第4話:病室の断罪
白い病室の天井を見つめながら、彩花は雪山での出来事を思い返していた。
両親を失ってから、孤独は彩花にとって最も恐ろしいものだった。だからこそ、響と一緒にいたい一心でスキー旅行に参加したのだ。まさかそれが、自分を地獄へと突き落とす引き金になるとは思わずに。
咎音に突き飛ばされ、一人谷底に取り残された時の絶望。七日間、響が迎えに来てくれると信じて耐え続けた寒さと飢え。
そして今——
「彩花!」
病室のドアが勢いよく開かれ、響が怒鳴りながら入ってきた。その表情は怒りに歪んでいる。
彩花はベッドの上で身を起こそうとしたが、響は容赦なく彼女の肩を掴み、乱暴に引き起こした。
「うっ……」
傷口に激痛が走る。患者服の胸元が、じわりと赤く染まっていく。
「お前のせいで、咎音は腕を骨折して手首を痛めたんだぞ!」
響の声が病室に響く。彩花の身体が震えた。
「もし咎音がもう絵を描けなくなったら、どう責任を取るつもりだ!」
彩花は何も答えられなかった。答えても信じてもらえないことを、もう理解していたから。
響は彩花の患者服が血で染まっているのに気づき、一瞬動揺した。しかし——
「朽葉先生」
咎音の声が廊下から聞こえてきた。
「彩花姉、また治療を拒否したんですか?」
朽葉が病室に入ってくる。白衣を着た彼は、響に向かって深刻そうに首を振った。
「困ったものです。薬も飲もうとしないし、検査にも協力的ではない」
嘘だった。
朽葉は彩花にまともな治療など施していない。響から受け取った高価な薬は横流しし、彩花の傷は意図的に悪化させられていた。しかし響は、朽葉の言葉を疑うことなく信じ込んだ。
「そんな態度だから、いつまでも治らないんだ」
響の怒りが再び彩花に向けられる。
彩花は静かに目を伏せた。反論する気力も、もう残っていなかった。
「そんな態度なら、結婚式は来世にでも回すんだな!」
響の言葉が、彩花の心を完全に打ち砕いた。
来世。
それは事実上の、永遠の別れを意味していた。
彩花の最後の希望が、音を立てて崩れ落ちた。
響は病室を出て行った。廊下で咎音と朽葉が待っている。
「やりすぎたかもしれない」
響は小さく呟いた。彩花の血で染まった患者服が、頭から離れない。
「でも、咎音の怪我のことを思うと……」
「響兄」
咎音が響の腕にそっと手を置いた。
「いっそ婚約を一度取り消した方がいいんじゃない?」
響の足が止まった。
「何を言ってるんだ」
「だって、彩花姉はもう響兄を愛してないみたい。あんなに冷たい態度で……」
咎音の声は心配を装っているが、その瞳の奥には計算された狡猾さが宿っていた。
「ダメだ」
響は即座に否定した。
「彩花を手放すつもりはない」
その瞬間、咎音の瞳に強い怨念が浮かんだ。しかしそれは一瞬のことで、すぐに心配そうな表情に戻る。
「そう……ですね」
咎音は作り笑いを浮かべた。しかし内心では、別の策略を巡らせていた。
「あ……」
突然、咎音の身体がふらついた。響が慌てて彼女を支える。
「咎音!大丈夫か?」
「ちょっと……めまいが」
咎音は響の胸に身を預けた。完璧な演技だった。
「朽葉!」
響は慌ててナースステーションへ向かった。咎音を抱えながら、医師を呼びに行く。
廊下に一人残された彩花は、病室のベッドで天井を見つめていた。
響の声が遠ざかっていく。
また一人になった。