『病院』から出る日が来た。
これには、タマモ、アヌビス、ミズチが、同じ種族をまとめて、かなりロビイングを頑張ってくれたらしい。
メイドロボの暴走も、一つのきっかけになったのだろう。
『どこにでも危険はあるのだから、管理された建物の中も、外も変わらない』
メインの説得をそういうものにしたと言われて、俺はとてつもない違和感を覚えた。
『セキュリティがしっかりしていて危険なことが起きても対応しやすい場所』と、『セキュリティを万全にすることがかなり難しい場所』とでは、同じ危険が起こるとしても、前者の方がいいだろう。
今回の説得は、かなり多くの人種に対して向けたものだったらしい──つまり、当事者・身内に話を通せばいい、というものではなさそうだ。
だったらイメージ的に、『危険なことをした種族を排除して、引き続き、人間は病院に入れておくべきだ』というのが、世論を占めそうなものだと感じる。
それがなぜ、俺を外に出すことが可能になったのか?
「……やはり、申し上げるべきだと思っていましたよ」
アヌビスが頭を押さえながら教えてくれたのは、以下のような流れだった。
今回、メイドロボが危険行為を働いたわけだ。
これを排除して、新しい種族を入れて、引き続き『病院』で管理するべきだ、という意見は当然、出たらしい。
そこで話がこう進んだ。
『で、どの種族が、新しく入る?』
……人間の人気は、どうにも、俺が想定していた以上のものらしい。
俺もかなり自分の想定より盛って想像していたわけだが、それさえ超えて、どうにも、種族間戦争が勃発しかけたようだ。
これを止めたのが、狐ミュータントのタマモだったようだ。
彼女は、こういう論法を作った。
『我らが主様は、我ら同士での争いをことのほかお悲しみになる。この地上に生きる仲間に戦争をふっかけたり、裏工作で引きずりおろそうとする行為は、主様には「醜い」と感じられるであろう。じゃからな、戦わず、争わず、相手の足を引っ張ることなく、お前たちの中で、誰が次に「病院」に入れる種族になるか、決めねばならん』
そしてそれは不可能だった。
だから、こういう結論が提示された。
『永遠に決まらん四つ目の席を争うよりも、主様を外に出してはどうじゃろう? さすれば、多くの者が、その姿を拝謁することが叶う。しかもじゃ。主様に働きを認められれば、名を賜ることもできるのじゃ。多くの者に、平等な機会を! 戦いも争いもなく、醜い足の引っ張り合いもなく、正々堂々と、同じ条件で、すべての種族……いや、すべての者に、機会がある。主様が外に出さえすればな』
『病院』のロビーで話を聞いているわけだが、アヌビスの話が進むごとに、アヌビスの横にいるタマモがあわあわした顔になっていくのが面白い。
アヌビスはじっとりとした目でタマモを見下ろし、
「詳らかに語るべきだと思ったのだが、この薄汚いミュータントがいろいろと口止めを図ったもので。理はあると思い、『人間様がたずねなければ、黙っておく』という密約を結んだというわけです」
「素晴らしい世論誘導だと思いますが、どのあたりを気にしているので?」
視線をやれば、タマモが大きな三角耳をぺたりと折って、「だってぇ~」と言い訳めいた声を発する。
「主様の意思を勝手に想像して広く発表したり、主様が別に許しとらん『認められれば名づけてもらえる』という空手形を切ったわけじゃろ? ……怒られるかと思ってな……」
「いえ。……唯々諾々と俺の命令だの、許可だのを待つ必要はありません。あなたは正しい。きちんと俺の意思を汲み取れているし、見事に俺の夢を叶えてくれた。ありがとう」
すると折れていた三角耳がピンと立ち、巫女装束の後ろで九本の狐尻尾が揺れ始めるものだから、わかりやすい。
「そうじゃろ! わらわはわかっとったんじゃ! それをこのデカブツが『まずいんじゃないか』とか言うものじゃから! ほれ聞いたかデカポンコツ! わらわは正しい!」
「……今回たまたまうまくいっただけだろう。そうやって調子に乗るから敵が増えるんだ」
