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77.77% 薬神のレシピ 〜救済か破滅か〜 / Chapter 7: 街の子供と薬の神

Kabanata 7: 街の子供と薬の神

西区の診療所を出ると、石畳の通りは昼の色に近づいていた。

露店の魔法灯が薄く揺れ、小さな配送鳥が屋根から屋根へ糸のように飛ぶ。

香辛料の袋が山になり、串焼きの匂いが風に混じる。

「ルークさん」

袖をつつく声に振り向くと、小さな男の子が走ってきた。頬は赤く、目は元気だ。

「昨日、ありがとう!紙、母ちゃんが壁に貼った!」

その後ろで、母親が深く頭を下げる。

「飲む量と、やめる目安が書いてあって……あれで落ち着けました。本当に助かりました」

「よかった」

ルークは短くうなずいた。

「書いて渡して、正解だった」

リリィが胸を張る。

「図の効果、抜群です。今日もたくさん描きますね!」

通りのあちこちから、噂が耳に入ってくる。

「昨日の診療所、あの薬師が来てたってな」

「でも危ない調合をするって。一歩間違えば毒になるってよ」

リリィが横目でこちらを見る。

「……賛否、半々ですね」

「王都はそういう場所だ」

ルークは肩の荷ひもを持ち直す。

「形はすぐ変わる。中身だけ残ればいい」

「中身は残ります。私、ちゃんと見てますから」

リリィは前を見て歩幅を合わせた。

角を曲がった先、市場の片隅で、布を広げた露店商が手を上げた。

「薬師さん、ちょっと!」

日焼けした男だ。手には小さな木箱。

「家の子が夜な夜な咳き込むんだ。診療所に行く金が足りなくて……見てもらえませんか」

リリィがすぐに頷く。

「行きましょう」

ルークも迷わず答えた。

「わかった。道を」

露店の奥は狭い住居だった。古い魔導灯が弱く光り、布団の上で子どもが肩を上下させている。

咳は乾いて長い。額は熱いが、手足は冷えてはいない。

「ルークさん」

「大丈夫だ」

ルークは脈と呼吸を確かめ、鞄を開けた。

支給薬草の束と、小さな薬瓶。

鍋と火口を借り、手を洗う。

「薄い解熱と、喉を楽にする組み合わせ」

瓶の栓を外し、計量匙で一滴分を薄める。銀葉草の粉末をわずかに足し、温めて香りを立てた。

「リリィ、背を支えて」

「はい。ゆっくり飲もうね」

子どもが一口、二口と飲み下した直後、喉の奥で強い咳が一つ込み上げた。

母親が思わず身を乗り出す。

「だ、だめですか……?」

「大丈夫。今は喉が驚いただけ。数呼吸、待って」

ルークは落ち着いた声で手を上げ、胸の上下をもう一度見る。

数拍のあいだ、咳が続き——やがて音が軽くなる。

子どもの喉が動き、しばらくして咳が短くなる。

肩の上下が落ち着き、息が深く入るようになった。

「……すごい」

露店の男が目を見開く。

「もっと強い薬にしなくていいんですか」

「今はこれで十分」

ルークは紙と羽根ペンを取り出し、さらさらと描きはじめる。

「服用量。夜は半量。朝に咳が続いたら、もう一度。ここまででやめる。水はこれくらい。熱が上がって顔が赤く、手足が冷えたら診療所へ」

図と矢印で、誰が見てもわかるように。

「母ちゃん」

子どもが小さな声で言う。

「……楽になった。ありがとう」

「うん……うん、よかった……」

母親は目尻を拭い、紙を両手で受け取った。

「診療所に行けない家、多いんです。並ぶ時間も、お金も……」

「……この子、また外で走れますか。広場で、前みたいに」

母親の声が震える。ルークは短くうなずいた。

「焦らなければ戻ります。この紙どおりに。数日は安静、それから少しずつ」

リリィがそっと言う。

「これからは…私たちが歩いて回りましょう。毎日は無理でも、少しずつ」

ルークは一瞬だけ考え、頷いた。

「できる範囲でやる。紙も多めに用意しよう」

通りに戻ると、人の視線が先ほどより長くこちらに留まる。

「ほら、あの薬師」

「昨日の子ども、助けたやつだ」

「でも危険なやり方だってよ」

「危険でも効くなら……」

言葉が混ざり、空気に残る。

「評判はどうでもいい」

ルークは穏やかに言う。

「助けた子が笑えば十分だ」

リリィは笑ってうなずいた。

「でも、その笑顔が広まれば、きっと変わります。私、そう思います」

昼過ぎ、二人はギルドに戻った。磨かれた床と薬草の匂い。受付嬢が顔を上げる。

「お帰りなさい。伝達があります」

「依頼?」

「それもありますが……薬師長が近くで会合を開きます。あなたの報告が、そこで話題になっています」

「……薬師長は、あなたを試す気かもしれません。実演か、質疑か。詳報はまだですが」

ルークは少しだけ目を伏せた。

「……目立ちすぎたか」

「でも」

リリィが言葉を継ぐ。

「それでも、命を救うのは変わりません」

受付嬢が紙束を差し出す。

「新規の依頼が二件。西区の小診療所の再応援と、南市場の路地での巡回。どちらも“服用紙”を前提にしています」

「前提?」

「昨日の紙が役に立った、と。要望です」

リリィの顔がぱっと明るくなる。

「やりました。図、増刷ですね」

「任せる」

ルークは素直に笑った。

報告と記録を渡してギルドを出ると、午後の風が街路の布を揺らした。

空を配送鳥が横切り、翼のある馬が訓練場へ運ばれていく。

屋根の連なりの上、ひとつだけ黒い影が留まった。

黒衣の男だ。手すりに片手を置き、こちらを静かに見下ろしている。

彼は指で手すりを二度、軽く叩いた。唇がかすかに動く。

屋根の影の奥で、誰かが位置を移した気配がして、すぐ消えた。

「見られてますね」

リリィが小さく肩を寄せる。

「ああ。放っておけばいい」

ルークは歩調を緩めない。

「敵が増えるのは仕方ない。救う方が先だ」

「はい」

リリィは地図を折りたたみ、指先で紙の端を揃えた。

「次は南市場の巡回から行きましょう。屋台の間なら、人に会えます」

「そうしよう。服用紙は十枚追加。字を大きく、絵を一つ増やす」

「絵は任せてください」

二人は石畳を並んで歩く。

道端の魔法灯が明るさを少し上げ、露店の鈴が鳴った。

通りの子どもが手を振り、親が軽く会釈する。冷えた視線も混ざるが、足は止まらない。

路地を抜け、広場へ出る。

噴水の縁に花売りの籠。水面には配送鳥の影。ルークは鞄の中の紙束を数え、リリィはペン先を整える。

「ルークさん」

「ん」

「この紙、もっと広めたいです。読める人も、読めない人も、誰でも使えるように」

「絵を増やして、言葉を減らす。店に貼ってもらうのもいい」

「歌にしてもいいかも。飲み方の歌」

「音痴じゃなければな」

「失礼な。練習します」

二人の会話に、通りの笑いが少し混じった。

遠くで大聖堂の鐘が鳴り、午後がゆっくり進む。黒衣の影は屋根の向こうへ消えた。

風だけが残り、紙の端をめくる。

ルークは空を一度見上げ、前を向く。

「行こう」

「はい」

小さな紙が広めたのは、一人の命。だがその背後には、揺れ始めた王都全体の視線があった。


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