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Capitolo 6: 焚き火と告白

村の柵を抜けると、土の道が川沿いにゆるく曲がっていた。畑の端に人だかりができていて、みんなが手を振る。

昨日の女の子もいた。目を赤くして、唇をかみながら、両手をいっぱいに振っている。

「また来てね!」

「うん、また」

エリカが穏やかに返す。スミオは俺の肩から「ぽん」と飛び降り、子どもたちの足元でぷるんと震えた。

最後に女の子の掌へぺとんと頭を乗せ、もう一度だけ跳ねて戻ってきた。

「……帰れる場所が、ひとつできたかな」

胸の内で小さくそう言って、俺は手を挙げた。みんなの声が遠くなる。

風が畑を渡り、土の匂いが薄くなる。

道は東へ。村の長が言っていたとおり、川沿いを行けば街道に合流する。

しばらく歩いても、人影はなかった。

荷馬車の轍は古く、踏み固められた草に新しい跡がない。

鳥の鳴き声はするのに、反対に耳が冴えていく。

「……静かだな」

「うん。少し、変」

エリカが肩越しに森を見た。

スミオが俺の首元で小さく震える。

陽は高いのに、木々の奥の影だけが濃い気がした。

「気のせいか?」

柄——折れた木剣の柄を握り直す。

何も出てこない。草むらが揺れただけで、風の音。肩の力が抜ける。

昼を少し過ぎたところで、道から外れて河畔の平らな場所に腰を下ろした。

水の音が近い。石を集め、簡単なかまどを組む。スミオが小枝を集めては、ぽんっと落とし、エリカが火を点ける。

火はすぐに安定し、赤く呼吸を始めた。

パンを割り、少しの乾燥肉を温め、野草の葉をちぎってスープに落とす。煙がまっすぐ空に上がった。川面がきらきらして、風が涼しい。

「……居場所、か」

火を見ながら、口から出た。

「村に少し残してきた気もするけど、結局俺たちはまた流れ者だな」

「……そうね」

エリカは炎の向こうで小さく頷いた。炎の明かりが瞳に映る。スミオがスープの湯気をつついて「ぷる」。

「私はずっとそうだった」

「どういう意味だ?」

エリカは少し間を置いた。

風が一回通り、火が低く鳴る。

「私、もともとは物語の中で“悪役令嬢”の役割だったの」

「悪役……令嬢?なんだ、それ」

「主人公をいじめて、最後は追放される……そんな役。みんなに嫌われて、居場所をなくすように作られていた」

眉が自然と寄った。

「なんだよそれ。役ってどういうことだ?」

エリカはかすかに微笑んだが、目は揺れていた。

「詳しくは覚えてない。……でも、それが与えられた“役割”なの。

たぶん、そう動くように最初から決められていた。私が何を思っても、台詞みたいに」

言葉がそこで止まった。

火がぱち、と小さく弾ける。

スミオが俺とエリカの顔を順に見て、「ぷる」と短く鳴いた。

うまく返せない。胸のどこかがざわつく。

役割。決められた道筋。

俺は視線を落とし、パンの欠片を火のそばで炙った。

そのときだった。

川の音の向こう、木立の陰がひとつ、音もなく動いた。風ではない。草が内側へ吸い込まれるように沈む。

「——来る」

エリカの声が低くなる。スミオが肩から落ちて、地面に「たたっ」と構えた。

草むらを割って出てきたのは、狼でも熊でもない“造られた異形”だった。

皮膚の下には金属の管と黒い線がのぞき、節の多い関節が「カチ」と乾いた音を立てる。

動くたびに油の焦げた匂いが漂い、濁った目は生き物というより、冷たく決められた焦点だけを追っていた。

喉が勝手に動いた。

「……なんだ、こいつ」

足が止まらないまま前に出る。

折れ柄を正面に構えた。

スミオが先に飛ぶ。異形がこちらへまっすぐ走る。砂を蹴り、低く地をはうように伸びてくる。

スミオが目の前で「ばちん」と弾けた。透明な膜が瞬間だけ広がり、異形の顔に貼り付いて視界を遮る。動きが一拍止まる。

俺は横から折れ柄で首もとを払った。手応えは軽いが、進路は逸れた。

異形の爪が地面に刺さり、土が跳ねる。

すぐに向き直って、今度は俺に飛ぶ。

すぐ近く、避けられない距離。

