ドガァッ!!
拳志の拳が、トカゲのような魔物の顔面を粉砕した。
拳の甲が鱗を押し潰し、頭蓋が土に沈む。砂埃がふっと遅れて立つ。
「ぶぴょああッ!」
……と、情けない声を上げて、獣はそのまま地面にねじ込まれる。
びくりとも動かない。
地面に残ったのは、歪んだ鼻先と、虚ろな目だけだった。
「……また出たな。トカゲ率高ないかこの辺」
拳志は干し肉を噛みながら、手の甲で汗をぬぐった。
その横で、レインが目を丸くして叫ぶ。
「い、今の中級の魔物ですよ!? しかも拳で……!?」
「まあまあやな。ちょっと硬かったわ」
拳志は潰れた魔獣を見下ろしながら、ぽつりとつぶやく。
「魔物に、魔法。ほんまに、異世界なんやな」
アリシアが、ふと立ち止まり、拳志を見つめた。
「ねえ、拳志。……あなた、どこから来たの?」
「どこって……まあ、日本やな。俺のいた世界の国や。事故って死ぬと思って。気づいたら、この世界やった」
「……転生してきたの?」
「いや、それがな……」
拳志は干し肉を噛みながら、眉をひそめた。
「こう言うのってある程度流れ決まっとるやん。神様出てきてスキルを一つ選べとか、この世界を救ってくれとか……」
レインがうなずく。
「はい、そういう形が一般的ですね」
拳志は軽く鼻で笑った。
「なかったで。何も。説明も、加護も、スキルも」
「じゃあ……気づいたら?」
「魔王の目の前や。いきなり喧嘩売られたから、とりあえず、しばいといた」
アリシアは絶句した。
「普通は逃げるでしょ!?なんで殴るのよ!」
「喧嘩売られたら買うやろ。そっから数発しばいて逃げて、気づいたら姫さんと会って、今や」
拳志は空を見上げた。
「……来て数日しか経ってへんけどな。もう分かったわ」
「なにが?」
「腐ってんな、この世界」
──その時、藪がざわめいた。
黒い影が数体、獣のように飛びかかってくる。
「また来るわ!」
アリシアが叫び、瞬時に結界を張った。
半透明の膜が三人を覆い、牙を剥いた魔獣がぶつかって火花を散らす。
「助かったで」
拳志が舌打ちして前に出る。
結界の隙間から拳を突き出すと、魔獣の顎が砕け、土に転がった。
「……でも数、多い!」
レインは素早く地面に符を描く。
「封印魔法──」
淡い光の鎖が伸び、一体の魔獣の足を絡め取る。
「動きは止めました!今です!」
拳志は飛び込み、拳でねじ伏せる。
砂埃が収まり、残ったのは魔獣の死骸と荒い呼吸だけだった。
拳志は肩を回しながら、二人を見た。
「なあ。お前らの魔法って、どうなっとんねん。結界作ったり動き止めたり……あれどうやってやるん?」
レインが即座に反応する。
「魔法はですね!魔力というエネルギーを、術式と想起によって具現化する技術で──」
「待て、まず魔力ってなんや」
「先天的な資質ですね。魔力量と魔力の質で、才能が決まります」
「努力は?」
「必要です。あと集中力と理解力も」
「つまり、魔法は──生まれつきと努力と頭の良さがいるってことか」
「……ざっくり言えば、そうなります」
拳志は干し肉をもうひとかじり。
「……全部ないな、俺」
アリシアが小さく頷く。
「あなた……魔力の反応、ゼロよ。下層民でも聞いたことがない」
拳志は空を見上げたまま言った。
「まあ、せやろな。魔法出る気せぇへんもん」
「……普通は絶望するのよ。それだけ不利な状態で、どうしてそんなに平然としてるの?」
拳志は鼻で笑った。
「光って飛んでくるだけやろ。避けたらええねん。速けりゃ殴ればええ」
レインが困惑する。
「でも、火球とか氷の槍とか──あれは普通、恐怖しますよ!?」
拳志は空を見たまま言う。
「火ぃ出されても、風ぃ飛んできても、怖ないねん。怖いんは、使うやつや」
レインとアリシアが、静かに顔を上げた。
「魔法そのもんは道具やろ?使うやつが腐っとったら、なんでも凶器になる。それが怖いんや」
アリシアは、その横顔を見つめていた。
「……あんたが、この世界の人間じゃなくて……よかったかもね」
西の空が赤く染まる。
拳志は背伸びをして言った。
「よっしゃ、そろそろ歩こか。夕飯食って寝る場所探さんとな」
夜になり、焚き火の灯りが、赤土の地を照らしていた。
拳志とアリシアの焚き火の向こうで、レインが不安げに座っていた。
「……僕……役に立てますかね」
「知らん」
拳志があっさり返す。
「まぁ、お前は見とるだけやなくて、拳握った。それで十分や」
アリシアは火を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「ほんっと……うるさいのが増えたわね」
少しの間を置いて。アリシアが視線を外したまま呟く。
「……あんた、行き先も決めずにどうするつもりなの?」
拳志は干し肉をかじりながら、ぼそりと返す。
「さぁな。けどまあ、気に入ったヤツが増えてきたら……おるべき場所くらい、自分で作ってもええんちゃうか、って思うだけや」
拳志は石を枕に転がり、レインは膝を抱えて地図を眺めていた。
その時だった。
──風が止む。草の擦れる音が、ぴたりと消えた。
「……なんか、匂わんか?」
拳志が鼻をひくつかせた。
アリシアが立ち上がる。
「……見られてるわね」
レインも立ち上がり、警戒態勢を取る。
茂みの中に、光る赤い瞳。
アリシアが呟いた。
「……獣人……?」
拳志は肩を回し、拳を軽く握り直す。
「ええな。そろそろ退屈してたとこや」
焚き火の火の粉が、夜気に散った。
「よっしゃ、喧嘩の時間や」