第9話:消された痕跡
「植物人間を目覚めさせるには、感情的な刺激が必要だって聞いた」
響は病室のベッドで身を起こしながら、咎音に向かって言った。松葉杖を握る手が震えている。
「彩花が残した物が見つかれば、きっと彼女の目を覚まさせられる」
「響兄、無茶よ。あなたはまだ――」
咎音が制止しようとしたが、響はすでに立ち上がっていた。両足の骨折など、今の彼には些細な問題でしかない。
「家に戻る。彩花の部屋に何か残っているはずだ」
響の決意は揺るがなかった。愛する人を救うためなら、どんな痛みも耐えられる。
神楽坂家の玄関に立った響は、違和感を覚えた。
いつも彩花が丁寧に揃えていた靴が消えている。玄関マットも新しいものに変わり、彩花が愛用していた小さな花瓶も姿を消していた。
まるで、彼女がこの家に存在していた痕跡を意図的に消し去ったかのように。
松葉杖をつきながら階段を上り、彩花の部屋の扉を開けた瞬間――
響は愕然とした。
部屋は完全に空っぽだった。
ベッドも、机も、本棚も、すべてが撤去されている。壁に貼られていた写真も、引き出しの中の小物も、何もかもが消え失せていた。
「何だ……これは……」
響の声が震えた。彩花の存在そのものが、この家から完全に抹消されている。
廊下を歩いていた執事を呼び止めた。
「彩花の荷物はどこに行った?」
執事は困惑した表情を見せた。
「それは……奥様のご指示で……」
「母さんの指示?」
響の声が鋭くなる。
「すべて……焼却処分いたしました」
執事の言葉が、響の心臓を貫いた。
彩花の思い出も、彼女が大切にしていた物も、すべてが灰になってしまった。
その時、階下から声が聞こえてきた。
「植物人間と結婚なんて絶対ありえないわ。さっさと別の相手を探しましょ」
母親の声だった。響は階段の上から身を乗り出し、両親の会話に耳を澄ませた。
「そうだな。響にはもっと相応しい女性がいる」
父親の声が続く。
「トラブルばかり起こす子だったし、神楽坂家の役には全然立たなかったわね。やっと厄介者が消えてくれたわ」
母親の言葉が、響の怒りに火をつけた。
彩花を厄介者?
両親を救って死んだ彩花の両親への恩も忘れて?
響は松葉杖を握りしめ、階段を降りていった。
「何を話してるんだ」