「必要ないよ。私と詩織は同じ方向だから、彼女の車に乗るよ」
「そう、じゃあまた。今度時間があったら連絡してね。俺もずいぶん長いこと叔父さんと姉さんに会ってないから」裕の唇は灯りの下で柔らかく見えた。彼は車に乗り込み、桜は自分で助手席のドアを開けて座った。
詩織の専用車内で、車が少し走った後、千晴はようやく思い出したことがあり、受け入れられない様子で尋ねた。「この前、桜が彼氏は医者じゃないって言ってなかった?」
「さっき上がってきたときにぶつかった人よ」詩織の表情はとても複雑だった。「今晩、桜が裕を連れてきたけど、ここで本命の彼氏と鉢合わせしちゃって、それで桜がもう裕の女になってたって分かったの。こんな大きな浮気を知らされて、誰だって耐えられないでしょ」
「桜がどうしてそんなことを」千晴は呟いた。彼女の価値観では二股をかけるなんて受け入れられなかったが、その男が裕だったので、これ以上評価することはできなかった。
「普通のことよ」詩織は桜の花びらのような唇を歪めた。「私たち四人のほとんどは少しは名が知れてるけど、あなたと桜だけはね。でもあなたは司会界でそこそこやってるし、家庭環境も悪くない。でも桜は違う。彼女の家はあまり裕福じゃないし、今年で25歳、デビューは早かったけど、業界では売れ残りよ。これ以上売れなければ、年を取るほど生きづらくなる。裕は大きなスポンサーで、多くの人が頼りたいと思ってる。これは桜の運命を変えるチャンスなのよ」
「でも桜の彼氏がかわいそう...」
「ねえ、でも桜の彼氏が…… あっち方面ができないって聞いたわ」彩夏は小声で言った。
「まさか?」
「本当よ。桜によると、付き合って一年経ってもまだそれをしたことがないんだって。男性医師は女性の体の構造を見慣れてるから、そういうことに興味がなくなるって聞いたことがあるわ」
「見た目はいいのに、もし本当にダメなら、もったいないわね」詩織は悔しそうに嘆き、千晴も小さく頷いて共感した。
その夜、千晴はよく眠れなかった。また夢の中で大学一年生の時に裕にラブレターを渡して断られたシーンを見た。結局、千尋から電話がかかってきて夢から救い出された。
「昨日、体調が悪いって言ってたじゃない、婦人科を受診するって。私が病院の婦人科の友達に話を通しておいたから、夜7時に行って。病院に着いたら電話してね、私が連れて行って診察してもらうから」
「お姉ちゃん、その友達は信頼できる?私の検査のことを漏らしたりしない?」千晴は不安そうに言った。「私も今は有名人だから、もし漏れたらマスコミに堕胎だとか私生活が乱れてるとか書かれるわよ」
「もう、あなたのどこが有名人よ、司会界でふざけてるだけじゃない」千尋は呆れた口調だったが、愛情が溢れていた。「120パーセント安心して。信頼できる人だから」
千晴は安心した。
夜、千晴はわざとマスクをして病院へ行った。千尋は彼女を直接婦人科へ連れて行った。
途中、千晴は尋ねた。「お姉ちゃん、医者は女性だよね?」
「もちろん女性よ」千尋は彼女を一瞥した。「お姉ちゃんが男に診察させるわけないでしょ」
千晴は笑顔で彼女の腕をしっかりと掴んだ。お姉ちゃんがいるって本当に良いことだ。
医師の診察室に着くと、千尋は突然電話を受け、聞き終わった後、困った表情で振り返って言った。「今日あなたの診察を担当する予定だった渡辺医師が、急患が手術室に運ばれてきたんだって。その患者がかなり難しいケースで、夜勤の女医さんたちは全員そっちに行ってる。渡辺医師が脳外科の松岡医師に頼んだそうよ。この松岡医師は彼女と仲が良くて、婦人科も勉強していて病院でもトップクラスの…… 」