夜明け前、リリシーは小屋の雨戸を開け、東の空を見つめる。
ノアのズボンの裾を縫う手を止めて、自身の中にある胎動のような感覚に神経を研ぎ澄ます。自分の意思とは思えない鼓動がある。
『どうしたんだい ? シャキッとしなよ。
あんたはあの場に、あたしたちを置き去りにしなかった。結構感謝してるんだよ ? 』
「……自信が無いわ……。ノアは……道中もし気の良いご家庭があったら引き取って貰うとか……」
『あいつ。そんな事、望んでねぇと思うぜ ? 魔法を教えりゃいいじゃん』
「オリビアはいつも簡単に言うよね。
本人も言ってたけど、体内魔力濃度は低いように感じるわ。生まれつき低ければ魔法石で増幅しても、戦える程の魔力にはならないもの」
『でもさぁ。皆が皆、魔法だけで戦うって訳じゃねぇじゃんか ? リリシーもそうだし』
「……違うな。わたし、ノアが怪我とかするのは見たくないよ……。
これからどうすればいいのか分からない……。クロウはどうなったのかしら……」
『気になるかい ? 』
「そりゃあね」
姿無き声の主がいる。
これは幻聴か。魂か。
しばらく仲間の過去のフラッシュバックに悩んでいたリリシーだが、ここへ辿り着いて一息ついた頃、自分の中の変化に気付いた。
声はリリシーの内側からする。そしてそれは明確な意志を持っている。
この合わせた身体がそうさせるのか、元々そういう呪術だったのか……。魔導書を読み切らず早々に燃やしてしまったので確かめようも無い。
ただ、今はその病状とも言える状況がリリシーを支え、精神を安定させるには十分だった。
『あたしとオリビアがついてるんだ。あんた一人じゃないよ』
『そうそう ! 』
「……わたしは、恵まれていたわね……。いつも二人がいてくれて……」
『ノアにも、後でそう言って貰えるようにさ。お前が返せばいいと思うぜ。感謝させろってんじゃなくて、大事にそばにおくんだ。
男はさぁ、ガキでもちゃんとお前に向き合おうとするぜ。その時、お前が隠したり遠慮したりすると……やっぱ寂しいし、傷付く。
思いっきり甘えて見ろよ』
「甘えさせるんじゃなく ? 甘える…… ? わたしがノアに ? 」
リリシーが外を向き、ブツブツと話す声でノアの目が覚めた。最初は農場主とでも話しているのかと思ったが、寝ぼけ眼でもまだまだ辺りは真っ暗い。いくら農家でもこんなに早起きはしないだろう。
毛皮のローブから半分顔を出すと、そこには麦藁の塊に座り、外をぼんやり見るリリシーの姿しかなかった。
「…… ??? 」
『人身売買が禁止された頃あったよな ? その頃に奴隷商から教会に引き取られたんだろうな。今、十歳チョイくらいか ? でも普通はその年頃って、もっとガキっぽいよ。あいつ妙に大人じゃん。……本人なりに大人を知ってんだろうな。
今、お前が見放したら……それこそ残酷だぜ』
「確かに、村から出ろとは言ったけど……」
『一緒にいるのが嫌なのかい ? 』
「そんな事、絶対ない ! 」
確実にリリシーの独り言である。
オリビアとエリナの声はノアには聞こえない。しかし、リリシーの口振りから、何かに迷いがあり悩んでいる事は確かだと確信する。
「わたし……一人で村を出て、クロウが居なかった時点で、心が折れたと思う。
でも、そばにノアがいてくれたから……馬鹿な真似せずに済んだし、凄く助けられたの……」
「……」
ノアはそのまま、再び目を閉じる。
でも、もう眠れそうには無い。静かにリリシーを見守る事にする。
今、どんな症状であれ、仲間が『内』にいてくれるなら、リリシーは地獄帰りをした者の大半が陥る、一番『最悪な選択肢』には辿り着かない気がして安心したのであった。