──ぐうううぎゅるるるるる……
腹が、減っていた。
「くっそ……草むらで寝た上に、朝から何も食っとらん……」
真堂拳志は、ズルズルと山道を歩いていた。
異世界転生だというのに、出会うのは獣と雑草ばかり。
「おかしいやろ……もっとこう、勇者とか歓迎されるやつちゃうんか……」
そんな時だった。
──キャアアアアアアッ!!
森の奥から、少女の悲鳴が響いた。
反射的に拳志は顔を上げる。
「……は?」
直後、地を揺らすような爆音。
鳥たちが一斉に飛び立ち、森がざわめく。
「腹減って死にそうな時に悲鳴と爆発音て……」
一拍置いて、目線を森の奥へ。
「フラグっちゅうやつやな。行くしかないやろ」
拳を握って、ずかずかと爆音の方へ向かい始める。
「くっ……結界が……ッ!」
森の奥の開けた平地。
淡い蒼光のバリアが、今にも破られそうなほど揺らいでいた。
その中にいるのは──青いドレス、金髪の少女。
「王国の姫……アリシア=レイネルト。貴様には死んでもらう」
結界を挟んだ外側には、二体の魔物。
ひときわデカい棍棒を持った赤肌のオークと、
チビのくせに偉そうに笑っているゴブリンが、姫を挟むように立っていた。
オークが唸るような声で言い放つ。
「マオーサマ、言ってた……マオーサマ殴ったヤツの、知り合い……全部ぶっ潰せって!」
「……ッ、意味がわからない……!」
アリシアは魔力を振り絞って結界を張るが、魔族の攻撃に亀裂が走る。
オークが拳を振りかぶった、そのとき──
「おーい、そこのブタとブス。女の子いじめんなや」
声と共に拳志の拳が振り抜かれた。
鈍い衝撃音が森を震わせ、オークの頬骨が歪む。
巨体はそのまま地面に叩きつけられ、顔面ごと土にめり込んだ。
大地が揺れ、地響きと共に魔族は沈黙する。
ゴブリンが数歩後ずさりしながらも、牙を剥いて威嚇する。
だが、その目にははっきりと──恐怖が浮かんでいた。
(まさか……まさかこいつは……)
数日前の、あの光景。
空が赤く染まった、あの遺跡の広場。
その中心で、魔王を──たった一撃で沈めた。
「キ、キサマは……魔王様を……一撃で……ッ!」
言葉が震え、足がすくみ、声は裏返るばかりだった。
拳志は、ポケットに手を突っ込んだまま肩を鳴らす。
「そーやけど?」
「腹減っとんねん。無駄に動かさすなよ」
「ひゅえぇぇぇっ!!?」
叫び声を残して、ゴブリンは点になり、空にキラーンと光った。
拳の軌道すら見えなかった。
アリシアが、呆然と立ち尽くす。
「──ッ……あなた……誰……?」
「ただの通りすがりや」
その言葉に、しばらく沈黙していたアリシアが目を細める。
「……恩に着せるつもりかしら?」
しばらくして、バリアを解いたアリシアが言い放った。
「助けたつもりもないけど、礼も言わんのかい」
「私は王国の姫よ?無礼者!」
「知らんがな。ただのうるさい女にしか見えへんけどな」
「な、なによそれ!誰のことをうるさいって言ったのよ!」
「あー、うるさいうるさい。そんなことより食糧持ってへんか?」
そこに、騎士団の部隊が駆けつけ、剣を構える。
アリシアを守るように前に出た騎士が、拳志に睨みを向ける。
「その方から離れろ!」
拳志が怪訝な顔で振り向く。
「はあ?お前らの姫、俺が助けたんやけど?」
騎士たちがざわつく中、隊の一人がぽつりと呟いた。
「え、あなたが……って、このオークの顔どうなってる!? 地面にめり込んでるぞ!?」
その瞬間、空気が止まる。
騎士団長らしき男が小さく舌打ちする。
「余計な口を開くな。下がれ」
だが拳志は、肩を鳴らしながら笑った。
「ええやん。そんくらいのノリのが、話しやすいわ」
アリシアが眉をひそめる。
「まったく……騎士団も、この男も……まともなのがいないのね……」
一方、統律の塔。
仮面をつけた神官たちが再び集まり、光の記録を凝視していた。
そこには──森で魔族を殴り飛ばす拳志の姿。
その後ろに、呆然と立ち尽くす王国の姫アリシア。
「……また魔族を討ったか。今度は王国の姫と接触まで」
「偶然にしては出来すぎている」
会議室にざわめきが走る。
仮面の奥から漏れる声は、どれも不安を帯びていた。
「異物……悪意はないように見える」
「だが、理を知らぬまま法を越えて裁きを振るう。最も危険な存在だ」
沈黙を切り裂き、玉座の神官が低く告げる。
「このまま進めば──統律は歪む」
ざわめく神官たちをよそに、会議室の隅で黒衣の青年が薄く笑った。
「……面白い。次はどんな喧嘩を買うつもりだ、拳志」
その頃、拳志は──
「クソみたいな魔物に、うるさい姫。ほんま、しゃあない世界やで……」
焚き火を囲んで、騎士団からカツアゲした干し肉をあぶっていた。
「まあええ。喧嘩売られたら買うだけや」
この時、運命が動き出した。
王国の姫と──最悪のヤンキーが出会ったことで。