老屋は最終的に取り壊されなかった。
巨大な世論の圧力の下で、城西の旧市街区再開発プロジェクトは再計画された。
数世代の記憶を宿すあの街区は、歴史文化保護区域に指定された。
清彰キャピタルは消滅し、斎藤彰人は複数の罪状により、懲役十年の判決を受けた。
裁判の日、私は行かなかった。
篠原悠真が結果を教えてくれた。
彼によれば、彰人は法廷で、ずっと私の名前を呼んでいたという。
彼は後悔していると言ったそうだ。
だが、この世に後悔の薬などない。
加藤家は最終的に破産した。
父は一夜で白髪になり、高い地位にいた社長から、巨額の負債を背負う普通の人間になった。
父は私に会いたがったが、私は断った。
ある種の傷は、一度作られると、永遠に癒えることがない。
私は手元に残っていたわずかな金で、小さな映像制作スタジオを設立した。
ドキュメンタリーを専門に撮るスタジオだ。
悠真は私のパートナー兼チーフカメラマンとなった。
私たちはたくさんの作品を撮った。
留守番児童について、環境保護について、忘れ去られた社会の周縁にいる人々について。
私たちの作品は、多くの賞を受けた。
私も「加藤家の隠し子」から、少し名の知れた「加藤監督」になった。
私と悠真の関係も、自然な流れで進展した。
彼がプロポーズした日、ダイヤの指輪も花束もなかった。
彼はただ私の手を引いて、私たちが撮影を終えたばかりの、土埃が舞う工事現場で。
「美桜、僕は豪邸での生活を君に与えられないかもしれない。でも、一台のカメラと、一対の目を君に与えられる。世界のあらゆる真実を見るために君に寄り添う」
「そして家庭も与えられる。君が卑屈にへつらう必要のない、ただ君自身でいられる家庭を」
私は泣いた。
ひどく泣きじゃくった。
そして笑いながら言った。「うん、いいよ」
私の人生はついに暗雲が晴れ、正しい軌道に乗った。
彰人の物語はもう完全に終わったと思っていた。
私の結婚式の日まで。