第4話:翡翠の真実
[綾崎詩音の視点]
試着室から出ると、怜士が私のスマートフォンを見つめていた。画面には『あと7日』の文字が大きく表示されている。
「詩音、これは……」
怜士の声が途切れる。私がドレス姿で現れたからだ。青いシルクのドレスが、照明の下で美しく輝いている。
「どう?似合う?」
私は軽やかに回転してみせた。怜士の目が、私の姿に釘付けになる。
「綺麗だ……本当に綺麗だよ」
彼の声に、心からの賞賛が込められていた。でも私は、彼がスマートフォンのことを忘れかけているのを見逃さなかった。
「ありがとう。このドレスに決めましょう」
私は怜士に近づき、彼の腕に軽く触れる。
「さっき、何を見ていたの?」
「ああ……君のスマートフォンに、カウントダウンが表示されていたから」
怜士の表情に、困惑が浮かんでいる。
「あれ?私たちの結婚式の日よ。忘れたの?」
私は微笑みながら嘘をついた。
「結婚式まで、あと7日でしょう?」
怜士の顔に安堵が広がる。
「そうか……そうだったな。最近忙しくて、日にちの感覚が曖昧になっていた」
彼は私の頬に手を添え、キスをしようとした。
私は自然に顔を逸らす。
「お化粧が崩れてしまうわ」
怜士の手が、空中で止まった。
K市のチャリティパーティー会場では、既に多くの招待客が集まっていた。会場の中央には巨大なシャンデリアが輝き、壁際には色とりどりの花が飾られている。
参加者たちは皆、K市の有力者や著名人ばかり。女性たちは華やかなドレスに身を包み、男性たちは上質なスーツを着こなしていた。
会場の一角で、数人の女性が談笑していた。
「今夜は氷月社長もいらっしゃるのよね」
「ええ。婚約者の綾崎さんと一緒に」
「あの二人、本当にお似合いよね。K市で一番の美男美女カップルだわ」
[綾崎詩音の視点]
会場に足を踏み入れた瞬間、周囲の視線が私たちに集中した。
「あら、氷月社長!」
「綾崎さん、今夜も美しいですね」
招待客たちが次々と私たちに声をかけてくる。怜士は慣れた様子で挨拶を返し、私も微笑みを浮かべて応じた。
「お二人とも、本当にお似合いですね」
年配の女性が、うっとりとした表情で私たちを見つめる。
「K市で奥さんを大切にするランキングがあったら、氷月社長が2位なら、1位を名乗る人はいないでしょうね」
その言葉に、周囲の人々が笑い声を上げた。
怜士は満更でもない様子で、私の腰に手を回す。
「詩音は俺の宝物ですから」
彼の言葉に、私の胃が再び収縮した。でも表情は変えない。
「まあ、素敵!結婚式が楽しみですね」
「来週でしたっけ?」
「ええ、あと7日です」
私は明るく答える。周囲の人々が、祝福の言葉を口々にかけてくれた。
でも私には、それらすべてが偽りの祝福に聞こえた。
「詩音、少し静かな場所に行こう」
怜士が私の耳元で囁く。
私たちは人混みを抜け、会場の奥へと向かった。
その時、黒いドレスを着た女性が近づいてきた。
玲奈。
私は初めて、怜士の愛人と顔を合わせた。
「あら、氷月さん」
玲奈の声は、甘く媚びるような響きを持っていた。
「玲奈……」
怜士の声が、わずかに震える。
「綾崎さんですね。初めまして」
玲奈は私に向かって、作り物の笑顔を浮かべた。
「以前、氷月さんに偽装結婚をお願いしたことがあって……本当に申し訳ありませんでした」
彼女の謝罪は、明らかに演技だった。
「今は私も彼氏ができたので、もう過去のことは水に流してもいいんじゃない?」
玲奈の言葉に、私は冷静に答える。
「そうですね。過去のことですから」
怜士が玲奈を遠ざけようとした時、玲奈は彼にウィンクをした。
その瞬間、私は嫌悪感で胸が悪くなり、その場を離れた。
私が去った後、玲奈は周囲の女性たちに自慢げに話し始めた。
「このイヤリング、彼氏からのプレゼントなの。高かったのよ」
彼女が耳元で揺らすイヤリングは、美しい翡翠で作られていた。
「まあ、素敵!」
「そのイヤリング、綾崎さんが今日つけているアクセサリーと同じ翡翠を使っているみたいですね」
その言葉が、私の耳に届いた。
私は歩みを止め、手首の翡翠の腕輪を睨みつけ、力任せに外して握り締めた。滑らかなはずの翡翠が、手のひらに食い込んで痛みを感じさせた。
同じ翡翠。
怜士が私と玲奈の両方に、同じ石で作ったアクセサリーを贈っていた。
私の中で、最後の疑いが確信に変わった瞬間だった。