薄暗い場所に身を潜め、詩織は二人の眩しいほど絵になる姿をじっと見つめていた。そしてふと、自分の野球帽にジーンズ、チェックシャツにキャンバスシューズという格好を見下ろし、闇に紛れて盗み見る自分の姿を思うと――まるで道化みたいで、惨めさに笑うしかなかった。
詩織の瞳にじわりと涙が滲んだ。
……海斗のことは、十年以上ずっと想い続けてきたのに。美雪はこれまで、詩織の大切なものを散々奪ってきた。そして今度は――海斗まで奪うというの?……そんなの、絶対に許せない。
二人が中へ消えていくのを見届け、詩織も息をのみながら急いでその後を追った。
どうしても――あの二人に部屋を取らせるわけにはいかない!
「お客様、少々お待ちください。VIP会員カードのご提示をお願いいたします」給仕係が詩織の前に立ちふさがった。
詩織は一瞬ひるんだ。中へ進む二人の背中がどんどん遠ざかっていく。焦りに突き動かされ、咄嗟に中の女性を指さして言い放った。「今中に入ったの、私の母です。一緒に来たんです」
どうにか中へ滑り込んだ詩織は、慌てて二人を追った。ちょうどその瞬間、二人がエレベーターに乗り込み、表示灯が十三階で止まったのを目にする。
エレベーターを待つ余裕なんてない。詩織はそのまま階段へ駆け込み、一気に駆け上がった。幸い、格闘技をかじっているおかげで体力はそこそこあったが――十三階に着く頃には、さすがに息も絶え絶えで汗だくになっていた。それでも立ち止まる間もなく、すぐに二人の姿を探し始めた。
目の端がさらに潤み、詩織はこんな自分の情けなさに文句の一つも言いたくなったが――それでも、赤くなる目だけはどうしても抑えられなかった。
実は、彼女が海斗を想う気持ちは、決して一方的なものではなかった。
幼い頃、海斗が軍校へ向かう前に、彼は人づてに一通の手紙を詩織へ託した。その手紙は、今でもずっと大切にしまってある。
家族に冷たく扱われ、美雪に何度も陥れられていたあの頃――あの手紙が自分にどれほどの力と希望をくれたのか、詩織は決して忘れられなかった。
手紙にはこう書かれていた――自分は王子ではなく騎士だ、と。王子には何人もの姫がいるけれど、騎士の瞳に映るのはただ一人の姫だけだから。その “唯一の姫” が詩織であり、彼は “詩織だけの騎士” なのだと。いつか七色の雲に乗り、鎧をまとって迎えに行く。君のために天下を取り、君をこの世でいちばん尊い女王にすると――そう約束していた。
詩織は唇をきゅっと結び、瞳には薄い涙の膜が広がった。
彼は……あの約束を全部、忘れてしまったの?
彼女は手紙の一字一句を今も鮮やかに覚えている。なのに――現実は、このざまだ。
結局、現実は容赦なく彼女に平手打ちを食らわせたのだ。
彼女は海斗を見つけたら、踏みにじられたこの想いを――そのままそっくり返してやると決めた。
十三階はすべてVIP個室で、歩き回るうちに詩織はすっかり迷子になってしまった。
上の階に上がってきた給仕係を見つけるや、詩織はすぐに駆け寄り、ちょっとした策を使って言った。「道に迷ってしまって……部屋番号も忘れてしまって。でも、さっき有名人みたいな女性が出ていくのを見たんです」給仕係はすぐに察し、丁寧に方向を教えてくれた。
教えられた方向へ進むと、左右に並ぶ二つの個室が、まったく同じ距離にあった。詩織は思わず立ち止まり、どちらか分からず戸惑った。
ちょうどそのとき、手前の個室のドアがわずかに開いていた。詩織はその隙間からそっと中を覗き込んだ。部屋は薄暗かったが――背を向けて立つ、背の高い男性のシルエットがすぐに目に入った。
詩織の視線は、そのシルエットに一瞬で吸い寄せられた。彼がゆっくりと上着に手をかけ、脱ぎ始めた瞬間――詩織は歯を食いしばり、拳を固く握りしめ、そのまま勢いよく部屋へ飛び込んだ!
突然、彼の腕をつかんだ瞬間――言葉より先に、ためらいのない平手打ちが飛んだ。
「パンッ――!」
その一撃には、裏切られた痛みと絶望がすべて込められていた。詩織は、持てる力のすべてを込めて叩きつけた。
小さな影が突然飛び込み、「パンッ」という鋭い音が室内に響き渡った。その瞬間、もともと薄暗く不穏だった空気は、一気に緊張の極みに跳ね上がった。
「いとう、いとう――!」
詩織は叫びながら、さらにもう一発、平手を振り上げた。だが――相手の顔がはっきり目に入った瞬間、その腕は空中で固まった。
なんてこと――!
周囲から一斉に息を呑む気配が広がった。
平手打ちで顔を横に向けられたその男性の素顔を見た瞬間、詩織の全身は、まるで氷に変わったように固まった。
……まずい。どうやら――たぶん……いや、ほぼ確実に……人違いをした。