たい鉄を見つめた。

 これが、彼女を苦しめている。

 これが、彼女の自由を奪っている。

「いつか、私が、それを外してあげる」

 私は、小さな手を伸ばし、首輪に触れる。

(冷たい)

 何故だかその瞬間、私は死に際の母の手を思い出した。

 ラーラは、震える私の手をそっと包み込む。

「ありがとう。でも、無理はしないで」

 彼女は、悲しげに微笑む。 

 まるで、それが叶わぬ夢だと、知っているように。

 でも、私は諦めなかった。

 いつか、必ず。 

 この首輪を、壊してみせる。

 ――しかし、その約束が果たされることは、なかった。


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