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Bab 4: 3-【深層】実習

 幽霊がお菓子を食べるか否か。

 まあ、食べないんじゃないかな、とは思う。

 なにせ体がない。つまり口がない。空くお腹だってない。

 じゃあ、実はエメは生きているのか。

 生きているとしたら、どうして僕に会いにこないのか。

 ぼくを恨んでいる?

 あり得ない話じゃあない。ぼくは、本来エメの努力への対価として与えられるべきだった全てを横取りして、今、ここにいるのだ。

 お菓子の食べ残しも、ただぼくを怖がらせるためのもので……死んだのも、そう、死んだふり。

 エメはどこかで生きている。生きて、ぼくと一緒に生きることより大切な何かを見つけている。

 だとしたら、それはとても素晴らしいことだ。

「……馬鹿馬鹿しい」

 ぼくは、口の中で呟いた。

 リンドウに協力してもらい、部屋の探索をしてから早二ヶ月。

 その間、調査の進展はまったくもってひとつもなかった。

 あのお菓子——地方によってコーウェルかガッテか呼び方が分かれており、後にぼくはコーウェル派でリンドウはガッテ派であることが判明した——は、ごくごくありふれたものである。どこで買ったかも分からない。

 一応、大きさとフレーバーからいくつかの店まで候補を絞り込んだものの、どれもそれなりの人気店だ。

 いつ買ったのか、正確な日付も時間帯も分からない。

 その上で、これを買ったのが誰か覚えていませんかだなんて、ダメ元で訊いた上でもちろんダメだった。覚えている店員さんはゼロ。

 これにて手詰まり。

 ぼくは日々違和感に苛まれながらも、しかし、エメの幽霊探しだけに頓着しているわけにもいかない事情が迫ってきていた。

 二回目となる【深層】実習だ。

 五年制のセレスティアでも四年生以上しか受けることのできない、それでいて生徒(ぼく含む)みんなに蛇蝎の如く嫌われている、魔法学園ならではの実習。

 気を抜いて良い授業ではない。

 ぼくはどうにか物理系の魔術をいくつか使えるようにするのに必死で、さらなる探索やら聞き込みやらをしている余裕を持てなかった。

 その甲斐あって一応、最も単純な単一物質引用をギリギリ実戦レベルで使えるようにはなったのだけど。

 そして、当日。

 二回目なので説明もそこそこに、ぼくら生徒は一人ずつ時間をおいて黒い膜を潜り抜け、学園地下へと潜る。

 そう、地下だ。

「……地下、なんだよなあ」

 上空をぐるりと覆う蒼穹を見上げ、ぼくはひとりごちた。

 今の一層目は、どうやら雑木林エリアらしい。下草の這うだだっぴろい地面とまばらに生えた木々、白い雲の浮かぶ青空が、地下空間とは思えないまでのリアリティでぼくらを出迎えていた。

