第03話:遺影
[氷月雫の視点]
刹那は、もう三日も家に帰ってこない。
ソファに横たわりながら、天井を見つめていた。体の痛みが、日に日に強くなっている。
「死んでくれるなら、やっと静かになる。だったらさっさと死ねばいい」
あの日の刹那の言葉が、頭の中で繰り返される。
玲奈を突き飛ばした私を見つめる刹那の目に、もう愛情のかけらもなかった。憎悪だけが、そこにあった。
机の上に置いた遺品整理のリストを見る。書き終えるのに、丸一日かかった。
アクセサリー、服、本、食器......私という人間の痕跡を、すべて消去するためのリスト。
最期に着る服も、昨日買ってきた。シンプルな白いワンピース。刹那が昔、「君に似合う」と言ってくれた色。
そして今日は、遺影を受け取りに行く日だった。
写真屋の前で、封筒を受け取る。
「ありがとうございました」
店員の女性が、丁寧にお辞儀をしてくれた。
封筒の中には、モノクロの写真が入っている。私の最後の顔。
角を曲がった時だった。
「雫?」
聞き慣れた声に振り返ると、刹那がいた。
そして、その隣には綾辻玲奈。
二人は手を繋いでいた。
「何してるんだ、こんなところで」
刹那の声に、警戒心が混じっていた。
「まさか......俺たちを尾行してたのか?」
「違う」
私は首を振った。
「偶然よ」
玲奈が、私の手にある封筒に視線を向けた。
「あら、写真屋さんからの帰り?何の写真かしら」
わざとらしい興味深そうな声。
「もしかして、何か隠してるんじゃ?」
玲奈の言葉に、刹那の目つきが鋭くなった。
「雫、それは何だ」
「関係ないでしょう」
私は立ち去ろうとした。
でも、刹那が私の手首を掴んだ。
「答えろ」
「離して」
「何を隠してる」
刹那の手が、封筒を掴む。
その拍子に、中からモノクロの写真が滑り落ちた。
地面に散らばる、私の遺影。
静寂が流れた。
刹那が写真を拾い上げる。玲奈も覗き込んだ。
「......今度は本気で死ぬつもりか?」
刹那の声に、動揺はなかった。冷たいままだった。
「少しくらい後悔するあなたの顔、見てみたかったの」
私は、かすかに笑った。
「でも、やっぱり何も感じないのね」
刹那の表情が歪んだ。
そして、私を突き飛ばした。
「じゃあ勝手に死ねよ」
吐き捨てるように言って、背を向けた。
私はその場に崩れ落ちた。
玲奈が駆け寄ってくる。心配そうな表情を作って。
でも、私の耳元で囁いた声は、氷のように冷たかった。
「見たでしょ?あの人はもう、あなたが死んでも微塵も動じない」
玲奈の唇が、薄く笑った。
「......あなた、もう愛されてないのよ」
刹那は振り返りもしなかった。
「どうせ、また芝居だ」
玲奈に向かって、そう言い放った。
「構うな」
二人は歩き去っていく。
通りすがりの人に助けられ、なんとか家まで戻った。
ソファに倒れ込み、痛み止めを飲む。
刹那の言葉が、胸に突き刺さったままだった。
『じゃあ勝手に死ねよ』
昔は、違った。
私が重い肺炎で倒れた時、十八歳の刹那は泣きながら私の手を握っていた。
「雫.....お願いだ、薬を飲んで」
震える声で、何度も何度も言ってくれた。
「....死なないでくれ」
あの時、あんなにも私を生かそうとしてくれた人が、今は誰よりも私の死を願っている。
壁のカレンダーを見上げる。
余命の「ひと月」は、もうすぐ終わる。
.....良かったね、刹那。あなたの望んだ通りになる日が、もうすぐ来るわ。