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33.33% 薬神のレシピ 〜救済か破滅か〜 / Chapter 3: 薬師の記憶

Chapitre 3: 薬師の記憶

丘陵を越えたところで、村が見えた。

小さな家が肩を寄せ合って立ち、石壁に干した布が揺れる。

通りの屋台には小さな魔法灯がぶら下がり、薄い紫の火が昼でも点っている。

道を、山羊に似たトカゲが横切る。屋根の上では青い小鳥獣が短く鳴き、子どもが「待てー」と笑って転び、すぐ起き上がる。明るい声が昼の空に跳ねた。

けれど、笑いは長く続かない。咳で立ち止まる子。顔色の悪い大人。食べ物はあるのに、空気はどこか沈んでいる。

「……思ったより賑やかな村ですね」

リリィが笑みを浮かべる。

ルークは息を吐いた。

「その割に、咳の音が多い。診療所は手一杯かもしれないな」

年配の男が駆けてきた。リリィの胸元の紋を見て、目を見開く。

「その印……あなた様は、もしや聖女様では」

男は膝をついた。

「どうかお助けを! 村で熱が流行っています。子らも、年寄りも」

リリィは慌てて首を振る。

「違うんです。私はまだ修行中です。怪我は癒やせますが、病は……今はできません」

「そう……ですか」男の肩が落ちる。

リリィはすぐ顔を上げ、隣を示した。

「でも、この方ならきっと。わたしが信じる薬師さんです」

男の視線がルークに移る。緊張と期待が混ざった目だった。

「……あなたは?」

ルークは穏やかに会釈した。

「ルークと言います。薬師をしています。診るだけ診せてください」

口角に少し笑みを乗せる。

その一言で、周りがざわつく。

「薬師……?」

「ほんまに治せるのか」

「頼む、誰でもええ。手を貸してくれ」

男は道の向こうを指した。

「ぜひ診療所へ。こちらです」

診療所は掘っ立て小屋のようだった。

扉を開けると、乾いた薬草の匂いと低いうめき声が流れ出す。

中は狭く、寝台が三つ、木の椅子がいくつか。

老人が布団の端を掴み、息のたびに喉が鳴る。

母親に抱かれた子どもの額は真っ赤だ。若い男は膝の傷が膿んで、臭いが立っている。

「薬は尽きました」

診療所の老婆が頭を下げる。

「王都に頼るお金も、時間も」

「私も手伝います」

リリィが言う。

「消毒や水汲み、します」

ルークは返事の代わりに薬袋を机に置いた。瓶が触れ合い、澄んだ音がする。透明、淡い緑、薄い琥珀色。小さな瓶が整列した。

「本当に効くんかいな」

「わしの腰、ついでにな」

「静かにしなさい。今は子らが先やろ」

小さな笑いが漏れて、空気がわずかに軽くなった。

ルークは手を洗い、布で指先を拭く。

「腰の薬は、余ったら考えます。まずは熱から」

「おお、頼むわい」

やり取りに、周囲の肩が少し落ちる。

ラベルを確かめ、粉末を小さな匙で掬う。透明の液体に青緑の粉を落とす。

「ルークさん、顔が怖いです!」

「そうか? 普通にしてるつもりだけど」

「仕事の顔が出てます。ちょっとだけ優しく」

「努力する」

じゅっ、と小さな音。草と金属の間のような匂いが立つ。

その瞬間、視界がふっと白く飛んだ。

――蛍光灯の白。

――無機質な床。

――「臨床試験は予定通りです」

――効果九〇パーセント、副作用軽微。モニターの数字。

――拍手。笑顔。背中を叩く手。

――赤いランプの点滅。

――酸素マスクの少女の咳。

――「どうして……」母親の声。

瓶の口が指から滑りそうになる。

「ルークさん!」

リリィの手が支えた。強くはないが、離れない。

「呼吸を。私がいます」

「……大丈夫だ。続けるぞ」

ルークは息を吸って、吐く。指先に力が戻る。滴下を再開。粉と液が混ざり、色が変わる。緑が薄くなり、すっと透明にほどけた。

「できた…」

一滴を火で温め、香りを嗅ぐ。甘い匂いがかすかに立つ。配合は正しい。

老人の唇に薬を数滴。呼吸を数える。

一つ、二つ、三つ。肩の上下がゆっくりになる。眉間のしわがほどける。

「……楽に、なった」

老人が小さく言う。娘が涙を拭った。

子どもに薄めた薬を。頬の赤みが引き、目の焦点が合ってくる。額に触れたリリィが目を丸くした。

「下がってます!」

周りから、いろいろな声が出た。

「すげぇ……」

「ほんとに効いとるぞ」

「神様や……」

「いや、悪魔だ……」

「どっちでもええ、息しとるんじゃ」

感謝と恐怖が、同じ皿に盛られたみたいに揺れる。

ルークはそれを背で受けて、何も言わず外へ出た。

「ありがとうございます!」という声と、「……大丈夫だよな」という小声が背中に交互に触れる。

リリィが追う。扉の前で、一度だけ中を振り返る。子どもが母の胸で泣き笑いし、老婆が深く頭を下げた。

外の空気は少し冷たい。西の空が赤くなり始めている。

村外れで火を起こした。パンの香りが風に混じる。遠くの家では夕食の支度が始まっているのだろう。火がぱち、ぱち、と小さく弾ける。

リリィが口を開く。

「さっき、手が震えてました。何が見えたんですか」

ルークは炎を見る。

「前の世界の断片。白い部屋。数字。赤い灯。咳……」

そこで一度、言葉を切った。

「……やっぱり、怖がられてるんだろうな」

リリィは足元の白い花を摘み、焚き火にかざす。花びらが赤く透け、灰になる。

「私は、怖くありません」

彼女は手を伸ばし、ルークの指を包んだ。

「震えるなら、握ります。今みたいに」

「俺は、また間違えるかもしれない」

「その時は止めます」

リリィは即答する。

「毒なら捨てる。謝る時は、一緒に頭下げます」

火の粉が宙に舞って消える。ルークの肩が少し落ちる。

「……ありがとう。君がいなければ、俺はまた逃げてた」

「逃げたら引っ張ります」

リリィは握る力を少し強めた。

「森を戻したあなたも、今日の笑顔も、私は見ました。数字じゃなく、目の前で」

短い沈黙。風が灰を揺らす。星がひとつ増えた。

「俺は薬を作るしかできない」

「それでいいです」リリィはうなずく。

「あなたが作るなら、私が渡します。怖がる人がいても、ひとりは笑います。今日みたいに」

ルークは小さく息を吐いて、うなずいた。

「明日、診療所に説明しよう。飲み方と注意。それと記録の付け方」

「はい。私も一緒に」

「それから……仕事の顔、少し練習する」

「それがいちばん大事です!」

二人で笑う。橙の光に、影が並ぶ。

救済と破滅の狭間を歩む旅は続く。けれど、もう一人ではない。夜は静かに深くなり、焚き火は穏やかに揺れ続けた。


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