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六月、大学入試が終わったばかりの頃だった。
池田翔佳(いけだ しょうか)は一人で退院手続きを済ませて家に帰った。池田家の別荘の門を入った瞬間、スーツケースが「ガタン」と彼女の足元に投げつけられた。
上品な装いの美しい婦人が玄関に立ち、少女の整った顔立ちと雪のような肌を見下ろすように眺め、目に一瞬嫉妬の色が浮かんだかと思うと、隠そうともしない嫌悪感に変わった。
「あんたの荷物は全部まとめさせておいたわ。今日からこの家から出て行きなさい。実の親のところに帰りなさい!」
池田翔佳は床に置かれたスーツケースを見ようともせず、淡い杏色の冷たい瞳で目の前の白井淑子(しろい すみこ)、この十七年間「お母さん」と呼んできた女性を見つめた。
玄関の騒ぎで家中の者が気付き、すぐに池田父と息子、娘も駆けつけた。
池田父は池田翔佳の足元に投げられたスーツケースを見て、妻の方を向き、たしなめるように言った。
「淑子、何をしているんだ?翔は十八年間育ててきた娘だぞ」
「ただの恩知らずの居候だわ!」
白井淑子は池田翔佳を睨みつけながら言った。
「今回の都市PR大使は、芯子(しんこ)に譲るように言ったはずよ。私の言葉を聞き流したわね!もし最終リストを調べなかったら、今でも彼女に騙されていたわ!少しでも良心があるなら、妹のものを奪うべきじゃなかった!」
傍らにいた池田芯子は白井淑子の言葉を聞いて、目尻に嫉妬と憎しみを浮かべた。素早く整えて、少しの悔しげな表情で言った。
「お母さん、そんなこと言わないで。PR大使って貴重なチャンスだから、お姉さんが譲りたくない気持ちも分かるよ。きっと私に何か足りないところがあったから、選ばれなかったの……」
「何が彼女に及ばないって言うの? 彼女の全ては私たち池田家が与えてやったものなんだから」淑子は優しい声で自分の娘を慰めた。
池田翔佳は静かにこの母と娘の芝居を見つめていた。幼い頃から、こんな演技は幾度となく見てきた。今となっては心はもう揺らぐこともなく、むしろ唇に薄笑いが浮かぶほどだった。
四日前、彼女は池田芯子を救うために、車にぶつかって20メートルも吹っ飛ばされた。誰もが彼女が生き残れないと思っていた。
白井淑子と池田家の者たちが現場に駆けつけたとき、最初に気にかけたのは彼女の怪我ではなく、事故に怯えて泣き止まない池田芯子をなだめることだった。
その時地面に倒れ、かすみかかった意識の中で、池田翔佳は手足が冷たくなるのを感じつつ、さらに彼女の心まで凍りつかせたのは池田父と白井淑子の会話だった——
【ボンネットめちゃくちゃに潰れている。多分助からないだろう。】
【それもいいわ。あの子が死ねば、芯子の身代わりに厄災を受け止めてくれたことになる。私たちが何年も育てた甲斐があったわ……】
池田翔佳はとっくに知っていた。彼女は池田家にとって、池田芯子の身代わりでしかなかったことを。
幼い頃は理解できなかった。なぜ池田芯子が病気になるたびに、白井淑子は自分に二十四時間つきっきりにさせたのか。なぜ自分が看病すると池田芯子はすぐに元気になるのに、そのあと自分自身はその後重い病気にかかったのか。
後に師匠と出会い、教えを受けて初めて知った。彼女と池田芯子の生年月日は、陰陽道の観点からすると「陰」と「陽」、ぴったりと符合する因縁の関係にあった。
陰と陽は元来一つのもの、彼女は、その陽の部分を担う存在だった。
池田家が彼女を池田芯子のそばで育てたのは、実は彼女自身の気運で池田芯子の厄運を埋め合わせるためだった。こうした繰り返しの中で、池田芯子の運勢は徐々に上向きになり、彼女は徐々に衰えていくのだった。
もし池田翔佳が事前に準備していなければ、おそらく彼女はすでに運気を全て吸い尽くされ、四日前の交通事故で命を落としていただろう。
しかしこの事故がきっかけで、彼女の実の父親が偶然彼女を見つけることになった。
