詩織の心に切り裂かれたような傷ができ、血が滴り落ちていたような気がした。
恭介はお婆様の前でも彼の妻の面目を保とうとしていた。
「奈緒が銀行頭取の奥さんと知り合いだったおかげで、お前の正体が暴かれたんだ。そうでなければ、この福田家はお前に騙されたままだ」
詩織は瞳の色を沈ませ、手を上げた。
「その振込記録、見せてくれない?」
執事は大奥様の指示を受け、「証拠」を彼女の手に渡した。
高橋はいらついた様子で彼女に忠告した。
「ずる賢いことをしても無駄よ。その証拠を隠滅したところで、銀行からもう一度印刷してもらえるわ」
詩織の視線は銀行の印章が押された紙に落ちた。
振込記録は本物だが、彼女は自分の名義でこんな口座を作った記憶がない。
「カード番号が違いますよ」
詩織は振込記録を指差して言った。
「ありえないわ!」
高橋は反射的に前に出た。
その瞬間、詩織は彼女の髪をつかみ、もう片方の手でテーブルの上にあったフルーツナイフを取り、彼女の首に突きつけた。
この行動に全員が衝撃を受け、大奥様まで立ち上がった。
「白を切るつもりか?」
恭介は激怒した。
詩織は目尻に冷たさをたたえた。
「不意打ちで私を陥れるつもり?」
「でもそれは妄想よ!誰だろうと、一歩でも近づいたら、彼女の首を突き刺すわ!」
「あなた、助けて」
高橋の声は震えている。
恭介がボディーガードを呼ぼうとすると、大奥様は目を細めた。
「妻の命がどうなってもいいの?」
恭介はすぐに手を上げたまま止まった。
詩織のナイフは高橋の首に血の線を引いた。
高橋は痛みで悲鳴を上げた。
「この口座の由来なら、私よりも詳しいよね?」
詩織は聞いた。
「わ……分からないわ、そんなこと言われても」
高橋の声には自信がなかった。
「何度も私を侮辱してきたんだ。選びなさい、私の潔白を証明するか、それとも私が地獄に送ってやるか」
恭介は緊張して叫んだ。
「詩織、彼女を殺しても、お前はただではいられないぞ」
「人としての尊厳もなくなった今、生きていても意味ないし!」
詩織は言い終えると、高橋の顔に一振り切った。
高橋は詩織がここまで覚悟を決めているとは思っていなかった。
彼女はこの女が精々自分が無実だと叫ぶだけで、自分の潔白を証明する証拠も出せず、最終的には彰人に離婚を迫られ、大奥様に福田家から追い出されるだろうと思っていた。
まさかこんなに強気な女だったとは。
今や顔を傷つけられ、彼女は完全に怖気づいて叫び出した。
「ごめんなさい、私が…」
「やめろ!」
そのとき、彰人が中島を連れて外から急いで入ってきた。
高橋の顔に血が広がっているのを見て、彼は眉をひそめた。
「君がやっていないのは分かっている。彼女を放せ」
詩織は彼に対しても警戒心を抱き、手を緩めようとしなかった。
彰人は顎の筋肉を動かし、中島に合図して大奥様に新しい証拠を提出させた。
恭介は彼が詩織をかばおうとしていると思った。
「彰人、昨晩飛行機から降りたときに言っただろう。女色に迷わされるなと。いくら好きな女でも、福田家の名を傷つけさせてはならない。銀行の振込は動かぬ証拠だ…」
しかし彰人は彼の言葉を遮った。
「振込は確実に起きた、そのカードも確かに彼女の名義で作られた。だが、その発行過程に不正があった」
恭介は呆然とした。
「何だって?」
彰人の目は冷たさを極めていた。
「このカードは規則違反で発行されたもので、申込者と署名も彼女本人のものではない。おばさんが俺の妻を陥れるために、その頭取夫人に金の延べ棒を十本渡した。取引場所はおばさんの名義の美容院だ。監視カメラはないが、頭取夫人は全てを夫に告白したんだ。夫は仕事を失う危機に対し、何とかして償おうとしているところだ」
