第11話:理解できない
[冬夜の視点]
冬夜はソファに崩れ落ちた。
カレンダーの黒いバツ印が、まるで自分の心を貫く矢のように見えた。
【別れましょう】
雪音の文字が、何度見ても現実のものとは思えない。
スマートフォンが鳴り続けている。母親からの着信だ。でも、出る気力がない。
「なんで......」
冬夜は頭を抱えた。
「なんで雪音は何も言わずに......」
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雪音は皇都の研究所で、新しい生活の準備を進めていた。
二年間の研究プログラムへの参加手続きを済ませ、宿舎の部屋で荷物を整理している。
「これで、すべて終わり」
雪音は呟いて、冬夜との写真を最後の一枚まで処分した。
もう振り返らない。
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[冬夜の視点]
冬夜は雪音が家を出る前の朝を思い出していた。
あの時、雪音はいつもより静かだった。
「おはよう」
雪音の声に、いつもの温かさがなかった。
でも自分は、紅からのメッセージに夢中で気づかなかった。
『検査結果が出た。もう妊娠してる』
紅からのそのメッセージを見た瞬間、冬夜は飛び上がるほど嬉しかった。
「雪音、すごいニュースがあるんだ!」
振り返ると、雪音は朝食の準備をしながら、こちらを見ていた。
「紅が妊娠したんだ!」
雪音の手が止まった。
「そう......よかったわね」
雪音の声は、まるで他人事のように聞こえた。
「病院に付き添いに行ってくる。夕方には帰るから」
冬夜は上着を羽織って、玄関に向かった。
「冬夜」
雪音が声をかけた。
「何?」
「あの......話があるの」
「帰ってからでいいか?紅が待ってるから」
冬夜はそう言って、家を出た。
あの時、雪音が何を話そうとしていたのか。
今になって、冬夜は気づいた。
雪音は、別れの話をしようとしていたのだ。
でも自分は、紅のことしか頭になくて、雪音の話を聞こうともしなかった。
式場の予約がキャンセルされたのも、半月前。
紅の妊娠が分かった、まさにその日だった。
冬夜は立ち上がって、部屋を歩き回った。
「でも、なんで?」
紅は命の恩人だ。六年前、冬夜が交通事故で意識不明になった時、紅が救急車を呼んでくれた。
だから、紅に恩返しをするのは当然のことだ。
雪音だって、それは理解してくれるはずだった。