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Kabanata 8: 獣の瞳

ドガァッ!!

拳志の拳が、トカゲのような魔物の顔面を粉砕した。

拳の甲が鱗を押し潰し、頭蓋が土に沈む。砂埃がふっと遅れて立つ。

「ぶぴょああッ!」

……と、情けない声を上げて、獣はそのまま地面にねじ込まれる。

びくりとも動かない。

地面に残ったのは、歪んだ鼻先と、虚ろな目だけだった。

「……また出たな。トカゲ率高ないかこの辺」

拳志は干し肉を噛みながら、手の甲で汗をぬぐった。

その横で、レインが目を丸くして叫ぶ。

「い、今の中級の魔物ですよ!? しかも拳で……!?」

「まあまあやな。ちょっと硬かったわ」

拳志は潰れた魔獣を見下ろしながら、ぽつりとつぶやく。

「魔物に、魔法。ほんまに、異世界なんやな」

アリシアが、ふと立ち止まり、拳志を見つめた。

「ねえ、拳志。……あなた、どこから来たの?」

「どこって……まあ、日本やな。俺のいた世界の国や。事故って死ぬと思って。気づいたら、この世界やった」

「……転生してきたの?」

「いや、それがな……」

拳志は干し肉を噛みながら、眉をひそめた。

「こう言うのってある程度流れ決まっとるやん。神様出てきてスキルを一つ選べとか、この世界を救ってくれとか……」

レインがうなずく。

「はい、そういう形が一般的ですね」

拳志は軽く鼻で笑った。

「なかったで。何も。説明も、加護も、スキルも」

「じゃあ……気づいたら?」

「魔王の目の前や。いきなり喧嘩売られたから、とりあえず、しばいといた」

アリシアは絶句した。

「普通は逃げるでしょ!?なんで殴るのよ!」

「喧嘩売られたら買うやろ。そっから数発しばいて逃げて、気づいたら姫さんと会って、今や」

拳志は空を見上げた。

「……来て数日しか経ってへんけどな。もう分かったわ」

「なにが?」

「腐ってんな、この世界」

──その時、藪がざわめいた。

黒い影が数体、獣のように飛びかかってくる。

「また来るわ!」

アリシアが叫び、瞬時に結界を張った。

半透明の膜が三人を覆い、牙を剥いた魔獣がぶつかって火花を散らす。

「助かったで」

拳志が舌打ちして前に出る。

結界の隙間から拳を突き出すと、魔獣の顎が砕け、土に転がった。

「……でも数、多い!」

レインは素早く地面に符を描く。

「封印魔法──」

淡い光の鎖が伸び、一体の魔獣の足を絡め取る。

「動きは止めました!今です!」

拳志は飛び込み、拳でねじ伏せる。

砂埃が収まり、残ったのは魔獣の死骸と荒い呼吸だけだった。

拳志は肩を回しながら、二人を見た。

「なあ。お前らの魔法って、どうなっとんねん。結界作ったり動き止めたり……あれどうやってやるん?」

レインが即座に反応する。

「魔法はですね!魔力というエネルギーを、術式と想起によって具現化する技術で──」

「待て、まず魔力ってなんや」

「先天的な資質ですね。魔力量と魔力の質で、才能が決まります」

「努力は?」

「必要です。あと集中力と理解力も」

「つまり、魔法は──生まれつきと努力と頭の良さがいるってことか」

「……ざっくり言えば、そうなります」

拳志は干し肉をもうひとかじり。

「……全部ないな、俺」

アリシアが小さく頷く。

「あなた……魔力の反応、ゼロよ。下層民でも聞いたことがない」

拳志は空を見上げたまま言った。

「まあ、せやろな。魔法出る気せぇへんもん」

「……普通は絶望するのよ。それだけ不利な状態で、どうしてそんなに平然としてるの?」

拳志は鼻で笑った。

「光って飛んでくるだけやろ。避けたらええねん。速けりゃ殴ればええ」

レインが困惑する。

「でも、火球とか氷の槍とか──あれは普通、恐怖しますよ!?」

拳志は空を見たまま言う。

「火ぃ出されても、風ぃ飛んできても、怖ないねん。怖いんは、使うやつや」

レインとアリシアが、静かに顔を上げた。

「魔法そのもんは道具やろ?使うやつが腐っとったら、なんでも凶器になる。それが怖いんや」

アリシアは、その横顔を見つめていた。

「……あんたが、この世界の人間じゃなくて……よかったかもね」

西の空が赤く染まる。

拳志は背伸びをして言った。

「よっしゃ、そろそろ歩こか。夕飯食って寝る場所探さんとな」

夜になり、焚き火の灯りが、赤土の地を照らしていた。

拳志とアリシアの焚き火の向こうで、レインが不安げに座っていた。

「……僕……役に立てますかね」

「知らん」

拳志があっさり返す。

「まぁ、お前は見とるだけやなくて、拳握った。それで十分や」

アリシアは火を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

「ほんっと……うるさいのが増えたわね」

少しの間を置いて。アリシアが視線を外したまま呟く。

「……あんた、行き先も決めずにどうするつもりなの?」

拳志は干し肉をかじりながら、ぼそりと返す。

「さぁな。けどまあ、気に入ったヤツが増えてきたら……おるべき場所くらい、自分で作ってもええんちゃうか、って思うだけや」

拳志は石を枕に転がり、レインは膝を抱えて地図を眺めていた。

その時だった。

──風が止む。草の擦れる音が、ぴたりと消えた。

「……なんか、匂わんか?」

拳志が鼻をひくつかせた。

アリシアが立ち上がる。

「……見られてるわね」

レインも立ち上がり、警戒態勢を取る。

茂みの中に、光る赤い瞳。

アリシアが呟いた。

「……獣人……?」

拳志は肩を回し、拳を軽く握り直す。

「ええな。そろそろ退屈してたとこや」

焚き火の火の粉が、夜気に散った。

「よっしゃ、喧嘩の時間や」


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