「ルカ。このところ、随分と調子が悪そうだな?」
バイト中、客のひとりがそう話しかけてきた。
飲食店、街中にある食堂の給仕仕事だ。
セレスティアには寮もある。平日は食事も出してもらえる。
でも、週に一度の休息日の食事や、他にも細々と入り用なものを買うためには、やはり働くしかない。
ぼくに仕送りをくれる親族はいないのだ。
そういうわけで。
放課後。今日も今日とて、あくせく働いていたぼくへと投げかけられたのが、先の言葉である。
客、というか、クラスメイトだ。
リンドウ・ハヤテ。
ぼくと同じく、セレスティア魔術学園に通う女子生徒で、遥か東にある小国【ホムラ】からの留学生でもある。
こちらの大陸ではあまり見ない黒髪。それを、後ろで一つにまとめている。
切れ長な瞳も同じく黒。
腰には、儀礼用だろう細い剣を下げている。
ぼくは学園で落ちこぼれで、爪弾きものだ。
そんな中にあって、リンドウだけは、唯一友人と呼べるような相手である。
心配してもらえたのは、素直に嬉しい。嬉しいんだけど。
「今、話しかけないでくれないかなあ⁉︎」
右手にエールのジョッキを三つ、左手に炒め野菜の大皿を持ちながら、ぼくは悲鳴のごとく懇願した。
実際、調子は悪い。最悪と言っていい。
ここ数日、どうも地に足がつかないし、すぐにぼんやりとしてしまう。
けれど、仕事終わりのの労働者たちで賑わう店内は、バイト風情の不調など考慮してくれない。喧騒で溢れかえっている。
今も、
「おーい酒の追加は!」
「三人だ! 席空いてねえのか⁉︎」
「注文だ! おおい‼︎」
がやがやがや、とてもぼく一人では回しきらない。
けれど、バイトはぼく一人だけ。
この店をやっているのは人の良い老夫婦で、どちらも足を悪くしている。料理を作るのと金勘定以外の——つまり注文を受けるだとか、料理を運ぶだとか、その手のことはぼくがやるしかないのである。
「はいおかわりですね待っててね席はそっちのカウンターに座ってて注文どうぞ!」
くるくるくる、忙しく店の中を駆け回るぼくを見て、リンドウは
「……すまん」
と呟いた。
ほんとだよ、と思った。
†
「で。閉店まで居座って、どうしたのさ」
ようやく人の波が引いた店内。
出してもらったまかないを食べながら、ぼくは、目の前に座るリンドウへじろりと視線をやった。
「先ほども言っただろう。ルカ、随分と調子が悪そうだ」
「……気のせいじゃない?」
まさか、本当のことを話せるはずもない。
良くても本気で心配されるだけだろうし、悪かったら笑いものだ。希少な友人を失うのは、ぼくにとっても避けたいことである。
「しかし、な。どうも、覇気がないというか、裏がないというか……」
リンドウは妙なことを言う。
ぼくに裏なんてない。それは、別に元気なときだって同じことだ。
「そんなこと言ったって、いつも通りだよ。ほら、元気」
適当に腕を振ってアピールしても、リンドウに納得した様子はなかった。
これは困る。
未開国たるホムラの出だからか、リンドウは妙に勘が鋭いのだ。下手に追求されたらバレかねない。
上手くやらないとな、とぼくは気を引き締める。大丈夫、ちょっと誤魔化すだけだ。
「季節外れだが、風病か?」
「いや、病気ではないよ」
「ふむ。病気“では”。なれば、病気でないところに心当たりがあるな?」
秒殺だった。
ぼくはあまりに弱かった。
「……あはは」
せめてもの抵抗に目を逸らしてみたけれど、リンドウのじとっとした表情に耐えられなくなり、すぐにやめた。
気まずい心持ちのぼくへ、リンドウは静かに語る。
「ルカ。我はお前を友であると思っている。この異郷の地において、唯一の友だとな」
「それは……光栄だね」
「そうだ。我は誇り高きハヤテの末裔なれば、これは非常に光栄なことだ」
