宮崎葵は胸が熱くなった。
母親が亡くなってから、この世で本当に彼女を気にかけてくれるのは、斎藤霞だけだった。
「少しお金を払って、ここの警備員を手なずけたわ。監視カメラを見せてもらえる約束だから、具体的な時間を教えて」
霞は監視カメラの映像を見ながら、葵に尋ねた。
「あなたが上映室に入るところは確認できた。上映室にはあなた一人だけね。もう少し待てば、あの男が途中で入ってくるはずよ」
霞がそう言った瞬間、突然声を上げた。
「なんで画面が真っ黒なの!?」
「お嬢さん、この上映室の監視カメラは不具合があったらしく、この後の映像は残っていないんです」
「バックアップは?」
「そういえば、あの日は映画館の監視システムが2時間ほど故障していたんです」
「じゃあなぜ6万円も取ったの!?ダメよ、映像が手に入らないならお金を返して…」
電話の向こうで、霞と警備員の言い争いが始まった。
葵は電話を切り、深く考え込んだ。
「なんてタイミングの良い故障なんだろう。ちょうどあの2時間だけ…偶然だと思う?」
葵はあの相手が高橋健太だとほぼ確信していたが、実は映像を確認したいとは思っていなかった。
結局、彼女の記憶では、あの「夢」の中で誰が誰の純潔を奪ったのか、はっきりとはわからないからだ。
しかし監視カメラの映像が消されたと知り、葵は考えを変えた。
彼女の知る限り、現在の監視カメラデータのほとんどはクラウドにバックアップされている。誰かが意図的に映像を消したとしても、優秀なハッカーならクラウドからバックアップを回収できるはずだ。
彼女は今、なぜ相手が監視カメラの映像を消したのか、ぜひ確かめてみたくなった。
葵が電話に夢中で自分を無視している様子に、松本彰人はプロテインの箱を持ったまま、立ち去るべきか残るべきか迷っていた。
勤務時間が近づき、彰人は仕方なくため息をついて去っていった。
彼は最近の葵がとても様子がおかしいと感じていた。
今までずっと、葵は素直で優しい子だと思っていたのに、ここ数日の彼女はまるで毛を逆立てた野良猫のようで、どう接すればいいのかわからなかった。
「彰人お兄さん」
廊下ですれ違った宮崎由紀は、彼を見つけるとすぐに駆け寄ってきた。
「ボランティアには慣れた?」
彰人は由紀の生き生きとした様子に、少し気分が和らんだ。
「ええ、とても充実してるわ。患者さんの役に立てて嬉しいの。そのプロテインは何?体調でも悪いの?」
由紀は彰人が持つプロテインに気づいた。
「葵がくれたんだ。母に渡すようにって」
葵からの贈り物と聞き、由紀は内心で冷笑した。やはり葵は松本彰人のことが好きなんだ。昼間はわざとすねたふりをして、午後には彼の母親に栄養剤を贈って取り入ろうとは。あの程度の給料で私と競おうなんて。
由紀はすぐに言った。
「そうだ、うちにもこのプロテインがたくさんあるの。父がもらったものだけど、使い切れないから明日いくつか持ってきて叔母さんに差し上げるわ。ご存じかどうかわからないけど、私の父は衛生部の幹部なの。父はあなたのような優秀で将来有望な若い医者を高く評価しているのよ」
彰人は断ろうとしたが、由紀の言葉を聞いて思いとどまった。
葵は養女だったため、家族の話をほとんどしなかった。由紀と知り合った時、彼女が良い家庭環境にあることは想像できたが、父親が衛生部の幹部だとは思っていなかった。
衛生部は病院を直接管轄する部署だ。
「では、週末にご挨拶に上がらせてもらおうかな。葵とは長い付き合いなのに、ご両親には一度もお会いしたことがないし。仕事のことでご相談したいこともあるので」
彰人はさりげなく言った。
由紀はもちろん快く承諾した。
夕方、高橋グループ。
オフィスのエアコンは強く効いているのに、秘書の近藤雅也の額には冷や汗が止まらなかった。
