「ど、どうしよう……」使用人たちはすでに完全に混乱していた。
何をすべきかもわからず、ただ綾が迷いなく外へ向かって歩いていく背中を見つめることしかできない。
その姿に、わずかな希望を見いだした一人が震える声を上げた。
「奥様……坊ちゃまの居場所、ご存じなんですか?」
綾は足を止め、呆れたように振り返る。
「あなたたちのところ――監視カメラってものが、あるでしょう?」
そう言うと、近くの扉を軽くノックした。
すぐに中から声がした。
「誰だ?」
「――長谷家の夫人よ!」
一瞬、驚いたような声が聞こえ、その後バタバタと足音が近づいてきた。
使用人が顔を上げると、そこは別荘の裏手――配電室の前だった。
そういえば、屋敷の監視やセキュリティシステムを管理しているのはこの部屋だったはずだ。
けれども――夫人がさっき言った「あなたたちのところには」ってどういう意味?
まるで自分の家には監視設備がないみたいな言い方……?
使用人が首を傾げているうちに、扉が開いた瞬間、綾の脚が鋭く振り抜かれた。
「ぐっ!」
ドアを開けた警備員がまともに蹴り飛ばされ、後ろの机にぶつかってうずくまる。
彼は「い、痛っ! 何するんですか!」で声がかすれていた。
呻く男を綾は冷ややかに見下ろし、
足元の椅子を軽く引き寄せると、抱いていた子どもをそこに座らせた。
そして背筋を伸ばし、淡々と告げる。
「職務怠慢な者には、叱責が必要でしょ」
警備員の顔から血の気が引き、目が泳ぐ。
使用人がその様子を見て、すぐに何かを察した。
「奥様……どうしてこの人が怠慢だと?」
綾は舌打ちをひとつしてから、無言でモニターの前に立つ。
「――昨晩の映像を出しなさい」
有無を言わせない声音だった。
使用人は反射的に従い、端末を操作し始める。
数分後。
モニターに映像が映し出されると、使用人はふと疑問に思った。(あれ……夫人、自分で操作できないのかな?さっきから立って見てるだけ……)
しかし振り返ったとき、その考えは吹き飛んだ。
画面の光に照らされた綾の顔は、眉間に皺を寄せ、目は鋭く細められている。
――まるで獲物を逃さぬ猛禽のようだった。
その整った横顔に宿る緊張と冷気が、彼女の美しさを危ういほど際立たせている。
使用人は慌てて目を逸らし、
「夫人は機械が苦手」などという考えを頭から追い出した。
「……見つけた。」
冷静で、しかしはっきりとした声が響いた。
綾は椅子から離れ、すっと昭陽を抱き上げて出口へ向かう。
驚いた使用人が「あの、映像は――」と言いかけたとき、
綾は振り返らずに言い放った。
「――この警備員を縛っておきなさい」
その一言に、部屋の空気が一瞬で凍る。
使用人は「は、はい!」と叫び、慌てて他の者を呼びに飛び出した。
外に出たときには、すでに綾を乗せた車が屋敷を離れるところだった。彼女の行動の早さに、誰も追いつけない。
(……ついていけばよかった。絶対、何か大事なことを見逃す……)使用人にそんな予感だけが胸に残る。
そのとき、屋敷の門前から声がした。
「――松本里奈(まつもと りな)?」
呼ばれた使用人が振り向くと、
そこには見覚えのある男――明石誠(あけいし まこと)が立っていた。
「明石特別補佐!?どうしてここに?」
明石誠は険しい表情で歩み寄る。「五坊ちゃまの位置情報が突然途絶えた。まさかと思って確認に来たんだが……何があった?」
里奈は青ざめた顔で指をさす。
「五坊ちゃまが……何者かに連れ去られたようです!夫人が、もう追いかけに行かれました!」
「……夫人が?」
明石誠の表情が固まる。
あの「おとなしい夫人」が、自ら動いた?