「貴様、本当に大丈夫か? 昨日も見張りをしていたではないか」
「ああ、うん。なんだか眠くないし、頭もはっきりしてるんだ」
旅を始めてから一週間が経つ。
目的の街への道中、今夜は周辺に村もないので昨日と同じく野宿をすることになった。
幸い、天気には恵まれていて、雨は降っていない。
焚火を起こして、干し肉を焼いたものをパンにはさんで食べたところで、アリアは訝しむように言う。
俺が昨日に引き続き、見張りをすると言ったからだ。
けど、それは無理をしているわけじゃない。
どうにも睡眠欲というものが湧いてこないのだ。
たぶん、眠ろうと思えば眠れるろうが、一睡もしていないにも関わらず俺には不調がない。
日本にいたときにはテスト明けにカラオケでオールなんて馬鹿なことをやっていたけれど、そのときのぼうっとした感覚がまるでない。
もちろん一日中、馬に揺られるという旅の疲れは感じているものの、座っていればそれが和らぐ感覚もある。
「……ならばよい。だが少しでも眠くなったならば、すぐに起こせ。賊や獣に襲われてからでは遅いのでな」
「わかった。そしたら甘えさせてもらうよ」
アリアは俺の答えに頷いて、毛布に包まる。
そして、俺のすぐそばに横になった。
この少女と出会ってから、まだ一ヵ月も経っていない。
にも関わらず、この距離感は若干バグっていると俺は思う。
見ず知らずの俺を拾って、夫婦になると言い出し、二人きりで旅に出た。
正直言って、俺の理性が脆弱だったら今頃大変なことになっていたかもしれない。
性格はともかく、アリアは可愛い。いつも偉そうで、俺より背が低いのに見下すという器用なことをしてくるが、たまに見せる笑顔は俺の心をときめかせる。
そして、その笑顔の真意がわからないとしても、俺への信頼は本物だとは思う。
だから俺はアリアには触れられない。
すでに寝息を立て始めた彼女の桃色の髪が綺麗だと思っても、その一房にすら触れる勇気がない。
拒絶されて、彼女の信頼を裏切ることになることが怖いからだ。
「まぁ……夫婦っていっても政略結婚とかあるもんな。貴族だと」
ポツリと俺は自分に言い聞かせるように言った。
そして、パチパチと燃える焚火に木をくべる。
火を見ていると落ち着くとはよく言う。
けれど、どちらかと言うと今は余計なことを考えてしまうな、と思った。
この異世界に来る前、俺は確実にトラックに轢かれて死んだだろう。それを目の前で見せられた寺島は大丈夫だろうか。幼馴染が死ぬところを見るなんて、相当なショックを受けるだろう。
寺島にはそんなトラウマを抱えて生きてほしくない。そりゃ、少しは悲しんでほしいけれど、引きずってほしいとは思わないのだ。願わくば、助けた子猫がその傷を癒してくれればと思う。
「あとは父さんと母さんだよな……」
昔から自由な生き方をさせてくれた両親のことを思うと、あんな終わり方をしたのは申し訳ない。
俺の書いた小説では、結局主人公は異世界で幸せになって、現代に戻ることはない。現状、物語が破綻した状態といっても、日本に戻る術の手がかりもない。
そもそも俺は日本では死んだのだから、生きて戻ることはできないだろう。
だから俺の中で、日本に戻るという希望は諦め気味だ。
ただ心残りなのは、両親に一言、「ありがとう」と言えなかったことくらいか。
そう考えていると、俺は目頭が熱くなるのを感じる。
どうせ誰も見てはいないのだ。少し涙を流すくらいは許されるだろう。
「……っ?」
と、目を指でこすっていたら、周囲の雰囲気が変わったことに気づく。
続いて来たのは匂いだ。今まであまり嗅いだことのない匂い――獣臭だ。
匂いの流れてくる方向を見ると、木々の間に光る双眸がいくつもあった。
俺はアリアを起こさないように、ゆっくりと立ち上がる。
そして、地面を蹴った。
俺自身の加速のせいで焚火の炎が大きく揺れる。
明確な敵意を向けてきた時点で、俺のやることは決まっていた。
一番近い一匹の狼の首を掴んで、地面に叩きつける。
体毛と脂肪に埋もれる指にさらに力を入れて、その奥の骨を掴んだ。
狼が悲鳴を上げてもがくが、遅い。
俺は腕を捻る。
バキリと音がして狼の首の骨は粉砕された。
そして、その骸を群れの中に無造作に放り投げる。
群れは動かなくなった仲間を一瞥したあと、俺を見た。
その視線に、俺は強い思念を込めて応じる。
――襲ってくるのなら容赦はしない。
お互いの視線が交差したまま、沈黙が場を支配した。
やがて、狼はゆっくりと、俺を警戒しながら後退りしていく。
俺は群れの姿が見えなくなるまで、その方向に殺意を向けていた。
「ごめんな」
俺は殺した狼の骸に手を合わせて祈ると、アリアのところへ戻る。
焚火の炎は俺の起こした風で消えてしまった。
けれど、まだ燻っている。息を吹き込めばまた復活するだろう。
ふぅ、と元の位置に腰を下ろすと、そばでアリアが身じろぎした。
その顔を見ていると、薄く目が開く。
「……何かあったか?」
「いや、ちょっと焚火が消えちゃったんだ。なにもないよ」
「そうか」
言って、アリアは再び眠りにつく。
俺は焚火にまた炎を灯そうと動こうとしたとき。
「うん?」
俺のコートの裾を、アリアが指でつまんでいた。
けれど、アリアは寝ているままだ。無意識にやっているのだろう。
俺はそれを見て、ちょっと悩んだ末、焚火のことはあとにしようと腰を下ろすのだった。
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