詩織が自宅で数日間静養したら、顔色は目に見えるほどの速さで良くなってきた。
少なくとも数日前のように生気のない様子は見えなくなった。
宏樹はここ数日会社に行かず、家で詩織に付き添っていただけだった。
仕事も全て自宅で処理していた。
宏樹はソファに座り、漫画に夢中になっている少女を見つめた。彼女は一度も目を瞬きさせなかった。
「高橋くん、帝都で子供が楽しめる場所ってどこかあるかな?」
彼はいつまでも詩織をこの家に閉じ込めておくのも良くないと感じてきた。
元気溢れた年頃なのだから。
家に閉じ込められているなんて、心が健康に成長できるのだろうか?
「小川社長、お嬢様を遊園地にお連れになるのはいかがでしょうか。帝都には全国最大の遊園地がございます」
「ネット上のデータによりますと、年頃の女子は観覧車やメリーゴーランドが好きだそうです」
宏樹は頷いて、詩織の方へ歩み寄った。
「詩織は毎日も家で本を読んでいるね、それって退屈じゃないか?」
「お兄さんが遊園地に連れて行ってあげようか?」
「帝都の遊園地なら、全国一高い観覧車があるんだよ」
もし普通の子供なら、こんな話を聞いたら興奮して飛び上がっていただろう。
しかし目の前に座っているのは詩織だ。
詩織はこういったことに全く興味を示さなかった。
「行かない」
詩織の表情は少しも変わらず、相変わらず冷淡な様子だ。
「詩織は観覧車やメリーゴーランドに乗りたくないのかい?」
「他にも楽しめるものがたくさんあるんだよ」
詩織は手の中の漫画を閉じ、目の前の男性を見上げた。
大人の男性がこんなに一生懸命に彼女を遊園地へ誘っているなんて。
詩織は再び断ろうとした。
しかし、頭の中で突然、宏樹は高所恐怖症だったはずだと思い出した。
彼女の脳裏に悪魔的なアイデアが浮かんだ。
「いいよ、じゃあ今すぐ行こう」
詩織の口元の笑みがますます明るくなった。
宏樹が恐れるものなら、彼女はあえてそれを選んでやろう!
宏樹は彼女がこんなにあっさり承諾するとは思っていなかった。
だから一瞬驚いてしまった。
「詩織、本当に行くのかい?」
「どうしたの?もう連れて行きたくないの?」
詩織は慌てて首を振った。
「まさか!」
「お兄さんは約束を守る男だ」
………………
………………
遊園地の園長は事前に連絡を受けていた。
長正のために特別に貸し切りにしようとしたのだが。
詩織は人が多い方が面白いと思った。
なにしろ、あの宏樹が恥をかくところを見る機会はそうそうないのだから。
詩織と弘樹が遊園地に到着した。
その時、遊園地の園長は自ら入り口で待っていた。
「小川社長のご来場、誠に恐縮でございます」
宏樹は淡々と手を振って続きを止めた。
「そんな大げさなことはいい、今日は妹と気軽に遊びに来ただけだ」
遊園地の園長は慌てながら頭を下げた。その様子はあまりにも丁重で熱心だった。もはや媚びると言えるほどだ。
「はい、はい、小川社長のおっしゃる通りです」
しかし彼の視線が詩織に向けられた時、少し戸惑いが見えた。
あれが社長の妹さん?
彼の記憶では、社長の妹はこんな顔をしていないはずだ。
社長にはいつからもう一人の妹ができたのだろう?
しばらく考えてようやく思い出した。小川家にはもう一人の娘がいるようだ。
ただその少女はあまり家族に大切にされていないようだった。
もしかしてこの子が小川家のあまり歓迎されていない娘なのだろうか?