 ぐっと、無意識に手に持つ分厚い本を抱え込む。

 【深層】というのは、世界の各地にある特殊な穴ぐらの名前だ。

 場所としては、大体地下。そうでなければ、山を横に貫く洞窟。

 けれど、それはただの穴ぐらではない。

 この世界は【星録《レコード》】、星の記憶によって成り立っている。

 ぼくらの存在も、日々口にする食べ物も、踏みしめる大地も、空の青ささえも、全てがこの星の記憶する事柄だからこそ存在している。

 けれど、この【深層】は違う。

 ここは、星の目の届かない深い場所。【星録】から外れた、ある意味でこの世ならざる世界なのだ。

 【深層】の特徴として、例えば、物理的にあり得ないだろう地形が挙げられる。

 だからこそ、地下にあるというのにこの青空、吹き抜ける風。

 ぼくにはまったく、地上の風景と遜色がつかない。

 長閑だ。

 けれど、油断は禁物である。

「————っ! ——!」

「っ、戦闘音……!」

 しばらく歩いていると、引用句を叫んでいると思しき声が聞こえてきた。

 ぼくは用心深く木々の間を歩き、そちらへと近づく。

 果たして、そこにいたのは見覚えのある金髪少女だった。

 そう。クラスメイトで、ぼくを目の敵にしているご令嬢さんだ。

 それからもう一人、否、もう一匹。

 黒い影を固めた体に赤い光の眼を持つ、世界の敵。

「Grrrrrrrr……」

 【蝕獣《クラック》】。

 ぼくの記憶に色濃い影を残した狼型のそれのりもよほど小さく、しかし、一対の翼を生やしてびゅんびゅんと飛び回っていた。

 鳥型だ。

 あれは厄介だぞ、とぼくは木の陰から様子を窺う。

 飛んでいるということは、剣やら槍やらでは触ることすらできないのだ。

「ふう……【貫くもの/疾きもの/駆けよ/空に/在れ】」

 令嬢ちゃんは落ち着き払った動作で本——僕の抱えるのと同じもの——を掲げると、そこからいくつもの細い線が生まれ出た。矢だ。

 それらは弓につがえられることさえなく、そのままビュンと飛んで触獣を追った。

「おお……」

 ぼくは小声で驚嘆する。

 魔術の矢も、普通は弓を使わねば飛ばない。あれは、“飛んでいる状態の矢”を引用したのだ。

 勢いは形のない概念で、つまり、引用難易度も高い。それを複数となれば、なるほど、彼女が優秀であるのは間違いない。

 矢は一本が検討はずれのところに飛び去り、一本が触獣の翼を掠め、しかし一本がトンと胸に突き立った。

「Gyaaaaaaa!」

 耳障りな声で蝕獣が叫ぶ。

 かと思えば、さらさらと砂のように黒い体が零れ、風に溶けて消えていってしまう。死んだのだ。

 さすがだな、と胸の中で呟きつつ、ぼくはこっそりとその場を退散した。

 また難癖をつけられても面白くない。あれを見た後では、言い返す気も湧かなそうだ。

 蝕獣は、さまざまな形を取る。

 エメを殺したのは、機動力の高い狼型。今のは飛翔能力のある鳥型。

 他にも耐久の高い熊型だとか、鳥より大きいけれどその分強靭な竜型だとか、変わり種なら水中しか移動できない魚型も。

 だからこそ、それを狩るのは狩人でも騎士でもなく、魔術師なのである。

 鳥型を剣で倒すのは、ほとんど不可能だ。熊型は弓矢を容易く弾く。竜型ならば大槍と盾が欲しいし、魚型なら銛を使いたい。

 そういう多種多様な武器を、全て扱えるようにするというだけならまだしも、全て持ち運ぶことは不可能だ。

 まさか、突如出没した蝕獣を狩るために荷車を引いていくわけにもいかない。

 けれど、魔術ならば別のものを引用するだけで済む。

 こと万能さ器用さにおいて、魔術師に勝てるものはいないのだ。

「……ま、ぼくはその魔術をロクに使えないわけなんだけど……」

 この【深層】は星録から外れた場所であり、蝕獣もまた星録から外れた存在だ。

 なので、【深層】には蝕獣がわんさかいる。

 それと戦い、進み、指定された階層まで潜って生還するというのが、この【深層】実習。

 あくまで授業なので危険はないと分かっていても、やはり戦闘は気が重い。

 というか、ぼくの場合は戦闘を成立させられるかすら危うい。

 目標を達成できれば高評価を貰えるので、ぼくはそろりそろりと隠密を解かないように警戒して進んでいく。

 途中、数体の蝕獣を見かけたけれど、向こうから見つけられる前に逃げおおせた。

 戦闘力をつける、という実習の意図には沿っていないが、ぼくはなりふり構っていられるほど成績が良くないのである。

 けれど、そんなやぶれかぶれの進行は長くは続かなかった。

 どうにか二層に下りた、その直後。

「——げ」

 今度は閉ざされた岩壁ばかり洞窟エリアであったそこでは、早速、蝕獣が待ち構えていた。

 小さい。小型の犬程度の大きさだ。

 けれどどんな大きさであれども、蝕獣はその体そのものが研がれた刃のように鋭く人体を蹂躙する。

「——Kyuuuu?」

 高く、澄んだ声でその蝕獣が鳴く。ぼくの顔を見上げる。

 そして、当然、飛びかかってくる。

 身構える隙も、逃げる暇もない。ぼくはただ、心臓の位置へ飛翔する黒い影を呆然と見ていることしかできなかった。


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