「監視カメラの映像がない?」
「社長、映画館の警備員によると、バレンタインデーの夜に監視システムが故障し、約2時間ほど記録が残っていないそうです。ちょうど、あなたが映画館にお入りになった時間帯と重なります」
近藤はこれで初めて、社長が本当にあの夜、雑誌に書かれた映画館を訪れていたことを知った。
あの日、高橋エンターテインメントが出資した映画の試写会があり、社長の高橋健太も招待されていた。
それから、健太には「子供」ができた。
しかし、なぜか試写会が終わるまで、健太は上映室に現れなかった。
そして今、健太に「子供」ができたという。
「ネットワーク技術部のプログラマーを全員呼べ。映画館のクラウドストレージにハッキングさせろ」
健太は高橋グループのプログラマーを総動員した。監視カメラのデータが消されていても、クラウドにバックアップがあるはずだ。
彼の「種」を狙った女は、地の底に潜っていようとも、必ず引きずり出してやる。
30分後。
「社長、侵入に成功しました!」
しかし、喜びもつかの間、十数人のプログラマー全員が驚愕の表情を浮かべた。
「社長、クラウドのバックアップも削除されています。たった1分前に消されたようです」
「先回りされたのか?」
健太は数人のプログラマーのコンピューターの前に歩み寄った。
「データ復元の方法を知らないのか?」
「社長、相手は非常に強力なウイルスを使用しています。私たちのマシンも感染しました」
数十人のプログラマーたちが言い終わる前に、彼らのコンピューターは一斉に画面真っ暗になった。
「使えない奴らめ。今月のボーナスはなしだ。全員、出て行け」
プログラマーたちと近藤は、故障したマシンを抱えて逃げるように部屋を出た。
健太はネクタイを緩め、自分のコンピューターを開き、呪いの言葉を吐いた。
「面倒だ。自分で手を下さなければならないとは。何年もやってないから、腕は確実に鈍っているだろうが」
健太の細長い指がキーボードの上を踊った。
30秒後、彼はすでにプライベート映画館のネットワークに侵入し、さらに数秒で監視カメラのクラウドストレージを見つけ出した。
クラウドにアクセスした瞬間、健太のコンピューターはトロイの木馬ウイルスに襲われた。
彼は数回キーを叩き、1分後、相手のトロイの木馬を完全に排除した。
健太の口元に美しい弧が浮かんだ。さらに1分が経過した。
彼はクラウドストレージから削除された記録を復元した。
一本の動画が健太の目の前に現れ、彼は目を細めた。
これで、過去一ヶ月彼の夢に現れ、毎朝目覚めるたびにシーツを交換する羽目にさせた女の正体がついにわかる!
2時間後、健太の整った顔は怒りで紅潮していた。
彼は机の上の灰皿を掴むと、コンピューターの画面に叩きつけた。
「何てことだ!よくも私をからかいやがって!」
それはプライベート映画館の監視映像などではなく、明らかに二人の男性が愛し合う長編アダルトビデオだった!
相手は間違いなく一流のハッカーを雇い、トロイの木馬を仕掛けるだけでなく、この目を疑うような映像まで残していった。健太は重要な手がかりを見逃すまいと、鼻をつまみながら最後まで見ざるを得なかった。
狭い部屋で、葵は黒い古びたノートパソコンに向かっていた。パソコンにはメーカーのロゴも何もなかった。
彼女は痛む指をもみほぐした。
「やっとあのプログラマーたちを振り切れたわ
「相手は一体何者?あんなに早くクラウドに目をつけ、これだけのスキルを持つハッカーを動かせるなんて。
「特に最後のプログラマーは技術がすごく、一流のハッカーだったわ。もう少しで追跡されるところだった」
葵は深く息を吸い、奪い取った監視カメラの映像を開いた。
画面に二人の姿が映し出された…