第7話:殺意という名の味噌汁
[影宮詩織の視点]
「怜、私が栗アレルギーだって知ってるでしょう?」
私は静かに言った。
「そんな大げさな」
怜が苛立ったように答える。
「少しくらい大丈夫だろう」
「大げさじゃない。命に関わるの」
「美夜が朝早くから作ってくれたんだ。感謝しろよ」
怜の声が冷たくなる。
「私、もう行くわ」
美夜が立ち上がろうとする。
「せっかく作ったのに……」
涙を浮かべて見せる演技。
「待てよ、美夜」
怜が美夜の手を掴む。
「詩織、飲め」
命令口調だった。
「嫌です」
私は首を振る。
「飲めって言ってるんだ!」
怜が立ち上がり、私の顎を掴んだ。
「やめて!」
私は必死に抵抗する。でも、怜の力は強い。
無理やり口をこじ開けられ、栗入りの味噌汁が流し込まれる。
「んっ……!」
息ができない。飲み込むしかなかった。
椀の中身を全て飲み干すまで、怜は私を離さなかった。
「ほら、飲めただろう?」
怜が満足そうに言う。
その時、喉の奥に違和感が走った。
「ゲホッ……ゲホッ……」
激しい咳が止まらない。
「大げさだな」
怜が一瞥して、美夜の方に向き直る。
「美夜、泣くなよ。詩織はちゃんと飲んだから」
「ありがとう、怜」
美夜が嬉しそうに微笑む。
「ゲホッ……ゲホッ……」
咳がどんどん激しくなる。息が吸えない。
「救急車を……助けて……」
かすれた声で懇願する。
「美夜に謝れ」
怜が冷たく言い放つ。
「せっかく作ってくれたのに、文句ばかり言って」
視界がぼやけてくる。呼吸が浅くなる。
「怜……」
私は手を伸ばした。でも、怜は美夜を抱きしめている。
意識が遠のいていく。
最後に見えたのは、美夜の勝ち誇った笑顔だった。
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救急車のサイレンが響く中、怜は顔面蒼白になっていた。
「大丈夫ですか?」
救急隊員が怜に声をかける。
「妻が……妻が……」
怜の声が震えている。
酸素マスクをつけられた詩織の顔は青白く、呼吸は浅い。
「アレルギー反応ですね。かなり重篤です」
救急隊員の言葉に、怜の手が震えた。
「死ぬんですか?」
「一刻も早く病院に」
救急車が病院に到着すると、詩織は緊急処置室に運び込まれた。
怜は待合室で頭を抱えていた。
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[影宮詩織の視点]
目を開けると、白い天井が見えた。
病院だった。
「気がついたか」
怜の声が聞こえる。
「5時間の緊急処置でした」
医師が現れる。
「あと数分遅れていたら手遅れでした。アレルギーがあることを知っていたんですか?」
医師の厳しい視線が怜に向けられる。
怜は何も答えられずにいた。
「なぜちゃんと言わなかったんだ?」
怜が私を見て言う。
責任転嫁。
私が悪いと言いたいのだ。
「言いました」
私は静かに答えた。
「何度も」
その時、怜のスマートフォンが鳴った。
「美夜からだ」
怜が電話に出る。
「詩織に直接謝りたいって」
怜が私にスマートフォンを差し出す。
私は受け取った。
「もしもし」
「詩織?大丈夫?」
美夜の心配そうな声。
でも、次の瞬間、声のトーンが変わった。
「栗アレルギーなの、知ってたわよ。あれはわざとだったの。通報でもいいよ?でも証拠がないでしょ?」
嘲笑うような声。
「あなた……」
「5年間、正妻の座に座ってた気分はどう?もうすぐ私と交代よ」
私はスマートフォンを床に叩きつけた。
「出ていって!」
絶叫する。
「詩織、何を——」
「出ていってよ!」
怜が美夜を庇うように立ち上がる。
「しっかり反省してろ」
怜は私にそう言い残して、病室を去った。
一人になった病室で、私は天井を見つめていた。
もう何も感じない。
心が完全に死んでいた。
その日のうちに退院し、私は自宅に戻った。
リビングに飾られた結婚写真が目に入る。
幸せそうに微笑む私と怜。
でも、その頃にはもう美夜が妊娠していたのだ。
私は花瓶を手に取り、結婚写真を叩き割った。
ガシャン!
音を聞いて駆けつけた使用人が、驚いたような顔をする。
「この家にある私と彼のツーショットは、全部燃やしてちょうだい」
私は冷たく言い放った。