恭介は驚きで口が閉じなかった。
彼は高橋に向き直り、信じられない顔になった。
「なぜ私を騙した?」
高橋は震えて何も言えず、ただひたすら頭を振るだけだった。
彰人は詩織を見つめ、目線をやや柔らかくした。
「リラックスして、ここには誰も君を傷つける者はいない」
詩織は目的が達成したと見て、手を放し、ナイフも置いた。
高橋は恭介の足元に倒れ込み、泣き崩れた。
詩織は疲れ果て、ボタンが引きちぎられた襟元を掴んだ。
彼女も泣きたかったが、こんな時は一滴の涙も見せるわけにはいかない。
彰人は心を痛め、数歩近づいて彼女を抱きしめようとした。
しかし詩織は突然手を上げ、彼に平手打ちをした。
部屋の中の空気は凍りつき、針が落ちる音さえ聞こえるほど静かになった。
詩織は目に涙を浮かべながら、彼を指差した。
「美雪のことにばっかり偏るから、あいつの母に勇気を与えたのよ。何度も私を侮辱しても、軽い叱責で済んだ。私は裸が見られそうだったのよ、名誉すら完全に失った。あなたは軽々しい慰めの言葉以外に、私に何もしてくれないの?」
詩織は深く息を吸い、あふれそうになる涙をなんとか抑えた。
「彰人、あなたの偽善者面と噓にはうんざりよ!」
彰人の目に氷が張ったが、彼女が言い終えても反論することはしなかった。
彼は冷たい表情命令した。
「中島、今日のプラチナマンションに侵入した者は一人も見逃すな」
彰人は、血を流さずとも、相手を生きた心地がしないほど苦しめる手段で知られている。
客間ではたちまち許しを乞う声が響いた。
中島がその連中を連れ出して処分しに行ったが、彰人は詩織を見て聞いた。
「これで満足か?」
彼は自分が本当に望んでいるものさえ知らない。
詩織は冷笑した。
「二つの選択肢を与えるわ。美雪との関係を断つか、それとも私との関係を断つか」
これが彼に与えた最後のチャンスだった。
しかし彰人の声は冷たく、視線はさらに冷ややかだった。
「俺は選択などしないぞ」
詩織は心が冷え切り、大奥様に向き直った。
「以前、私にこう言ったよね。もし…」
「詩織」
大奥様は彼女の言葉を遮った。
「私がけじめをつけよう」
言い終えると、彼女は高橋を見た。
恭介はとっくに高橋の罪を許し、彼女を抱きかかえて守ろうとした。
大奥様は情けない顔を見せた。
「今後、誰であれ、美雪を家に連れ戻そうとするなら、その者は福田家の罪人になる。今日から、福田家には奥様と呼ばれる者は存在しない」
恭介と高橋は衝撃を受けた。
「母上、高橋の顔は復元できないほど傷付けられたんだぞ。これでは十分な罰かと思いますが、どうか……」
「恭介、女色に溺れているのはあんたの方だ。離婚するかどうかはあんたの勝手だが、私はもう高橋のことを、うちの嫁とは認めない」
その裏の意味は、恭介もよく分かっている。大奥様の宣言は、既に譲歩しているんだ。
彼女は前から高橋を気に入らなかったが、息子の面子を立ててその存在を許容していた。しかし今回の妻のやり方はあまりにも行き過ぎていた。
彼はため息をついた。
「彼女には償ってもらいます。もう少し時間をください」
しかし詩織はもう大奥様の、慰め程度の応援には飽きた。
「大奥様、私はいつまでも、運よく助かるとは思いませんよ…」
「それ以上福田家に何をしてほしいの?被害者だからって、やりすぎてはいけないわ」
「そういうわけではありません。私はただ…」
「もういいわ、分別ある者は引き際を知るものだ。その格好も、見ていられないわ。早く着替えなさい」
大奥様は驚くほど強い態度で、彼女に「離婚」という言葉を口にさせないようにした。