リンドウの凄いところは、自分にものすごい自信がある点だ。だというのに、嫌味だとも思えない。
思うに、彼女は真っ直ぐなのだ。
心に宿すものがある。それを自分でわかっている。それを物差しに生きている。
それが、永遠に物差しを失ったぼくと違うところ。ぼくがリンドウに少しばかりの引け目を感じてしまう、その理由。
「それにな。お前は、我が魂の救い手なのだ。我は、返さねばならない恩義を抱えている」
「いや、そんな大袈裟な……」
「ルカ、話してみろ。どのようなことでも、なに、愚弄したりはしないとも。友の悩みだ」
リンドウは切れ長の目を細め、にっと笑った。
ホムラの国の女の子は、みんなリンドウみたいにカッコいいんだろうか。それじゃ、男の人の出る幕がなさそうだ。
「いいか、ルカ。何があろうとも、魂を誤魔化すことはできないのだ」
観念し、ぼくは話すことにした。
「……あのね。最近、寮の部屋に……幽霊が、いる気がするんだ」
「ほう?」
荒唐無稽なぼくの話に、リンドウは片眉を上げた。けど、宣言通りに笑いはしなかった。
「幽霊……死したものの魂魄のことか。しかし、根拠は?」
「何となくっていうか……はっきりした根拠はないんだけど、ね」
疲れているんだろう。
ゆっくり休んで、美味しいものでも食べて、ちょっと散歩でもするといい。
ぼくだったら、そういうことを言うと思う。
でも、ぼくが思っている以上に、リンドウは親切なやつだった。
「寮の部屋……つまり、ルカの部屋か? 幽霊が出る、というのは」
「そうだけど……」
「ならば、決まりだな」
ずい、とリンドウが立ち上がる。
「き、決まりって? 何が?」
「何、って……そりゃあ、現場を見ないことには始まらないだろう。お前の部屋に向かうぞ」
「ま、待って待って! これ、食べ切っちゃうから」
まさかそこまで親身になってくれるとは思っておらず、ぼくは慌ててまかないをがつがつと食べ切った。
庶民向けの味付けをしたここの料理は、学校で出るものより美味しい。でも、それよりリンドウを待たせないのが優先だった。
誰かが、自分のために、何かをやってくれる。
それは、とても嬉しいことなのだから。
†
「……普通に、部屋だな」
「そりゃ。どんなのを想像してたの」
「幽霊が出るのだから、古井戸なり柳なりあるのかと」
「あのねえ。寮の部屋に井戸が掘れるはずないだろ」
セレスティア学園敷地内の寮、ぼくの部屋。
机、ベッド、棚がそれぞれ一つずつ——つまり、最初から備え付けられている家具の他は何もない部屋を前にして、リンドウは悩ましげに唸った。
「取り立てて、何かの気配は感じないが……うん、この魔術絵は?」
リンドウが示したのは、ベッドの枕元にある小さな魔術絵——紙に魔術で景色を引用した、精緻な絵である。
ああ、とぼくはそれを持ち上げた。
「エメの、妹の遺影だよ。ほら」
「妹……ああ。お前を庇って死んだという、妹か」
前に、リンドウへとエメの話をしたことがある。
ぼくは頷いた。
「そう。蝕獣《クラック》に襲われて死んだ、ぼくの双子の妹。……もう、三年以上も前のことだけどね」
「なるほど、彼女が…………どこかで見た顔だな?」
「そりゃそうだよ。目の前見な、目の前」
魔術絵の中では、左右で細く結えた水色の髪と陽だまりみたいな金色の目をした女の子が笑っている。
エメとぼくは双子だ。
見た目はそっくりおんなじで、見分けるために髪の長さだけ変えていた。具体的に、女の子らしく伸ばしたエメとは違って、ぼくは肩のあたりでばっさり切っている。
それと、ぼくにはなぜか、生まれつきひと束白い髪がある。
でも、それ以外は全く同じなのだ。顔立ちも、身長も、声も。
……いや。三年経ったから、ぼくのほうが見た目もお姉さんになっちゃったな、と魔術絵を眺める。
