時は流れ。
渡辺水紀は毎日のように、高橋浩の宮殿を訪れていた。
そして避けることもできず……ある人物と出会ってしまった。
――原作のヒロイン、渡辺琴音。
これが初めての、正式な邂逅である。
原作通り。
琴音の容姿は平凡で、清楚で可憐といった程度だった。
だが。
彼女には独特の気配があり、まるで俗世を超えた白蓮のようだった……。
水紀には、彼女の周囲に確かに光が差しているように思えた。
――そう、これが「ヒロインの光輪」なのだろう……。
琴音の笑顔は、見る者を柔らかな陽だまりに包み込むような温もりを持っていた。
しかし、水紀にとって――
「渡辺琴音」という名前は、死神の到来を告げる呪詛のようなものだった。
一瞬にして背筋が凍りつく。
心の底から、彼女とは関わり合いたくなかったのだ。
けれど琴音は、すでに「友好的に」手を差し伸べてきた。
「あなたはどの宮の侍女?見たことないわね」
その言葉に、水紀はなぜか言葉を詰まらせた。
浩もまた、余計な感情を見せずに淡々と答えた。
「これはお前の姉だ」
しかし琴音は、その言葉をまるで耳に入れていないかのようだった。
彼女は振り返り、
高位に座す浩へ向かって、わがままを口にする。
「お父様、あの宝石が欲しいわ」
不満そうに唇を尖らせて、「前にお願いしたのに、くれなかったじゃない……」
「もし今回もくださらないなら、私、本気で怒っちゃうんだから!」
その言葉を聞き、浩は小さくため息をついた。
「……わがままを言うな」
冷徹な浩が――琴音に対するときだけ、まるで別人だった。
「琴音、いい子だ」
その声音は、驚くほど優しい。
……そして突然に。
水紀の胸の奥に、不公平な感情が芽生えた。
ヒロインは何もしていないのに、すべてを手にしていた。
浩の視線も、憐憫も。
なのに自分は……とてもではないが、あんな風に無礼を働くことなどできなかった。
時に甘えることすら恐ろしく、
浩の逆鱗に触れることを常に怯えていた。
それなのに。
水紀はずっと、自分は姫に等しい待遇を受けていると考えていたのに……
やはり人は比べてしまうもの。
この瞬間、彼女の瞳に宿る羨望は隠し切れなかった。
――その落胆を、浩が察したのだろう。
「……お前も欲しいのか?」
水紀は意味がわからず、戸惑いながら顔を上げた。
その時、浩が指先に霊力を宿すのが見えた。
瞬く間に。
氷の菱形をした、透き通るような「宝石」が彼の掌に現れた。
水紀は目を疑い、
恐れ多くも震える手を差し出した。
雪の結晶のようなその宝石を、そっと受け取った。
普段はケチな浩が――。
こんなにも容易く、恐らくは価値が計り知れない宝物を、彼女に与えるなんて……
水紀は信じられなかった。
同じく、琴音も信じられないという表情を浮かべていた。
その瞳には、あからさまな嫉妬と怨嗟が滲んでいた。
……琴音は怒りに震えていた。
父から常にちやほやされていた彼女にとって。
自分以外が宝を与えられるなど、考えられないことだった。
「私がもらえないのに、どうして部外者が……!」
琴音は突然、水紀のもとへ歩み寄り――手を振り払った。
水紀は反応できず、
ただ目を見開いたまま。宝石が粉々に砕け散るのを、見届けるしかなかった。
その瞬間、水紀は思った。
――どうして……琴音がこんな姿を見せるの?
『兄たちは皆、絶世』のヒロインは、確かに可愛く、寛容な存在だったはず。
……まさか、幼い頃はただのわがまま娘だったのだろうか?
浩の紫瞳には、何か測り知れない感情が静かに揺らめいていた。
だが、怒りを露わにすることはなかった。