「ユウキ!」

エリカの声。足元に光の線が走った。

俺の前に薄い壁が立ち上がる。

異形の額がぶつかり、反動で後ろに跳ねる。

スミオがその背中に体当たり。

「ぼよん」と跳ね返りながらも勢いを殺す。

異形は吠えない。ただ、呼吸のない動きでまた立ち上がった。胴の模様の円がかすかに光る。縁から黒い糸のようなものが「スッ」と伸び、地面に触れたところが焦げる。

「下がって!」

エリカが一歩踏み出して手を広げた。

空中に小さな円環が三つ、連なるように開き、内側へ向けて回転する。

異形が突っ込んだ瞬間、円環が重なって「かちり」と閉じ、前脚を固定した。

逃げようとした後脚にスミオが体当たりをし、

足元が揺れバランスが崩れる。

「今!」

俺は踏み込み、折れ柄で横から脇腹を押し出す。異形の体が半歩ずれて、地面に描いた光の線に片脚が乗った。エリカが掌を返す。

細い柱のような光が足元から立ち上がり、異形の動きを切る。

抵抗が一瞬だけあったが、すぐに力が抜けた。エリカが低く囁く。

「眠って」

光が薄らぎ、異形は膝から崩れた。

呼吸の音がないのは最初からだ。

次の瞬間、皮膚の下の硬いものがほどけるみたいに形を失い、砂のように崩れて消えた。

残ったのは、地面の黒い焦げ跡だけだった。

その地面には円と線で組まれた、意味のある図形が浮かび上がっていた。

薔薇の花弁を模した円環が黒々と焼き付き、その中心に歪んだハートが沈んでいる。

「……何だ、これ」

膝をついて覗き込む。焼けた土の匂い。

エリカがそっと近づき、焦げ跡の縁に指を浮かせる。スミオが「ぷる」と短く鳴いて、彼女の裾に寄った。

「……永遠の……舞踏会……?」

エリカがかすれる声で口にした。

「知ってるのか?」

「わからない……でも、見覚えがある。遠い昔に、こういう印を……」

彼女の指先がわずかに震える。

「……私を狙ってたのかな」

その呟きは焚き火の音よりも小さかったが、はっきり届いた。

焦げ跡はすぐに薄れ始め、砂を払うだけで崩れた。

残るのは心に引っかかる嫌な感触だけ。

「つまり、今のは自然に出た魔物じゃない。誰かが送ってきた」

「たぶん」

エリカは小さく頷いた。風が一度止まり、火の音がよく聞こえる。

「役割がどうとか関係ない」

言葉が先に出た。自分でも驚くくらい、まっすぐだった。

「お前はもう仲間だ。俺が守る。スミオもいる」

「ぷるん!」

スミオが勢いよく跳ね、俺の掌に頭をぶつけた。痛くはない。弾力が少し残る。

エリカは目を伏せ、すぐに上げた。弱い笑い。けれど、本当に少しだけ楽になった笑顔だった。

「……ありがとう」

火を少し足して、鍋を寄せる。

空に一番星が出た。川の音は変わらない。

さっきまでの視線の気配は、どこかへ消えていた。

片付けを終えたあと、焚き火の向こうでエリカが小さく呟いた。

「……でも、見つかるのかな、私の居場所」

言葉は炎に紛れて、すぐに小さくなった。

俺は答えを探し、見つけられず、代わりに薪を一本くべた。

火が静かに高くなる。スミオがその間に「ぺとん」と座り、二人の顔を順に見上げる。

「大丈夫だ」

やっとそれだけ言えた。うまい言葉ではない。けど、今の俺に出せるのはこれだけだ。

「うん」

エリカが短く返す。目はまだ少し揺れているが、炎の色を映していた。

夜はゆっくり深くなっていく。川面に星が増え、風が少し冷たくなる。焚き火を小さくして、寝床を整える。スミオは俺の腕の内側に「ぷに」と収まった。

「明日、街道に出たら、次の町まで行こう」

「うん。橋は流されてる方じゃない道ね」

「そうだな」

「ぷる」

短い返事が間に入る。三人で笑った。

まぶたが重くなる直前、空をひと目だけ見た。星がきれいだった。誰かに配られた役じゃなく、自分で選んだ歩幅で、また明日も歩けると思えた。

焚き火の残り火が小さく息をして、夜がそっと周りを包んだ。次の街へ向けて、静かな一歩がそこに置かれた。


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