「どうしてわたくしどもにだけ名前をお与えくださらないのでしょう?」
勢い込んで抗議、というような語調ではなかった。
けれど、言葉の裏に籠った圧力は、相当なものだった。
ほっそりした、ビスクドールみたいな見た目の彼女は、メイドロボ。
正式名称はまた別にあるらしいけれど、本人がメイドロボと名乗っているのだから、まあ、それが呼び名でいいんだろうなと思って、尊重している。
俺は相変わらず病室のベッドの上にいて、今日も今日とて『検査』を受けていた。
だがまあ、アヌビスにネタバレされてしまったように、俺が今受けている『検査』は、俺をこの『病院』に留め置くための方便のようだ。
検査の時には一瞬だけ、この病室に来ないような子たちとも会うが……会話はどうにも禁じられているようだった。
彼女たちがしているのは無言のお医者さんごっこだ。そう考えると何か、とてつもない倒錯したものを感じる……
ともあれ、問われてしまったからには、答えないわけにもいかないのだろう。
「まず、名前を与えるという思い付きは、あなたが来た翌日に得たものなんだ」
「ミュータントのクズめ!」
あくまでも楚々とした感じでしゃべる人だったはずなのだけれど、今のはかなり、怒りの感情が籠っていた。
しかし、俺の前でするには不適切な発言だと思ったのだろう。ハッとして口を手で隠し、それからスッと無表情に戻った。
誤魔化せてはいないが、まあ、見なかったことにするのが、紳士的な対応なのだろう。
「……次に」紳士的に話題を進めることとした。「名前は、協力者に与えているものです。あなたを説得できていないので、まだ、あなたに名前を与えることはできません」
「人間様に誠心誠意尽くすのが、我らの基底プログラム──生存する理由でございます。なんなりと、御命令を」
「俺は命令をしません。欲しいのは『従者』ではなく『同志』なんです」
「……それは、従者と何が違うのでしょう?」
難しいことを問われている気がする。
その二つはもちろん違うけれど、違いを言語化しろと言われると、頭脳の使ったことのない部分を使いそうな作業だ。
そもそもにして、俺が同志にしたいのは、俺に同意し、協力してくれる人だ。……それは従者では? と言われれば、まあ、そう思われても仕方ないか、というようには思ってしまう。
結局、俺が無力だから、力を貸してもらいたい。
頼ることになる。力を尽くさせることになる。しかもこちらには返せるものがない……とくれば、従者とか、そういう呼ばれ方をしても、仕方ない面もあるのかもしれないと、思ってしまうのだ。
「……そうですね。俺が人間だからという理由ではなく、俺が、俺だからという理由で力を貸してくれる人を、同志と呼びます」
「それから、発言の最中に申し訳ないのですが……」
「なんでしょう?」
「どうして、そのような、よそよそしい物言いをなさるのでしょう? 最初にお目にかかった時には、もっと、近い距離感でお話をしてくださったと思うのですが……」
最初は確かに、タメ語で話した。
それは彼女の見た目が、俺より年下の女の子に見えたことも、影響しているだろう。
最初、俺が言葉遣いを改めたのは、なんとなく、相手の雰囲気に押されて、みたいな理由だった。
けれど今は意識して、なるべく丁寧な言葉遣いを心がけている。
その理由は……
「俺は『同志』が欲しいのに、ぞんざいな口調で命令しているみたいに話しかけて、それであなたたちが従ってくれたら、自分を上で、あなたたちを下だと勘違いしそうだから」
「下です」
「いや、」
「あなた様が主人、わたくしどもは従僕でございます」
「そういう話ではなく、」
「何かお気に障ることをしたでしょうか? わたくしどもは、あなた様にお仕えすることを、この四千年間、夢見て参りました」
「落ち着いて……」
「どうして、わたくしどもの前からいなくなってしまわれたのでしょう」
『人間様に申し上げます。目の前の機体は基底プログラムに深刻なエラーが発生し、暴走しかけています』
「え!?」
ヘルメスの発言の意味を、うまく掴めなかった。
基底プログラム。魂魄根底──それは、この時代で生きる彼女らの行動原理とか、存在理由みたいなもので、ここに人間への好意が刻まれているからこそ、彼女たちは人間である俺を重く扱ってくれている。
だがそれに、エラーが?
『救援を要請しました。人間様におかれましては、その場から動かれませぬよう。応援が駆け付けるまで、わたくしがお守りいたします』
「待ってほしい。どうして、エラーが?」
『あなた様が彼女の主人であることを否定した──と、彼女に受け止められたからです』
「そんなつもりはない!」
『機械生命体は、情緒を手に入れました。情緒というのは、進化であり、退化でもあります』
メイドロボからぶつぶつと声が聞こえてくる。
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして──
正気には思えなかった。機械に正気も狂気も、あるかはわからない。だけれど、情緒を手に入れた機械生命体には、正気と狂気が、あるのだろう。
『情緒があるから、疑います。情緒があるから、言葉を言葉の通りに受け取ることができなくなります。情緒があるから、思考や認識にバイアスがかかります』
「つまり、俺の言葉はもう通じない、っていう意味かな」
『暴走状態のままでは、そうでしょう』
「話をしたい。どうすればいい?」
この質問をした時、俺は、答えをすでに予測していた。
目の前の、白く、ほっそりした、小さな、メイド服の女の子──にしか見えない生き物は、機械生命体。
ソルジャーであるアヌビスや、ドラゴニュートのミズチなんかはもう、見た目からして『絶対に勝てない』ことがわかりやすい。
けれど、じゃあ、見た目がほっそりして、小さいからといって、メイドロボの彼女に自分が、腕力とか、速度で勝てるかと言われると、勝てる未来が思い描けなかった。
俺はこの時代において、絶対的な弱者だ。
希少な保護動物だ。
だから、暴走状態──話が通じない相手を前には、
『できることは、応援を待つことだけです』
なにもできない。
とりあえず、暴力的な予感がするので、暴力的な事態に備えようという時には、俺には何もできない。
彼女たちは俺が知る時代よりはるか未来で、人間が住めなくなった環境で生きて、『神』さえ倒したらしい。
その後さらに、人間がこうして呼吸できるところまで地球環境を回復させ、都市国家が乱立するほど文明を築いた。
圧倒的に強く優れた彼女たち。
でも、その心は、とてつもなく脆くて繊細らしい。
病室の扉が乱暴に開かれる。
天井がばっくりと開く。
ベッドの周囲に透明な壁が出現する。
どうやら、『病院』を設計した人は、こういう事態を想定して、俺を守るための設備をこの部屋に仕込んでいたらしい。
応援も要請されている。……だからだろう、俺は、暴走し、メイド服を燃やし──恐らく、機体温度が上がっている──糸で吊るされた操り人形のように立ち上がる彼女を見て、冷静でいられた。
その危険な、爆発直前の爆弾みたいな様子を見ても、『この後』のことを考えることができた。
それはつまり、俺の前で『暴走』してしまった彼女のケア。
予想よりずっとずっと繊細だった彼女の心を、どうにかして癒させてはもらえないかという、願いだった。