名家の内情について、彼も勝手に詮索するつもりはない。
しかし彼は長年遊園地を経営してきた男だ。
人の顔色を読むのは、一般人より上手なだけ。
だから園長は読み取れた。このお嬢さんが小川家で大事にされているかどうかはともかく。
少なくとも今は宏樹が彼女を大切に思っている。
そうであれば、彼はしっかりと接待しなければならない。
「小川お嬢様、こちらへどうぞ」
「社長とお嬢様は最初にどのアトラクションをお楽しみになりますか?」
「休暇中なの園内は混雑しておりますが、どうかご安心ください。我々がお二人の体験を優先しますので」
宏樹はこれを聞いて満足げに頷いた。
周囲の観光客はこの行き届いた対応に驚いた。
「どこの令嬢だったのかな?こんなに大勢の人が付き添ってるなんて」
「あの人、ここの園長じゃない?なんで彼まで付き添ってるのよ」
「私あの男知ってる。経済誌でインタビュー見たことある。確か小川グループの社長だっけ」
「小川グループの社長?もしかして妹さんを遊びに連れてきたのかな?」
「そうかもね。あの社長は有名なシスコンだって聞いたことがある。だとしたら、真ん中の少女が小川家のお姫様なんだろうね」
「お金持ちの生活は本当にいいな。あの子がうらやましい!」
「この社長ってすごくハンサムだね。禁欲的な顔をしているのに、あの少女と話す時はすごく優しいんだもの。男にもそんなに優しくなれるの」
「詩織、最初はバンパーカーにしようか?」
宏樹は周囲の議論を聞いていないようで、詩織の手を取り、慎重に尋ねた。
しかし詩織は眉を動かして否定した。
「嫌だ!」
「観覧車なんてつまらないよ。せっかく遊園地に来たんだから、もっと面白いものに乗ろうよ」
宏樹はこの言葉を聞いて少し戸惑った。彼女の言う「面白いもの」とはいったい何の意味だろう。
「じゃあ詩織は何に乗りたいの?」
詩織は口角を上げ、向かい側のジェットコースターを指さした。
「そりゃ、ジェットコースターが一番スリルでしょ」
この言葉を聞いて、宏樹は顔色が青ざめた。
隣にいた遊園地の園長も一瞬体が硬直した。
小川グループの社長が高所恐怖症であることは、大した秘密ではない。
それどころか記者にも大々的に報道されたことがあった。
そんな彼が、ジェットコースターのようなアトラクションに乗るわけないだろう?
だから最初から園長はジェットコースターについて説明するつもりもなかった。
彼が紹介したのはメリーゴーランドやバンパーカーなどばかりだった。
宏樹は顔を青ざめさせながらも、詩織がこんな無理な要求をしても、自分自身を慰めてみた。それは詩織が自分の高所恐怖症を知らないからだと。
「詩織、別のに変えてくれない?」
それを聞いた園長は急いで賛同した。
「そうですよ、お嬢様。うちの遊園地には楽しいアトラクションがたくさんあります。ジェットコースターよりずっと面白いですよ」
「それに、ジェットコースターは君のような年のお子さんには向いていませんので」
お子さん?
詩織は心の中で冷笑した。
彼女をお子さんと呼ぶなら、わがままな子供になってみせるしかない。
「だめ、ジェットコースターに乗りたい。他のは乗りたくない」
「ジェットコースターに乗れないなら、最初から来なかったよ」
「帰って本を読んだ方がマシだわ」
宏樹は歯を食いしばった。彼は妹を失望させたくない。
「詩織がジェットコースターに乗りたいなら、お兄さんが付き合うよ」
この言葉を聞いて、園長も驚いた。
宏樹がこの少女をここまで可愛がるなんて。
やはりネット上の噂はデタラメばかりだ。
宏樹が一番可愛がっているのは小川家の末っ子だと言う噂なんてなおさらだ。
去年、宏樹はあのおの子もここに連れてきた。
その時も、もう一人の小川さんはジェットコースターに乗りたいとねだった。
しかし彼ははっきりと覚えている。当時の社長は承諾しなかった。
それどころか、この件でもめて、早々に退園してしまった。
しかしこの子は違う。
社長はほとんど躊躇せずに承諾するとは。
やはり偏愛なのだ!
計画が成功し、詩織はめずらしく笑顔を見せた。
たとえ一瞬の輝きだったとしても。
宏樹は妹の笑顔に目を奪われた。
突然、自分が報われた気がした。