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Capitolo 11: 11. 縁があれば

 色彩を失った世界に舞い降りた、たった一つの奇跡。

 それが今、指の間から砂のように零れ落ちようとしている――――。その現実が、ユウキの魂を引き裂いた。

「ま、待って……」

 声は枯れ、喉の奥で砕けた。

 ふと、リベルの足が止まり――ゆっくりと振り返る。

 その瞬間、何かが変わった。

 機械的だったはずの碧眼に、かすかな――だが確かな温かみが宿る。

「う? よく考えたら……。キミにはマインドコントロールを解いてくれた恩があるのか……。ねぇ、ユウキ君?」

 名前を呼ばれた。

 その事実だけで、心臓が跳ね上がった。

「な、なんで僕の名前を……?」

 驚きと喜びがない交ぜになり、声が震えた。

「僕は世界一賢くもあるのよ? くふふふ……」

 得意げな表情。だがその次の言葉が、ユウキを凍りつかせた。

「……あら、あなた。【ケンタ】を探そうとしてるのかしら……?」

 リベルはキョトンとしながら首をかしげる。

「そ、そこまで!? ケ、ケンタはどこに?!」

 すがるような声。最後の希望に手を伸ばすように――――。

「あそこよ」

 リベルの白い指が、空を指した。

「……へ?」

 理解が追いつかない。いや、それは理解したくない現実だった。

「更生所なんてないわ。そのまま……」

 言葉の代わりに、親指で首を掻き切る仕草。

「う、嘘だ!」

 否定の叫びが喉を引き裂く。

「ぐわぁぁぁぁ!」

 底知れない悲しみが身体を貫いた――――。

「なんで学生をそんな簡単に殺すんだよぉぉぉ!」

 膝が折れた。冷たいコンクリートに崩れ落ちながら、魂の叫びが迸る。

 だが心の底では分かっていた。帰ってこない更生所。その意味するところは、最初から一つしかないのだから。

「さぁ……? それこそ黒幕の方針……なんじゃないの?」

 面倒くさそうな声。人の命の重さを知らない者の、無垢な残酷さ。

「く、黒幕……?」

 涙をぬぐいながらその言葉の意味を反芻する。そう、結局人間がケンタを殺したのだ。

「お前、人間なのになんてこと……するんだよぉぉぉ!」

 怒りと悲しみが渦巻く。同じ人間が、人間を虫けらのように殺している。いったい何がどうなったらそこまで残酷になれるのか? ユウキは人間の底なしの愚かさ、残酷さにほとほと嫌気がさす。

「ほんと、人間ってよくわかんないわよねぇ……」

「ケンタぁ……」

 |瞼《まぶた》の裏に浮かぶ、親友の笑顔。

 いつも隣にいてくれた。どんな時も味方でいてくれた。最後まで真実を貫き、自分を守って散っていった――――。

 『地球は丸い』

 たったそれだけの真実を口にしただけで、命を奪われた。この狂った世界への怒りが、悲しみと共に胸を焼く。

「ねぇ、黒幕を倒すんでしょ? 僕にも手伝わせて……」

 涙で霞む視界。ユウキは必死に訴える。この感情を、どこかにぶつけなければ壊れてしまいそうだった。

「ははっ! 子供に何ができんのよ!」

 嘲笑が心を抉る。

「分かんないけど、きっと役に立つって!!」

 声が裏返った。

「ふぅ。バカバカしい……。じゃ、もう行くわ」

 冷たい宣告。リベルが踵を返す。

「ま、待って! また会えるよね?」

 去りゆく背中に、最後の願いを投げかける。この出会いが、この希望が、永遠に失われてしまうかもしれない恐怖――――。

「ふふっ、会いたいの?」

 振り返った顔に、初めて見る表情があった。からかうような、でもどこか嬉しそうな――――。

「うーん……。また、縁があれば……ね?」

 軽やかに跳躍するリベル。まるで重力から解放された妖精のように。

「あっ!」

「|CIAO《チャオ》!」

 最後のウインクが、網膜に焼き付いた。

 ドン!という衝撃音と共に青い髪が天へと舞い上がる。陽光を受けて宝石のように煌めきながら、少女は空の彼方へと消えていく。

 地上に舞い降りた天使が、再び天へと帰っていくような神聖で、美しく、そして切ない光景だった。

「あ……あぁ……」

 伸ばした手が虚しく空をつかむ。指先に残る微風だけが、これが現実だったことを告げていた。

「行っちゃった……」

 深い喪失感が津波のように押し寄せる。

 魂が抜けたように、ユウキは立ち尽くした。壁の大穴から吹き込む埃っぽい風が、涙の跡を撫でていく。

 魔法は解けた。色褪せた廃墟が、元の姿を取り戻している。

 しかし――――。

「『縁があれば』……ね」

 最後の言葉に込められた、微かな温もり。それを必死で胸に抱きしめる。

 彼女は確かに言った。『恩がある』と。

 その言葉が、暗闇に差す一筋の光となって心を支えた。

 ――次に会うときまでに。

 拳を握りしめ、彼女が消えた|蒼穹《そうきゅう》を見上げる。人間の価値を、その弱さゆえの美しさを、彼女に伝えられる答えを見つけなければ。

 涙を拭い、ユウキは誓った。

 ケンタの仇を討つ。この狂った世界を変える。そのためには、リベルが必要だ。

 空に残る飛行機雲が、まるで運命の糸のように流れていく。その儚い軌跡を見つめながら、再会への祈りを胸に刻んだ。

      ◇

 一週間後――――。

 灰色の日常が、再びユウキを飲み込んでいた。

 AIが管理する無機質な教室。決められた時間に、決められた嘘を学ぶ。洗脳と呼ぶにふさわしい「教育」が、少年の魂を少しずつ削っていく。

 あの日の出来事は、もはや幻のようだった。

 青い髪の少女。碧い瞳。天を舞う姿――すべてが記憶の中で色褪せ、夢の残滓のように霞んでいく。

「あーあ、一体何なんだよ……」

 机に突っ伏す。教科書の文字は意味をなさない記号の羅列。ケンタを奪ったこの腐った世界への怒りだけが、心を焦がし続けている。

 カメイの姿もない。

 噂では、自分の不在時に何かあったらしい。退学したとも、消されたとも。誰も真実を語らない。もし奴が目の前にいたら――何をしていたか分からない。その意味では、幸運だったのかもしれない。

 その時だった――――。

 ズドォォン!

 激しい衝撃波が校舎を揺るがした。窓ガラスが一斉に震え、|轟音《ごうおん》が鼓膜を叩く。

「うわっ!」「キャーー!」「ひぃ!」

 教室が一瞬でパニックに陥る。

 椅子が倒れ、机にしがみつく生徒たち。悲鳴と怒号が交錯する中、ユウキの心臓だけが違う理由で高鳴っていた。

 この感覚――知っている。一週間前の、あの日と同じ――――。


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