「いや、雰囲気が……まあいい。それよりも、良い物を持ってきたぞ」
一旦自室に帰っていたリンドウは、そう言ってポケットから何やら包みを取り出した。
開くと、そこには白い粉が。
「なに、それ? 精神離脱剤?」
一時的に星録との接続を強くするために使う、依存性の高い薬物のことである。
「我を犯罪者にするな。違う、これは故郷より持ち込んだ清めの塩だ」
「キヨメノシオ?」
「うむ。我が祖国では、霊魂は塩で祓えるとされている。これを撒けば、お前の悩みも清まるだろう」
言うなり振りかぶったリンドウを、ぼくは「待った待った待った!」と大慌てで止める。
「ちょ、やめ、やめてって!」
「な……幽霊に悩んでいるのだろう? 祓えば解決だろう⁉︎」
「妹の、幽霊なんだよ! そんな簡単に消そうとしないでくれよ‼︎」
ぴたり、とリンドウの動きが止まった。
「妹の? 部屋に出る霊とは、お前の妹のことなのか」
「そ……そうだよ」
魔術絵を、元あった位置に戻す。
「だから、消したいわけじゃないんだ。別に、怖くもなくって……」
「ふむ。しかし、お前は悩んでいる」
「あはは」
リンドウはまったく鋭いな、とぼくは笑った。
「会いたいんだ。もう一度」
たった一人の妹に。
幽霊だったとしても。
ぼくを恨んで現れているのだとしても。
触獣と同じように、幽霊また、星録に記されていない異物だ。
星録を祖とするこの世界で、幽霊の存在を望むということは、そりゃもう酷い不道徳である。
「だから、どうやったら幽霊がよく見えるかなって……それで、悩んでた。罰当たりな話だけどさ」
「……ふむ」
リンドウは、片手を腰の細剣に沿えた。
「我は、父上を幼き頃に亡くしていてな。これは、その父上より譲り受けた品だ」
「そう……なんだ」
「ああ。だからな、なんだ……会いたい、というのは、全く分からぬわけでもないよ」
不覚にも、ぼくは感動してしまった。
「ありがとう、リンドウ」
「構わぬ。どうせ明日《みょうにち》は休息日だ、鍛錬くらいしかやることもない」
……鍛錬?
魔術の自主練のことかな、と解釈する。
「じゃ、さ。幽霊の痕跡っぽいのがないか、一緒に探してみてくれない? 一人だと、棚の裏とかは難しくって」
「ああ、霊障か。いいだろう」
実際に見つかると思っていたわけじゃないけど、もしもこの感覚がぼくの勘違いなのだとして、ひと通り探せば落ち着くだろう。
そう思っての提案に、リンドウは快く頷いてくれた。
とは言っても、狭い部屋だ。
すぐに、エメの証拠なんて何もないことが分かる——。
……と、思ったのに。
「……これ」
ベッドと壁の間から出てきた真っ赤な丸いものに、ぼくは目を見張った。
それは、ありふれたお菓子だった。
小麦粉を練って、揚げて、味付けの粉をかけたもの。
半分ほど齧られた跡のある辺り、ベッドで食べているうちに落として、そのまま忘れてしまったのだろう……とは、思う。
このお菓子自体は、ぼくもよく食べる。
でも、ぼくが食べるのは砂糖をまぶしたのだ。
対して、今出てきたそれは、真っ赤な粉が振られた激辛味だった。
「これが、どうかしたのか?」
「……それ、エメが好きな味だよ。ぼくのじゃない」
「間違えて買ったのではないのか?」
「まさか。仮にそうだとしても、辛いのはダメなんだ。一口も食べれないよ」
まさか、本当にエメがいる?
エメの幽霊がいて、それがお菓子を持ってきて、食べた?
心の浮き立つぼくとは反対に、リンドウは難しい顔をしていた。
「……しかしな。幽霊とは、魂魄のことだろう?」
「うん。死んだ後の魂が残る、らしいね」
「うむ……なあ、ルカ」
齧られた跡がある、まだ腐ってもいない真新しいそれを——せいぜい四、五日前のものだろうそれを、リンドウは不可解そうに見つめる。
「——魂魄が、ものを食うか?」