ホテルの客室係スタッフがドアの前に立っていた。
スタッフはクリーニング済みの黒いコートを手にしている。
「お客様、お部屋の清掃中に、お洋服がゴミ箱に落ちていたのを見つけ、クリーニングさせていただきました」スタッフは明石遥の眉間に浮かんでいる苛立ちの色を見て、慎重に声をかけた。
明石遥はスタッフの手にあるコートを見つめた。
彼女は朝、外出する時にコートをゴミ箱に捨てたことを覚えていた。
この黒いコートは一目見て高級ブランドの特注品で、かなりの高額品だと分かる。
明石遥はコートを受け取り、スタッフにお礼を言ってから部屋に入った。
数秒間コートを見つめていると、突然頭の中に狂気じみた考えが浮かび、思わず目を見開いた。
まさか、彼女が考えているようなことではあるまいだろう?
でも昨夜——
彼女は男の胸に顔を埋め、彼の体から漂う清冽で心地よいモミの木のような香りを嗅いだ時、とても心地よく、催眠効果があるように感じた。
その後すぐに、彼女は眠気に襲われた。
当時は頭に怪我をしたばかりで、まだこの身体に慣れていないからだと思っていた。
朝起きたとき、彼女はまだ男のコートを抱きしめていた。
コートには彼の香りがついていた。
もしかして男の身体の香りのおかげで、昨夜はぐっすり朝まで眠れたのだろうか?
残念ながら、コートは洗濯されてしまったので、すぐに確かめることはできない!
もし本当に男の香りのおかげで安眠できたのなら、彼女は死に近づいているようなものだ!
あの古賀暴君は彼女に対して悪い印象を持ち、骨の髄まで彼女を憎んでいる。毎晩彼女に抱きしめさせてくれるはずがない!
最も重要なのは、彼女が昨夜、今後は犬を相手にしても彼に関わらないと強気な発言をしたことだ!
明石遥はそんなに早く顔に泥を塗りたくなかった!
しかし、再び不眠で死にたくもない。果たして男の香りが彼女を眠らせたのか、勇気を出して確かめなければならない!
頭の中の記憶を頼りに、明石遥は車を運転して古賀鳴人の住まいへと向かった。
古賀鳴人は郦都市区で最も高価な丘の中腹にある御園という高級別荘に住んでいた。
別荘の正門には二十四時間体制で警備員が常駐している。
明石遥が車で到着すると、当然警備員は通してくれると思っていたが、警備員は彼女を見るなり冷たく言った。「奥様、四男様から指示がありまして、奥様と犬は敷地内に立ち入り禁止とのことです」
明石遥「……」
彼こそが犬だ!
彼の家族全員が犬だ!
クソ男!
入れないなら、明石遥は無理に入るつもりもない。
彼女は車を人目につかない場所に停め、別荘の塀を見上げた。
二メートル以上の高さだが、彼女にとっては朝飯前だ。
明石遥は手際よく塀を乗り越え、別荘の裏庭に侵入した。
クソ男の寝室を見上げると、庭の後ろにある大きな木に登り、猫のように器用に寝室のベランダまで移動した。
こっそり部屋の中を覗くと、クソ男の姿は見えず、バスルームからはシャワーの音が聞こえてきた。おそらく入浴中だろう。
明石遥はかがんでそっと部屋に入った。
広いソファの上に白いシャツが置かれていた。おそらくクソ男が入浴前に脱いだものだろう。
明石遥は大股で歩み寄り、シャツを手に取って鼻先で香りを嗅いだ。
昨夜嗅いで清冽で心地良いと感じた香りだ。
こめかみの張った痛みが、いくぶん和らいだように感じる。
明石遥はバスルームに目をやると、。男の高くて引き締まった輪郭がぼんやりと見えた。
広い肩に細い腰、そして驚異的に長い脚。
ぼんやりとした輪廓だけでも、濃厚な男性のホルモンの香りが漂っている。
鼻血が出そうになる。
明石遥は彼に興味がなかったが、彼が男性の中でも極上の存在であることを認めざるを得なかった。
視線を戻し、明石遥は彼のシャツを持って立ち去ろうとした。
そのとき、ドアの方からハイヒールの音が聞こえてきた。
「義兄さん、いらっしゃいますか?」甘ったるい声が聞こえてきた。
明石遥は細い目をさらに細め、明石恵がドアを開ける瞬間にベッドの下に潜り込んだ。
入口を見ると、明石恵が細いストラップのVネックのドレスを着て入ってきた。
しばらくして、バスルームのドアが開いた。
腰に浴巾を巻いただけの男が出てきた。
シャワーを浴びたばかりで、短い髪がまだ濡れていて、水滴がはっきりした輪郭に沿って滑り落ちていった。胸は広く引き締まり、筋肉の線が美しく、六つに割れた腹筋は壁のように分明に、浴巾の縁まで伸びる人魚線は、男性美を完璧に表現していた。
明石恵の目は、一瞬で釘付けになった。
……
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