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Kabanata 3: 3話 悪夢と決意

 熱い。

 腹の底から、焼けるような激痛が蘇る。

 ああ、これを知っている。前世でオレの人生を終わらせた、あの痛みだ。

 薄れゆく意識の中、必死に目を開ける。

 オレを刺した男の顔を、この目に焼き付けてやる。そう思って見上げた視界に映ったのは、見知らぬ男ではなかった。

「……なんで」

 絞り出した声は、音にならなかった。

「なんで、お前が……」

 そこにいたのは、メイド服に身を包んだ少女。

 恐怖に怯えながらも、その奥に意志の強さを感じさせる緑色の瞳。

 その手には、オレの血で濡れたナイフが鈍く光っている。

 ――イオ。

 お前が、オレを殺すのか。

「――はっ!?」

 全身が跳ねるようにして、オレはベッドから飛び起きた。

 心臓が、警鐘のように激しく胸を打ち鳴らしている。ぜえ、ぜえ、と荒い呼吸を繰り返す喉はカラカラに乾き、全身は寝汗でじっとりと濡れていた。最悪の目覚めだ。

 まだ、窓の外は暗い。どうやら、今はまだ深夜らしい。

 ぼんやりとした頭で周囲を見渡す。

 そこは、前世の安アパートとは比較にもならないほど豪華な部屋だった。

 高い天井から吊るされた豪奢なシャンデリア。月明かりを浴びて銀色に輝く、天蓋付きの巨大なベッド。壁には美しい風景画が飾られ、足元の絨毯は足を沈めるほどに柔らかい。

 リンドベルク公爵家の次期当主、カイゼルの部屋だ。紛れもない、今のオレの現実。

 だが、その豪華な内装の中で、ひどく異質なものが二つあった。

 重厚な板材で作られた扉と、大きなガラスがはめ込まれた窓。

 そのどちらもが、内側から無数の木の板でめちゃくちゃに打ち付けられ、頑丈な釘で厳重に封鎖されていた。まるで、何か得体の知れない獣の侵入を、内側から必死に防いでいるかのように。

 オレはベッドから這い出すと、慎重にそのバリケードを確認して回る。

 木の板にこじ開けようとした跡はない。釘が緩んでいる様子もない。

 誰かが、この部屋に侵入しようとした形跡は、どこにもなかった。

「……ふぅ」

 安堵のため息をつくと同時に、どうしようもない絶望感が押し寄せてくる。

 これだ。この有様だ。

 この様子じゃ、おちおち寝ることすらできやしない。

 今日の悪夢はイオだった。

 だが、オレを殺す可能性があるのは彼女だけじゃない。

 ゲームの記憶を辿れば、カイゼルに恨みを抱く人間は山ほどいる。金で雇ったはずの部下、権力闘争で蹴落としたライバル貴族、理不尽に虐げられた平民……。

 いつ、誰が、この命を狙ってきてもおかしくない。そんな地獄のような日々が、これから始まるのだ。

 恐怖で、奥歯がガチガチと鳴る。

 このまま怯えながら、破滅の時を待つのか?

 前世で裏切られ、今世でもまた裏切られて、惨めに殺されるのをただ待つだけなのか?

 ――冗談じゃない。

 恐怖に打ち勝つ方法は、一つしかない。

 誰にも殺されないほど、誰にも裏切られないほど、圧倒的に強くなることだ。

 そうだ、オレは強くなる。

 この恐怖をねじ伏せるために。そして、二度と誰にも理不尽に人生を終わらせられないために。

 冷静になれ。まずは現状を把握するんだ。

 そう、今のオレはまだ9歳だ。

 ゲームの物語が本格的に始まるのは、主人公たちと共に王立魔術学院へ入学する15歳の時。

 そこが、あらゆる破滅ルートが交差し、牙を剥く運命の転換点。

 そこまで、あと6年。

 だが、安心はできない。

 カイゼル・フォン・リンドベルクは、あまりのヘイトの高さから、学院入学前に暗殺されるサブイベント的な死亡ルートも無数に存在する、正真正銘の嫌われ者なのだ。油断は一日たりともできない。

 ただ、希望がないわけじゃない。

 このカイゼルという男は、リンドベルク公爵家の血筋から、本来は王国でも指折りの圧倒的な魔力を秘めて生まれてきている。

 順当に努力さえすれば、いずれ誰にも負けない最強の魔法使いになれるはずだった。

 ――そう、「努力さえすれば」、だ。

 原作のカイゼルは、その恵まれた才能に鼻をかけ、驕り高ぶり、一切の努力を怠った。結果、その有り余る魔力は宝の持ち腐れとなり、ろくに魔法も使えないまま、ただプライドだけが高いだけの凡人に成り下がった。

 だからこそ、あっさりと殺されたのだ。

 オレは、そんな轍は踏まない。

「……やってやる」

 拳を、強く、強く握りしめる。

 努力なら、知っている。

 前世で、死ぬほどやった。同期が遊んでいる間も、寝る間を惜しんで働いた。

 それが報われなかったのは、努力の方向性を間違えたからだ。会社や上司なんていう、信じるに値しないものを信じたオレが馬鹿だった。

 だが、今度は違う。

 努力のすべてを、オレ自身のために注ぎ込む。

 この身一つを鍛え上げ、魔法を極め、誰にも屈しない力を手に入れるために。

 死ぬほど努力して、あらゆる死亡フラグをへし折ってやる。


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