「その湯、どこから持ってきた?」
彰人は不機嫌そうに尋ねた。
「斎藤さんが蓮根パウダーを溶くために、給湯室から持ってきてくれたの」
詩織は淡々と答えた。
彰人は彼女の手を調べ、火傷していないことを確認してようやく安心し、ベッドの端に座って美しく包装された箱を渡した。
「河原屋の菓子だ。一時間前に焼きたてたものだ」
高橋は驚いた。
彰人は彼女のために叱ってくれるわけじゃないの?
彼女は急いで尋ねた。
「彰人、美雪のことだけど…」
「彼女の生活費なら、お婆様が止めたんだ」
詩織が受け取らないので、彰人は箱を置き、冷たい声で言った。
「今後、お前の娘の生活費は俺の個人口座から出す。だが俺の妻を非難しておきながら、ここに留まってどうする気だ?」
高橋は言葉を失った。
斎藤さんが空気を読んで彼女を追い払った。
「さあ、行きましょう。それともこちらが追い出しますか」
こうして、高橋は斎藤さんに「案内」されて出ていった。
病室には二人だけが残った。
「もういい、あんな女のこと気にしないで。俺が食べさせてあげる」
彰人が菓子を一個取り出し、詩織の口に運ぼうとした時、彼の携帯が鳴り始めた。
また福田美雪からの電話だ。
詩織は我慢できなかった。
「あなたに監視カメラでも設置したの?私に近づくたびに電話をかけてくるのね。彼女のために貞操を守るよう注意してるの?」
彰人はすぐには電話に出なかった。
「余計なことを考えるな。俺の体はきれいなままだぞ」
詩織は皮肉っぽく笑った。
「なら携帯を貸して」
彰人は彼女が何をするつもりか分からなかったが、携帯を渡した。
詩織は通話を切り、「福田美雪」のすべての連絡先をブラックリストに入れてから、携帯を彼に返した。
彰人は怒らず、むしろ笑って尋ねた。
「詩織、これで気が晴れたかい?」
夫は毎月数十万ドルも使って愛人を養っているのに、彼女の気分が良くなれるわけがない。
詩織は窓の外を見て、答えなかった。
彰人は彼女の顔を自分の方に向け、自分を見るようにさせた。
「これからは美雪のことは中島に任せる。これでいいだろう?」
もちろんだめだ。
「彼女の母親がいなくなっても、あなたの父親はいるのに、なんであなたが直接面倒を見なければならないの?」
彰人の瞳が一瞬暗くなり、その後穏やかに微笑んだ。
「その話はもうやめよう。四周年パーティの歓迎写真をまだ撮っていない。君のためにオーダーメイドの服を作った。退院したら撮影に行こう」
詩織は目を閉じた。
彼はやはりこの問題に触れようとしない。この結婚はもうだめだ。
彼女は少し黙った後、何か言いかけた。
「私たち…」
別れようという言葉を始めたところで、戻ってきた高橋がよろめきながらドアを押し開けた。
「彰人、早く美雪を助けて!彼女が…彼女が…」
高橋は息も絶え絶えに泣いていた。
「また死にそうなの?」
詩織は冷ややかに尋ねた。
そのとき、彰人の携帯が再び鳴り始めた。
国際電話だった。
彰人は電話に出た。
「福田社長、十数分前に福田さんが看護師の目を盗んで点滴管に空気を注射しました。西村先生が今、救命措置を行っています」
十数分前といえば、詩織が美雪のすべての連絡先をブラックリストに入れた時間だった。
彰人はすぐに立ち上がった。
「今から行くの?」
詩織は彼をじっと見つめ、まるで十数分前に彼が言った言葉を思い出させるかのようだった。
彰人の瞳が暗くなり、難しい決断をしたようだ。
「西村がそこにいる。彼女はきっと大丈夫」
詩織は何故か安堵した。
なぜなのだろう?
おそらく四年間の真心を捧げてきて、諦められないからだろう。
しかし高橋は納得しなかった。彼女は彰人の腕をつかみ、さらに激しく泣いた。
「さっき途中まで歩いたところで、美雪から電話があったの。あなたも彼女が嫌いになったって。彼女はとても疲れて、孤独だと感じていると。彰人、美雪は心の病気で、あなたに依存してるのよ。この世で最高の医者でもあなたにはかなわない。お願い、会いに行って」
彰人は表情を引き締め、真剣に利害を検討した後、深刻な声で言った。
「安心してくれ。絶対彼女を生かす、約束する」
高橋がまだ何か言おうとすると、彰人は斎藤さんに再び彼女を送り出すよう頼んだ。
彰人は残ったものの、夜中、付き添い用の椅子に寄りかかる彼のシルエットは、何度も携帯画面の光に照らされていた。
詩織の心は冷え切っていた。
何でもないじゃなかったの?