「話はこれで終わり?終わったなら、行ってもいい?」
この夫婦が平然と自分の死を語り合うのを直接聞いた後、池田翔佳の池田家へ抱いていた、心の底のわずかな期待も完全に消えた。
池田家を離れることに、彼女は未練など微塵もなかった。
「翔佳、お母さんを責めないでくれ。この件はお前にも非があった」
池田父がようやく前に出て、いつものように厳しい表情で言った。「お前が実の両親を見つけたのなら、彼らと一緒に帰りなさい」
池田芯子も怯えたような優しい声で続けた。
「お姉さん、お母さんを怒らないで。お母さんはすべて私のためなの」
そう言いながら、突然封筒を取り出して彼女に渡し、表面だけは優しそうに言った。
「これは旅費よ。お父さんから聞いたけど、お姉さんの実の両親は山奥に住んでいて、とても貧しいそうだし、ネットも使えないだろうし、現金を持って行った方がいいわよ」
傍らの白井淑子は、ふんと冷ややかに鼻で笑い、
「長年の情けは忘れていないわ。このお金は山の中なら一年は十分に使えるわ。私たちはあんたに十分親切にしてきたのよ」
彼女はさらに嘲笑を浮かべながら続けた。
「あんたがそっちに戻ったら、もう会うこともないでしょうね。聞いたところによると、そういう山奥には嫁に来る人がいないお年寄りがたくさんいるそうよ。あんたが戻ったら、ちょうどいい嫁の材料じゃない。どうせあんたは成績も普通だし、大学に合格することもないでしょうね」
池田翔佳は白井淑子の恩着せがましい、そして悪意に満ちた様子を見て、ただ冷ややかに一瞥しただけで言った。
「額のシワが深いよ。計算高い上に、悪行の積み重ねの表れよ。私のことを心配するより、この数万円で顔パックを買ったら?」
彼女は言いながら少し間を置き、わざと間を置いて付け加えた。
「まあ、効果は期待できないと思うけど」
池田翔佳のその言葉はあまりに真顔で言ったので、白井淑子の顔色がみるみる変わって、その場で怒鳴りつけた。「この小娘が!誰に向かってそんな口の利き方を!」
そう言いながら、手を振りかぶって池田翔佳を殴ろうとした。
池田翔佳は冷たい目で彼女を見つめ、さっと身をかわし、白井淑子の手を空振りさせた。
白井淑子は信じられない表情を浮かべた、「よくも避けるわね.......」
傍らの池田芯子は状況を見て、慌てて池田翔佳を掴んだ。「お姉さん、お母さんを怒らせないで。あなたがちゃんと話せば、お母さんは許してくれるよ」
表面上はそう言いながら、実際には白井淑子の平手打ちから逃げられないように、ただ彼女を引き止めていただけだった。
池田翔佳は手を上げて池田芯子を押しのけようとしたが、ふと彼女の手首に目が留まった。池田芯子の手首に巻かれた玉の腕輪を見た。
さっと、彼女は池田芯子の手首を掴み、冷たい声で問いただした。
「なぜあなたがこの腕輪を?」
池田芯子は今日わざとこの腕輪を身につけて、自慢をするつもりだった。
今ようやく自分の手首に池田翔佳が気づき、不意に掴まれた。池田芯子はすぐに驚いた様子を見せ、痛そうな声を漏らした。
「痛い……」
池田芯子の声に、傍らの白井淑子は顔色を変え、池田翔佳の手を掴んで引き離し、鋭い声で怒鳴った。
「池田翔佳!何をする気?!」
しかし池田翔佳は池田芯子を見つめ続け、声は氷のように冷たかった。「あれはおばあさんが私にくれた腕輪よ」
「何があんたのもの?!あれはばあさんが池田家の娘に残したものわ。あんたは池田家の人間じゃないんだから、その腕輪はもちろん芯子のもの!」
池田翔佳は唇をきっと噛みしめ、スーツケースを持つ手を放し、池田父の方を向いて言った。
「池田家のものは一つも持っていかない。ただおばあさんが私に残した腕輪だけは返して」
もし池田家に何か未練があるとすれば、それはおばあさんだけだった。
おばあさんはこの家で唯一彼女を本当に愛してくれた人で、最期の瞬間まで、自分がいなくなった後、彼女がうまくやっていけるかを心配していた。
あの腕輪は、おばあさんが彼女に残した唯一の形見だった。