「アヌビスの意見にも一理あります。結果的にアヌビスがタマモにしたらしい忠告は杞憂だったわけだけれど、確かに、タマモは調子に乗りやすくて、人の話を聞かないところもある。俺の病室に来た時もまだ話があったのにさっさと帰ってしまったし……」
「う」
「バランスをとるという意味で、あなたたち二人が俺の味方をしてくれている状態は、非常に好ましいものです。……もちろん、ミズチもね」
さっきから一言もしゃべらないドラゴニュートを見上げれば、彼女はちょっと照れたような顔で、子供のようにうなずいた。
そして……
俺は、この場にいるもう一人に、視線を向けた。
「シルキー、あなたも委縮することなく、意見を述べてください」
「心得ております」
ほっそりした、ビスクドールのようなメイドロボがそこにいる。
暴走をしかけ、俺に危害を加えかけた機械生命体に、俺は名前を与えた。
彼女を近付けず遠ざけることも可能だっただろうし、見せしめとして罰を与えるという利用法もあった。
でも、許すことにした。
許すという用法が、これからこの世界で生きていくために、もっとも効果的だと、俺は判断しているようだ。
……感情や印象を操作し、相手の忠誠や好意を引き出す方法を、俺は計算しながら実行している。ほとんど無意識に、『効果』を想定しながら対応していく。
俺は、何者だったんだろう?
詐欺師のような気がする。でも、もっと他のものだったような気もする。
俺がカプセルでコールドスリープをする前に、俺に手を伸ばした彼女……角の生えた女性。彼女のことも、まだわからない。少なくとも、ドラゴニュートでは、なさそうだ。
……記憶を取り戻すには、刺激が必要だ。
病院で保護されたままの生活では、その刺激も望めない。
そういう理由でも、俺は外に出る必要があり……
今から踏み出すのが、第一歩だ。
「では、いきましょう」
前へ。
透明な自動ドアを開けば、今この瞬間まで見えなかった、大勢の人々の姿が見えた。
大変な騒ぎだ。俺が出た途端に大歓声で、言葉の判別ができない。だが、言語はやはり、俺の知るものだった。
透明な自動ドアを振り返る。
すでに閉じていたそれから、『病院』の中は見えなかった。
あれはガラス製の自動ドアに見えて、やはり、それに似せた、完全に視界を遮蔽し、音さえ遮断する何かのようだった。たぶん、防弾処理みたいなものもあるのだろうし、ああ見えて、事前に定めた人でないと通れないようなセキュリティもあるのだろう。
俺の生きていた時代に形だけ似せた、未来の技術の結晶。
そういうものにあふれた世界へ、踏み出した。
「……ヘルメス」
歓迎に笑顔を返しながら、小声で問いかける。
骨伝導で、声が返って来る。
『なんでしょうか、人間様』
「シルキーの暴走の原因を正直に答えてくれ」
『わたくしがやりました』
「そうだと思った」
『罰しますか?』
「いや、許すよ。罰するつもりなら、今じゃなくて、もっと早い段階で聞く」
『では、どうなさいますか』
「確認したかっただけだ。君はこれまでのように好きにしてほしい」
『…………よろしいのでしょうか?』
「いろいろな種族がいる世界で生きていくっていうのは、そういうことだから」
『……』
右腕の時計型端末を見れば、メイドのドット絵がカーテシーをしていた。
俺は、何者だったんだろう?
あまりにも冷静だ。あまりにも当たり前みたいに、この世界で生きていくのに最適な方法を模索している。
あるいは、これを夢だと思っているのだろうか? 夢だから、混乱せず、驚かずにいられる?
この大地を踏みしめる感触、体中を打つ歓声、左右に立つ人たちの存在感。それらがすべて、夢だと?
……それは、さすがにないだろう。
よく思い出せない彼女から与えられた使命以上に、俺は、俺のことを知りたい。
だから、この世界で生きていくことに決めたんだ。
だから、一歩を踏み出そう。
俺はようやく、この世界で生きるために、自分の意思で地面を踏んだ。
これで一章は終了です。
3日ほど執筆期間をいただいて、10月9日から第二章を開始します。
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