彼女専用の着信音を設定しておいて、そばに行けなくても向こうのことを気にかけている。
彼女は少し後悔した。
美雪に勝っても、彼をそばに残しても、何になるのだろう?
彼の心はもうここにない。この恋にこだわる必要はないだろう。
詩織は目が赤くなりかけたが、彼に気づかれないように鼻をすすることを控えた。
夜中になって彰人の携帯がようやく静かになり、彼女も眠りについた。
翌朝早く目を覚ますと、付き添いベッドはすでに空になった。
詩織は慌てて起き上がり、ほぼ完治していた傷を引っ張ってしまい、少し痛んで軽くと声を漏らした。
斎藤さんはその声を聞いて洗面所から出てきた。
「若奥様、もうお目覚めですか。朝食がちょうど届いたところです。温かいうちにどうぞ」
「彰人は?」
「福田社長は会社に行きましたよ。今日は若奥様の検査に付き添うので、早めに会社の仕事を片付けに行くと言っていました」
やはり国内に残ったのか。
詩織は喜ぶべきか、それともまだ悩むべきか分からなかった。
検査の時間になっても、彰人はまだ来なかった。
詩織は彼を待たず、斎藤さんに付き添ってもらって超音波室へ行った。
彼女には不思議だった。腹部の怪我なのに、なぜ婦人科の超音波検査があるのだろう。
でも、ちょうど婦人科医に質問された。
「先生、今回の生理は遅れただけでなく、八、九日も続きました。これは正常ですか?」
婦人科医は彼女の超音波検査レポートを見て、彼女を見ようともしなかった。
「怪我の後は体が弱っているので、生理が少し長引くのは普通のことよ。それでも心配なら薬を出しましょうか」
医師の態度は少し投げやりで、詩織がさらに詳しく尋ねようとしたとき、診察室のドアが開いた。
中島がドア脇に立ち、彰人が歩み入ってきた。
数時間しか睡眠を取っていないにもかかわらず、彼の高貴な雰囲気は衰えておらず、目の下の淡いクマさえも、彼に疲れた鋭さを加えているようだ。
婦人科医は彰人を見ると、まるで別人のように態度を変えた。
「福田社長、いらっしゃいましたか。奥様の回復は順調です。ご心配なく」
彰人は詩織の肩に手を置き、無表情で尋ねた。
「何の問題もないのか?」
婦人科医は一瞬躊躇い、画面上の画像を指さしながら言った。
「次の生理が終われば大丈夫です」
彰人はやっとうなずいた。
しかし詩織は不思議そうに尋ねた。
「あなたは婦人科医なのに、なぜ今回の怪我とまったく関係ない検査をするんですか?」
婦人科医は彼女の質問に答えられず、どう返答すべきか分からなかった。
彰人は何の隙間もなく話を引き継いだ。
「詩織、全身検査くらい、普通のことだよ」
「そう?」
彼女は半信半疑だった。
彰人は彼女の顎を持ち上げ、真剣に言った。
「夫婦の間の基本的な信頼さえ失われたのか?」
詩織は顔をそらし、彼の言葉に答えなかった。
彰人は彼女を抱き寄せた。
「もういい、病室に戻ろう」
詩織は拒まなかった。
斎藤さんは傍らで笑った。
「やっと奥様の機嫌が取れましたね。福田社長、これからは若奥様を怒らせないでくださいね。私たちでさえ、ヒヤヒヤしていましたから」
「たち?」
彰人は眉を上げた。
「いえいえ、うれしくて口が滑りました」
斎藤さんは自分の口を叩いた。
結婚後、彼と詩織はプラチナマンションに住んでいたが、大奥様の監視役は常に彼らの周りにあった。
彰人は鼻で笑い、何も言わなかった。
病室に戻ると、詩織は彼の腕から抜け出そうとしたが、彼はさらに強く彼女を抱きしめた。
「それでも笑ってくれないのか?」
「あなたを見たら、笑えないわ」
彰人は今日はとても上機嫌ので、彼女の言葉のトゲを気にしなかった。
「今夜も残業だから、食事の時間には戻れない。ただ車は置いておいた。食べたいものがあったら斎藤さんに買ってもらえばいい」
詩織は彼を見ずに言った。
「構わなくていいわ」
まだ機嫌が直らないようだ。彰人はため息をつき、GL8のキーを置いて出ていった。
しかし、彼が去って間もなく、詩織は外出着に着替えた。
斎藤さんは驚いた。
「若奥様、外に散歩にでもいらっしゃるのですか?」